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12.役立たずでも諦めない-1
扉が叩かれたのは、それからしばらくしてのことだった。返事をすると、盆を持ったヤオが入ってくる。湯気の立つ茶器と、小さな焼き菓子が載っていた。
「お茶、持ってきた」
「ありがとうございます」
セレンは慌てて頬を拭ったつもりだったが、ヤオは丸卓へ向かう途中で歩みを緩めた。細い目がセレンの顔をじっと見ている。
「……敵襲?」
「え?」
「毒?」
「いえ」
「怪我は」
「していません」
ヤオはしばらくセレンを見ていた。
「じゃあ、なんで泣いてるの」
「あ……」
言われて初めて、まだ目元が濡れていることに気づいた。セレンは袖で拭い、どう説明したものかと考える。
「少し、情けなくなっただけです」
「誰が」
「私が、です」
ヤオはそれ以上聞かず、卓上へ茶器を置いた。そのまま盆を持ち上げようとしたところで、セレンは向かいの椅子を見た。
「ヤオ。よろしければ、座りませんか」
「……仕事中」
「今のあなたの主人は、私なのでしょう? でしたら、私が許可します」
ヤオは椅子とセレンを交互に見たあと、素直に向かいへ腰を下ろした。
セレンは盆に残っていた空の茶器を手に取り、自分のために用意された茶を注いでヤオの前へ置く。
「どうぞ」
「……俺に?」
「はい。一人で飲むより、その方がよいかと思いまして」
ヤオは茶器を見てから、セレンを見る。
「初めて。お茶、入れてもらったの」
「私も使用人の方にお茶を淹れたのは初めてです」
「じゃあ同じ」
「そうですね」
ヤオが茶器を手に取る。セレンも自分の茶を両手で包んだ。
「殿下に置いていかれた?」
「……ご存じなのですね」
「朝は防具着てた。でも、出陣した時はいなかった」
それだけで察したらしい。セレンは少し迷ってから頷いた。
「リヴァル様の判断は正しいのです。私も、そう思います」
「納得した?」
「……それとこれとは、別のようです」
セレンは茶器の中を見つめた。色の付いた水面が、わずかに揺れている。
「以前は、できないことがあっても、それほど苦しくありませんでした。できないものは仕方がないと、諦めればよかったので」
「今は?」
「諦めたくないのです」
ヤオは茶を一口飲んだ。
「諦めなきゃいい」
あまりに簡単に返され、セレンは顔を上げた。
「……それでよいのでしょうか」
「駄目って、誰が決めたの」
「ですが、できないことに執着しても、惨めになるだけです」
「なるかも」
ヤオは焼き菓子を一つ取った。
「でも、生きてたら、変わる」
セレンは黙ってヤオを見る。
「ヤオも?」
「うん」
いつもと変わらない声音だった。
「昔、住んでた国、なくなった。逃げた先でも、食べるものなかった。盗んで暮らしてた」
初めて長い言葉を喋るヤオに少し驚きつつ、それ以上に、初めて知るヤオの過去にセレンは目を瞠った。
「……盗賊だったのですか」
「たぶん。自分たちではそう呼んでなかったけど」
「それで、どうしてグランディオに?」
「陛下の隊を襲った」
セレンは瞬きをした。
「……ミハイル陛下を?」
「うん。殺せば食べ物と馬が取れると思った。でも、失敗した」
「でしょうね……」
思わず返してから、セレンは言い過ぎただろうかとヤオを見る。けれど、本人は気にした様子もなく焼き菓子を齧っていた。
「みんな捕まった。殺されると思った。でも陛下、俺たちの言葉で話した」
「ミハイル陛下が?」
「少しだけ。『腹が減ってるのか』って」
王であるミハイルが流民の言葉を知っていたことも、その場で自ら話しかけたことも意外だった。
「それから、温かいパンとスープ出してきた。毒かと思った」
「……食べたのですか」
「食べた。毒でもよかったから」
セレンは返す言葉を見つけられなかった。
「それから陛下に、この国で働くかって聞かれた。帰る場所もなかったから、働いた」
「怖くは、なかったのですか」
「怖かった。でも、他になかった」
ヤオは残った茶を飲む。
「今は?」
セレンが尋ねると、ヤオは少し考えた。
「ここにいる」
短い答えだった。
「昔は明日の飯があるかもわからなかった。でも今は、殿下にお茶淹れてる」
ヤオは自分の茶器を見る。
「今日は淹れてもらったけど」
「たまにはよいでしょう」
「うん」
セレンも茶を口にした。先ほどより少し冷めていたが、まだ温かい。
「だから、変わることもある」
セレンはその言葉をしばらく考えていた。
「では、もう少し足掻いてみてもよいでしょうか」
ヤオはこくりと頷いて、焼き菓子をもう一つ取った。
「でも、ご飯は食べて。寝るのも。また、殿下に置いてかれる」
「……それは、困ります」
「じゃあ、食べて」
ヤオが焼き菓子を一つ手に取り、セレンの方へ押した。セレンはそれを受け取り、ひと口齧る。控えめな甘さが口の中に広がり、先ほどまで棘々しかった気持ちは落ち着いてゆく。
諦めなくてもいい。まだその言葉を素直に信じられるわけではなかった。それでも、もう少しだけ足掻いてみようと思った。
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