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12.役立たずでも諦めない-4
あくる日の午後、セレンはミハイルの執務室へ呼ばれた。
「失礼いたします」
「どうぞ」
部屋に入ると、以前にも増して多くの書類が机上に積まれていた。セレンが向かいの椅子へ腰を下ろすと、ミハイルは一通の書簡を机へ置いた。
「ルミナリアから回答が来たよ」
セレンは唇を噛んだ。
「結論から言うと、君が話してくれた内容と、こちらに残っている記録に矛盾はなかった」
やはり、そうなのか。
「第四王女が婚姻を拒んだあと、ルミナリア王家は君を代わりに送ることを決定している。その際、こちらには『第一王子本人から強い希望があった』と伝えている」
「……はい」
「で、なぜ黙っていたか、に対する回答だけど。君の体質については、婚姻交渉を担当した者が『同盟の成立そのものには影響しない情報と判断した』と回答してきた」
セレンは顔を上げた。
「影響、しない……?」
「随分と都合のいい回答だと思わないかい? 前回と回答が違うのも変だ」
ミハイルの声音は穏やかだが、わずかに圧があった。
「影響するかどうかを決めるのはこちらだ。相手国が勝手に決めて伏せていいことではない」
「……そう、ですね」
「もっとも、子を望めるかどうかだけで婚姻の価値を決めるつもりはない。ただ、問題はそこじゃないんだよ。交渉に必要な情報を意図的に伏せ、婚姻相手を変更した経緯について虚偽の説明をした。その二点が問題なんだ」
ミハイルの言葉はもっともだった。セレンは机の上の書簡を見る。
「父上は……なんと?」
「君を送ったことについては、『第一王子として国家に貢献する意思を尊重した』と」
聞いた覚えのない自分の意思だった。セレンはしばらく口を噤んでいた。
「……そうですか」
「怒らないのかい」
「わかりません」
それが一番正確だった。
「ただ……私なら、問題にならないと思われたのかと」
ミハイルの視線がセレンへ向けられる。
「第四王女を送らなければならない。けれどリネアが拒んだ。婚姻そのものを断れば、グランディオとの関係に影響する。でしたら、代わりになる者が必要です」
身も蓋もないことをそこまで口にすると、答えはひどく簡単に思えた。
「私なら、いなくなっても困らなかったのでしょう」
「それは君の推測だ。調査で確認できた事実と、君がそう考えることは分けた方がいい」
ミハイルは静かにそう告げた。
「ただし、君に事情を知らせず、婚礼直前まで婚姻そのものについて十分な説明をしなかったことは確認できている。少なくとも、君の意思を尊重したという説明が事実ではないことは明らかだ」
「はい」
セレンは組んでいた指をほどいた。
「それで……ルミナリアは、どうなるのでしょうか」
聞くのが怖くないと言えば嘘になった。自分をどう扱ったのかとは別に、そこには多くの民が暮らしている。リヴァルがたった一撃の魔法で大きく戦局を変えるのと同様、彼の言葉、サイン一つで、それと同じか、それ以上の影響をルミナリアに与えることができる。
ミハイルは一枚の文書を手に取った。
「同盟は維持する」
セレンは息をついた。
「……ありがとうございます」
「私に礼を言うことじゃないよ。破棄するより維持した方が、グランディオにも利益があると判断しただけだ」
ミハイルは続ける。
「ただし、現状のままでは維持しない。ルミナリア側による婚姻交渉上の不実を正式に記録し、王家から説明と謝罪を求める。加えて、同盟条約の一部を改定する」
「改定……」
「今後、王族間の婚姻を含む重大な取り決めについて、一方的な変更を認めない。変更が必要な場合は、理由と当事者本人の意思を文書で確認し、双方の承認を得ることを条件にする」
セレンは黙って聞いていた。
「それから、今回の件を理由にルミナリアの民へ負担を転嫁するような賠償は求めない」
「よろしいのですか」
セレンは顔を上げた。言葉は縺れるように転がり出てきた。
「今回虚偽の説明をしたのは、王家と交渉に関わった者だ。農民や商人ではない。彼らから税を取り立てなければ払えないような賠償金を要求して、なんになる」
ミハイルはセレンを見据えたまま、言葉を続けた。
「けれど、なにも失わずに済むわけでもない。これまでルミナリア側に認めていた一部の外交上の裁量は縮小する。共同事業や軍事協力についても、一定期間はこちらの監督を強める。信用を損なった以上、信用を前提に与えていたものまで同じ条件では維持できない」
「……はい」
「君の父上には、面白くない決定だろうね」
それでも、国が滅びるわけではない。誰の血も流れない。
セレンはそれだけで、胸に手を当てた。
「それと、もう一つ。君とリヴァルの婚姻についてだ」
ミハイルが別の文書を手に取った。セレンは改めて背筋を伸ばした。
「今回の虚偽があった以上、こちらには婚姻そのものの無効を主張する余地がある」
「……無効」
「ただ、基本はそうするつもりはない」
続いた言葉に、セレンとミハイルの視線が交錯する。
「婚礼当時の交渉には問題があった。しかし現在の君を、ルミナリアが差し出した婚姻相手としてだけ扱うつもりもない。今後この婚姻を続けるかどうかは、君とリヴァルの意思で決めればいい」
「私と、リヴァル様の……」
ミハイルは書類を机へ戻した。
「ルミナリア王が君を送ったからでも、私が同盟に必要だと判断したからでもない。続けたいなら続ける。どちらかが望まないなら、その時は改めて考える」
セレンは一瞬口を開いたものの、なんと言えばいいかわからなかった。
婚礼の日、自分にはなにも選べなかった。行き先も、相手も、出発する日さえ、自分で決めたものではない。気がつけばグランディオにいて、リヴァルの隣に立っていた。
それなのに今、その婚姻を続けるかどうかだけは、自分で選んでいいと言われている。
「……私は」
言葉が途中で途切れた。
リヴァルは今、遠い戦地にいる。
昨夜まで隣にいた人の姿を思い浮かべる。剣を握る大きな手も、不機嫌そうな赤い瞳も、自分を城へ残すと決めた時の声も。
そして、あの言葉も。
──お前との子なら、いてもいいと思っている。
やがて、小さく笑い声が漏れた。
「今すぐ答えなくていい。リヴァルが帰ってから、二人で話しなさい」
「……はい」
「あと」
ミハイルはそこで一度、咳払いをした。
「これは国王としてではなく、兄として言っておくけど。……あれは言葉が足りない。かなり」
「……そうでしょうか」
セレンがそう返すと、珍しくミハイルが困ったような顔をして笑った。セレンは首を傾げ、斜めになった視界でミハイルを見ていた。
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