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11.役に立つこと-3

 目を覚ました時には、すでに外は暗くなっていた。  セレンは白い天幕を見上げたまま、しばらく自分がどこにいるのかわからなかった。身体を起こそうとして、頭の奥に鈍い痛みが走る。  その瞬間、記憶が戻った。 「リヴァル様!」  咄嗟に掛布を退けようとすると、寝台の脇にいたヤオが腕を押さえた。 「起きないで」 「リヴァル様は」 「起きてる」  予想していなかった答えに、セレンはヤオを見た。 「……意識が戻ったのですか」 「少し前に」 「容態は」 「ガルドが診てる」 「会えますか」  ヤオは少し黙ったあと、隣の天幕へ目を向けた。 「歩けるなら」  セレンはすぐに寝台から足を下ろした。立ち上がった途端に膝が頼りなくなったが、それでも横になり直す気にはなれなかった。  外に出ると、ここはまだ戦場で、野営地にいるとわかった。焚き火の明かりを頼りに、隣の天幕へふらふらと向かう。入り口にいた護衛の一礼を受けて中に入ると、最初に聞こえてきたのはノエの声だった。 「第三隊は予定地点まで前進しています。敵軍は北西へ後退。街道についても、ひとまず確保できる見込みです」 「追うな。雪が強くなる。補給が戻るまで陣を広げる必要はない」 「承知しました」  セレンは入口で立ち尽くした。  寝台にはリヴァルがいた。肩から脇腹にかけて厚く包帯が巻かれ、額にも傷が残っている。それでも意識ははっきりしているのか、傍らのノエと戦況について話していた。  生きている。  その事実を目の前で確かめた途端、張りつめていたものが緩みそうになった。  その時、リヴァルがこちらに気づいた。 「セレン。起きたのか」 「……リヴァル様。お体は」  いつもとほとんど変わらない声だった。それだけで、喉が張り裂けそうになる。 「見ればわかるだろ。生きてる。……しばらく剣は振るなってよ。面倒だが、それだけだ」 「それだけじゃねえよ」  横からガルドが口を挟んだ。 「まともに動けるまで何日かかると思ってんだ。さっきから寝てろっつってんのに」 「だから寝てるだろ」 「そういう意味じゃねえ」  普段なら、そのやり取りに少し気が抜けたかもしれない。けれどセレンの目は、包帯の巻かれたリヴァルの身体から離れなかった。 「……申し訳ありません」  リヴァルの表情が変わった。 「なにがだ」 「私が、魔力の残量に気づかなかったからです。防壁が出なくなって、それで……」 「それで?」 「貴方が私を庇わなければ、この傷は」 「庇わなかったらお前が食らってただろ」  当然のことのように返され、セレンは言葉を失った。 「でも、私は貴方を守るために戦場へ」 「誰が俺だけ守れと言った」  セレンは口を閉ざした。  リヴァルは負傷していない方の腕をわずかに動かし、寝台の脇を示した。 「とりあえず座れ。立ってる方が危なっかしい」 「……はい」  言われた通り椅子へ腰を下ろしても、セレンの中に残ったものは消えなかった。ヤオが温かい茶を淹れ、折り畳みの簡易卓へ二つ並べる。セレンは茶器を両手で包んだものの、口をつけることはできなかった。  リヴァルは生きていた。戦況も崩れていない。むしろ突破口を作ることには成功し、兵たちは前進している。  だからこそ、自分の失敗だけがはっきりと残った。  自分は以前よりできるようになったと思っていた。  けれど、まだ自分の限界さえわかっていなかった。その結果、リヴァルに怪我を負わせた。  茶器から立つ湯気を見つめていると、リヴァルが口を開いた。 「お前だけの失敗みたいに考えるな」  セレンは顔を上げた。 「ですが、防壁を出せなかったのは私です」 「お前をあそこまで連れていったのは俺だ。前より動けるようになってたし、お前も大丈夫だと言った。俺もそれを信じすぎた」 「リヴァル様には、私の魔力がどれほど残っているかなどわからないでしょう」 「お前にもわかってなかっただろ」  返す言葉がなかった。危険を認識すれば勝手に現れる防壁は、自分でもどれほど魔力を消費しているのか把握しにくい。 「次からはそこも考える。限界がどこなのか、どういう兆候が出るのか。わからないなら調べればいい」 「……次も、私を戦場へ?」 「今決める必要はない。もう一度出たいなら考えればいいし、嫌なら出なくていい」  セレンは茶器へ目を戻した。以前なら、迷わず行くと答えただろう。役に立てるなら、怖くても行くべきだと思っていた。  けれど今は、あの光景が頭から離れない。防壁が現れず、リヴァルが自分を庇い、その身体がディノから雪の上へ落ちていった。 「怖いのか」  リヴァルの低い声が耳朶を打つ。 「……はい」 「戦場が?」  セレンは頷いて、俯いたまま顔を上げなかった。魔法が出なくなることも、また失敗することも怖い。けれど、それ以上に恐ろしかったものがある。 「貴方が倒れて、呼んでも返事をなさらなくて……このまま目を覚まさなかったらと、そればかり考えていました」  リヴァルは黙ってセレンを見ていた。 「私は、怖いのです」  セレンは包帯の巻かれた身体を見てから、リヴァルの目を見た。 「……貴方を、失うのが」  リヴァルは静かにセレンを見ていた。セレンは言ってしまってから、自分の言葉の意味を考えた。戦場で誰かを失うことが恐ろしいのは当然だ。けれど、リヴァルが倒れた時に感じたものは、それだけではなかった。 「……そうか」  やがて返ってきた声は、思いのほか短かった。  セレンはきゅっと眉を寄せた。 「それだけですか」 「他になんて言えばいい」  あっさりと言われ、セレンは黙り込んだ。  リヴァルは負傷していない方の手を伸ばした。指先がセレンの手に触れ、そのまま茶器ごと包むように重なる。 「次は、倒れる前に言え。怖いとか、苦しいとか、もう無理だとか。お前の『大丈夫』はしばらく信用しない」 「……それでは困ります」 「困るのはこっちだ。お前、限界まで平気な顔してるだろ」  否定しようとして、できなかった。 「だから俺も見る。お前も言え。どっちかだけで判断するな」  リヴァルの言葉と重なった手から伝わる体温に、ようやく茶器を持つ指の力が抜けた。 「それと」 「はい」 「俺も、お前が倒れるのは嫌だ」  セレンは瞬いた。  リヴァルはそれ以上説明せず、手を離した。  同じなのだろうか。自分がリヴァルを失うことを怖いと思ったように、リヴァルも自分が傷つくことを嫌だと思っている。  それがなにを意味するのか、セレンにはまだうまく言葉にできなかった。 「茶、冷めるぞ」  促され、セレンはようやく茶器を口元へ運んだ。少しぬるくなった茶を飲みながら、もう一度リヴァルを見る。  そこにいる。声をかければ返事がある。生きている。  それが、無性に嬉しかった。

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