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10.秘密-2

 翌朝、目を覚ました時には、窓の向こうが白み始めていた。結局あまり眠れなかったセレンは、しばらく寝台の中で天井を眺めていた。  昨夜のことを思い出す。眠る前は思い出すたびに苦しくなったのに、今朝になって浮かんだのは、その先にある未来だった。  もし本当にリヴァルとのあいだに子供が生まれたなら、どんな子になるだろう。そんな考えが、止まらなかった。  以前なら、子を望めない可能性があることも仕方がないと受け入れていた。それなのに今は同じようには思えなくて、胸が苦しかった。  リヴァルと顔を合わせたのは、昼を過ぎてからだった。  隣にはノエもいる。昨夜以来の再会になにを言えばいいのか迷ったものの、リヴァルの態度は普段と変わらなかった。 「セレン。兄上と話してきた。お前にも話がある」 「……はい」  その一言で、なにについてなのかは聞かなくてもわかった。  案内されたのはミハイルの執務室だった。卓上には何枚もの書類が広げられており、その端に押された印から、ルミナリアから送られたものだとわかる。 「失礼いたします」  セレンとリヴァルが並んで腰を下ろすと、ミハイルは一枚の書類を取り上げた。 「リヴァルから聞いたよ。君には一度も発情期が来たことがないそうだね」 「……はい」 「婚姻前に受け取った資料を確認したけど、その記載はなかった。こちらが聞いていたのは、君は幼少期から病弱で、公務への参加が難しかったため王位継承から外されたという話だけだ」  やはり、そういうことか。  父は、隠していた。 「はい。父上と医師から、このままでは王家の血を繋ぐことが難しいためだと。それで王位継承からは外されました」  ミハイルは不思議そうな顔をしながらも、納得したように一度だけ「なるほどね」と頷いた。  そして書類を置き、今度は別の一枚へ指を移した。 「もう一つある。こちらには、もともと第四王女との婚姻を予定していたものの、君自身がリヴァルとの婚姻を強く希望したため、第一王子へ変更したと説明されている」  その言葉に、セレンは婚礼の日を思い出した。確かに自分もリヴァルへそう話した。しかしそれは、第四王女の代わりに送られたことを知られれば、同盟に影響するのではないかと恐れてついた嘘だった。  父は最初から、まるで自分が選ばれたかのような口ぶりでセレンにグランディオヘ嫁ぐように言ったのを覚えている。  王女から王子へ変更になったことをリヴァルが聞き漏らしていたと知ってほっとしたが、それ以上に大事なことを、セレンに黙っていたとは思わなかった。  だがそれなら、少しおかしな話だ。 「……陛下。そのお話は、いつルミナリアから?」 「婚姻相手を変更すると連絡してきた時だよ」 「では……私が出発するより前ですか」 「そうなるね」  自分が嘘をついたのは婚礼のあとだ。それより前から同じ説明がされていたのだと理解して、セレンはしばらく言葉を失った。 「どうした」 「……私が婚礼の日に申し上げたことは、本当ではありません」  リヴァルの眉が寄る。 「なに?」 「第四王女のはずだったと尋ねられ、自分から嫁ぎたいと申し出たのだと答えました。……あれは、その場でついた嘘です」 「なぜだ」  リヴァルがこちらを見る。睨むような含みはなく、単純に理由が知りたいと追求するような目だった。  セレンは答える。 「第四王女が婚姻を拒み、代わりに私が送られたのではないかと思ったのです。それを正直に申し上げれば、同盟にも影響するのではないかと……」 「思った?」 「はい。私は、なぜ自分が送られたのかなにも聞かされておりませんでしたので」  ミハイルの表情から、わずかに柔らかさが消えた。 「待って。君は第四王女が婚姻を拒んだこと自体、知らなかったの?」 「はい。婚姻について知らされたのも、城を発つ三日ほど前のことでして」 「……それは、ずいぶん話が変わってくるね」  発情期について伏せられていただけではなく、婚姻相手を変更した経緯まで事実とは異なる説明がされていた。その意味を理解した途端、セレンの頭には同盟のことが浮かんだ。 「陛下。どうか、このことで同盟まで見直すことはおやめください。ルミナリアが事実とは異なる説明をしたことはわかりました。ですが、私もリヴァル様に嘘をつき、身体のことも昨日までお話ししておりませんでした。私にも責任があります」 「同じじゃないだろ」  リヴァルに即座に否定され、セレンは隣を見る。 「私か嘘をついたのは事実です」 「ああ。そこはお前が悪い」 「リヴァルが覚えていれば、セレン殿下もそんな嘘をつく必要もなかったんだけどね」  ミハイルが釘を刺すようにそういうと、リヴァルが兄王をぎろりと見る。 「だが、お前は婚姻相手が変わった事情すら知らなかったし、身体のことは俺たちも知っていると思っていた。それまで一緒にするな」 「そこについては、リヴァルの言う通りだよ。君自身がついた嘘については君の責任だ。でも、婚姻相手を変更し、その理由を偽ってこちらへ伝えたのは君じゃない」 「……ですが、このことで両国の関係が悪くなれば、困るのは民です」 「それを考えるのは私の仕事だよ」  ミハイルの声音は穏やかなままだった。 「同盟を破棄すると決めたわけじゃない。ただ、二つも事実と違う説明が見つかった以上、なにもなかったことにはできない。ルミナリアには正式に説明を求める」  セレンはまだなにか言いたかったが、自分にも責任があることと、ルミナリア王家の責任は別だと二人から言われれば、これ以上繰り返しても仕方がなかった。 「……わかりました。……この度は、大変申し訳ありません」 「また謝ってる。自分の責任を勝手に増やすな」 「増やしているつもりは……」 「ないなら自覚しろ」  リヴァルの顔を見て、セレンは今度こそ口を閉じた。  ミハイルは書類をまとめてノエへ渡す。 「ルミナリアにはこちらから照会を出す。頼んだよ」 「承知いたしました」  ノエが書類を受け取ると、ミハイルは背もたれへ身体を預けた。 「それにしても、随分と低く見られたものだね」 「……私が、でしょうか」 「それもだけど、グランディオが、だよ。婚姻相手を変え、その理由も偽り、君の体質についても伏せた。それでも婚礼さえ済ませれば、こちらは受け入れると思われていたわけだ」  その口調は穏やかなままだったが、セレンにもミハイルが不快に思っていることはわかった。 「もちろん、私情で政治をするつもりはないよ。ただ、それとは別に、君が不当な扱いを受けていたことに腹が立たないわけでもない」 「ですが……元を辿れば、私に発情期が来ないことが原因です。私が普通のオメガであれば、父上たちも隠す必要はありませんでした」 「それは違うだろ」  そう否定したのは、リヴァルだった。二人で彼を見やったあと、ミハイルは「そうだね」と肯定する。 「たとえば、リヴァルに魔法の力がなかったとする」 「おい、急になぜ俺なんだ」 「わかりやすいからだよ。彼、魔法と戦い以外なにもないだろ」 「失礼な」 「今は黙ってて」  ミハイルはリヴァルの抗議を流して、セレンへ向き直った。 「もし彼に魔力がなかったとして、それだけを理由に公務から外し、学ぶ機会も与えず、人から遠ざけたままにするかい」 「……いいえ」  考えるまでもなかった。魔法が使えなければ戦場へ出ることは難しくても、それでリヴァルにできることがすべてなくなるわけではない。 「君も同じだよ。発情期が来ないことで、できないことはあるかもしれない。子供のことも今はわからない。でも、一つできないことがあるからといって、それ以外の可能性まで奪っていい理由にはならない」  セレンはなにも返せなかった。王位継承から外された時、自分にはもう王族として求められるものがないのだと思い、それから先は与えられた場所で静かに暮らしてきた。  もしかしたら、もっとできることがあったかもしれない。  そう考えると、ルミナリアで過ごした二十四年が、これまでとは少し違って見えた。  だが、同時にある疑問がセレンの頭をよぎる。聞くのが怖いと思った。それでも聞かずにはいられなかった。 「……陛下」 「なんだい?」 「もし、私が子を成すことが難しい身体だと、婚姻前からご存じだったなら……それでも、この婚姻をお認めになりましたか?」  セレンは真っ直ぐに問いかける。心臓が変に鼓動する。ミハイルは一瞬口を噤んだあと、重々しい唇が開かれた。 「正直な話をすると……正室としてなら、難しかったと思う」 「おい」  リヴァルが舌打ちをして、殺気立つのが見えた。 「俺の妻の前で、よくもそんなことが言えたな」  リヴァルが剃刀のように鋭い眼差しで睨め付けたのとは裏腹、ミハイルは静かな目をして言った。 「落ち着いて、リヴァル。君たちが王族でなければ、話は違っただろうね。庶民なら好きな相手と一緒にいればいいし、子を成せるかどうかなんて、二人がそれでいいと思うならそれでいいんだから。──でも、私たちは王族だ」  ミハイルに問いかけられて、セレンは頷いた。民を守り、外交し、国を維持するだけではない。世継ぎを残すことも、王族として生まれたからには当然のようについて回るものだ。セレンはそれが痛いほどわかっていた。だからこそルミナリアでは、発情期の来ないセレンは役立たずだった。 「王族、か……」  リヴァルが小さく零す。明々と燃える炎のように赤い瞳は、なにかを探しているように見えた。  セレンはなにも言わなかった。

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