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11.役に立つこと-1

 いくらセレンのことがあるとはいえ、戦場は二人を待ってはくれない。  それからほどなくして、北方国境の戦線から増援要請が届いた。  例年より雪が深く、補給路の維持が難航しているという。敵味方とも決め手を欠いたまま戦線は膠着し、消耗だけが積み重なっていた。  リヴァルの部隊は初めから前線に立つような部隊ではなく、援軍として控え、膠着する場合や窮地に陥った時の打開策として動く部隊だった。初めからリヴァルの戦力に頼るような構図ではない指揮の仕方にセレンが感心する間もなく、軍議を終えたリヴァルは遠征の準備に追われていた。  セレンもまた、自室で静かに防具を装着していた。  革帯を締め、胸当てを固定する。初めて身につけた頃は重さだけで息苦しくなったものだが、今は違う。一つひとつの留め具も、ヤオの手伝いがなくとも迷わず扱えた。最後に短剣を腰へ差し、セレンは鏡の前で頷く。  訓練を始めた頃は何度振っても腕が震え、木剣ですら思うように扱えなかった。それでも毎日の素振りを続けるうちに、少なくとも型だけは崩さず振れるようになっている。  体力も以前よりついた。食事を残さず取る生活にも慣れ、長時間の訓練でも息が上がりにくくなったことを、自分でも感じていた。  もちろん、リヴァルや兵士たちと比べれば及ばない。それでも以前の自分よりは、確かに前へ進めている。  役に立てるかもしれない。  そう思えるだけのものは、少しずつ積み重なっている実感があった。 「殿下」 「なんです、ヤオ」  魔石のついた通信具の耳飾りをつけていると、同じく装備を整えたヤオがやってくる。糸目のあいだからわずかに覗く瞳からは、相変わらず表情が読めない。 「……無理は、しないで」  わずかに外国語の訛りのあるその言葉に、セレンは短く頷いた。  城門前では、すでに遠征隊の準備が整っていた。  兵たちは慣れた手つきで馬へ荷を積み、補給隊が最後の確認をしている。冬の空気は鋭く、吐く息は白かった。  ディノがリヴァルの姿を見つけ、小さく鼻を鳴らす。リヴァルは手綱を受け取ると、いつものように軽々と鞍へ跨った。 「来い」  短く言われ、セレンも鐙へ足を掛け、リヴァルの腕を借りてディノの背へ跨った。 「苦しくないか」 「はい。大丈夫です」  以前なら鎧の重さと馬上の揺れだけで身体に余計な力が入っていた。けれど今は違う。自然と姿勢を保ち、手綱を握るリヴァルの背を見つめる余裕もあった。  城門が開く。  先頭に立ったリヴァルが馬腹を軽く蹴ると、ディノが雪を蹴り上げて走り出した。  続いて兵たちが列をなし、白く染まった街道を北へ進んでいく。  吹きつける風は冷たかったが、セレンの胸には不思議と迷いはなかった。  今度こそ。  今度は、もっと役に立ちたい。子供が望めないなら、違う方法で。  もっと──。  その思いだけを抱き締めるように、セレンはリヴァルの腹に回した手にぎゅっと力を込めた。  戦場へ着いて最初に感じたのは、前回とはまるで違う空気だった。雪は途切れることなく降り続き、踏み荒らされた地面には泥と氷が入り混じっている。行き交う兵たちにも疲労が滲み、数日間ほとんど戦線が動いていないという話が、目の前の光景だけでも理解できた。  敵を押し返すこともできず、かといって退けば重要な街道を奪われる。雪によって補給にも遅れが出始め、このまま膠着が続けば兵が先に疲弊する。今回リヴァルたちが送られたのは、その状況を少しでも動かすためだった。 「無理だと思ったら言え」  前を向いたままリヴァルが言った。何度目かの念押しに、セレンは頷く。 「はい」 「返事だけするなよ」 「……わかっております」 「ならいい」  やがて前方から戦闘の音が近づき、リヴァルがディノを走らせる。セレンは片手で鞍を掴みながら、もう片方の腕をリヴァルの身体へ回した。前回より馬上で身体を支えることにも慣れ、揺れに振り回されることも少なくなっている。  戦線へ入って間もなく、最初の攻撃が飛んできた。  右側にいた兵へ向かった矢が、届く直前で軌道を変える。セレンが危険を認識した時には、すでに薄い防壁が現れていた。  続けて前方から魔法が飛んでくる。今度もセレンがなにかをするより早く、リヴァルたちの前に防壁が生まれ、攻撃を弾いた。 「セレン、行けるか」 「はい」  セレンが返事をしたのと同時に、リヴァルが右手を高く掲げる。魔力が膨れ上がり、放たれた魔法は一直線に敵陣へと走る。周囲の雪が溶け、地面を抉る。熱を帯びた爆風がリヴァルとセレンへと返ってくる。その余波はセレンの透明な防壁に防がれ、左右へと逃げていく。  身体の奥から、力を引き抜かれる感覚がする。  けれど、まだ動ける。  前方では敵の隊列が崩れていた。 「……殿下、」  土煙がおさまるのも待たずに、リヴァルはディノを進ませる。 「もう一度いく」 「っ、はい」  再び魔力が集まった。  今度は先ほどより明らかに大きい。炎が渦を巻き、周囲の雪まで宙へ巻き上げる。熱と圧力が押し寄せ、セレンの髪が激しく煽られた。  轟音。  視界が真っ白になり、戦場を焼き尽くす。  防壁が展開される。広がった魔力が衝撃を受け止め、薄い膜が大きく撓んだ。ひび割れるような感覚が、腕から肩へ走る。  まだ。  もう少し。  殿下とディノを、お守りしなければ。  セレンは必死に魔力を押し込んだ。  防壁の表面に走った亀裂が広がる。耐えなければ。そう思って、力を込める。  けれど、その瞬間だった。  ぱき、  頭の奥でなにかが弾けたような感覚がした。  防壁が消える。熱風を頬に感じた。 「おい」  リヴァルの声が聞こえた。  返事をしようとした、その時。  右手から魔力の塊が飛んできた。 「殿下──」  セレンには見えていた。けれど、身体が動かない。  リヴァルが手綱を引く。ディノが大きく方向を変え、同時にリヴァルの手が前へ伸びた。 「っ!」  空間が歪む。  飛来した魔法が、二人へ届く直前で大きく軌道を逸らされた。リヴァルの魔法が、重力そのものを捻じ曲げたのだとセレンにもわかった。逸らされた魔法が雪原を抉り、遠くで爆ぜる。 「……下がるぞ」  リヴァルが短く言った。セレンはその言葉に驚いて、周囲を見た。  さっきまで押し込んでいたはずの敵が、こちらへ視線を集めている。  防壁が安定しなくなっている。  そのことを、敵も理解し始めていた。  また魔法が飛んでくる。  リヴァルがディノを反転させた。 「撤退する」 「ですが……」 「もう十分だ。敵陣は崩れている。あとは兵力で押せばいい」 「まだ、使えます。私は、まだ……」 「セレン」  リヴァルが振り返る。  その赤い瞳が、真っ直ぐセレンを捉えた。 「ダメだ」 「でも、もう少しじゃないですか」  セレンはそう言い返した。  その瞬間だった。  視界の端に、なにかがちらりと瞬いた。  白い雪煙の向こうから、魔力の光が見えた。  リヴァルも気付く。けれど、一瞬だけ遅れた。 「──っ!」  リヴァルが身体を捻る。  セレンの前へ、自分の身体を割り込ませる。  防がなければ。  セレンは必死に魔力を引き出そうとした。

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