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14.隣で-1

 兵士の一件から、さらに二日が経った。  その日もセレンは自室にいた。机には開いたままの本が置かれているが、昼を過ぎても十頁ほどしか進んでいない。以前なら半日もあれば読み終えていた厚さだった。  窓の外には薄曇りの空が広がっている。雪は降っていなかった。  セレンは本から顔を上げ、傍らの箱へ手を伸ばした。  蓋を開ける。銀色の髪留めと、何度も読み返した短い手紙が入っている。 『追伸:ちゃんと肉食って寝ろ』  最後の一文を読み、セレンは自分の昼食を思い出した。今日はスープとパン、それから肉も残さず食べた。 「……ちゃんと、食べましたよ」  遠く離れた本人へ届くはずもない返事をして、紙を畳む。  髪留めを手に取り、鏡の前へ移った。まだ慣れない手つきで髪をまとめ、銀細工を差し込む。二度目なので、前よりはうまくできた。  鏡の中には、いつもより高い位置で髪をまとめた自分がいる。青い石もよく見えた。  リヴァルが戻ってきたら、見せよう。そして、お礼を言おう。そう考えると、ほんの少しだけ気持ちが軽くなった。  その時だった。  廊下の向こうが騒がしくなった。何人もの足音が行き交い、遠くから兵士の声が聞こえる。なにかあったのだろうか。窓から見える範囲に異変はない。  セレンは扉へ向かう。取っ手に手をかけるより先に、廊下から声が聞こえた。 「リヴァル殿下がお戻りになったぞ!」  セレンの指が取っ手を握った。  聞き間違いかと思った。前線へ向かった部隊が戻るのは、まだ先だったはずだ。  扉を開ける。 「リヴァル様が?」  廊下にいた侍女が振り返った。 「はい。つい先ほど正門へ。先遣の騎兵とともにお戻りになったそうです」 「ですが、予定では……」 「私どもも今知ったところでございます」  セレンは返事を忘れた。  帰ってきた。  それだけを理解すると、急に目の前が明るくなったような気がした。 「ありがとうございます」  それを聞いたら部屋にいる理由もなくて、セレンは廊下へ出た。  数歩進んだところで、歩調が速くなる。走れば髪が崩れるかもしれない。そう思って一度は抑えたものの、次の角を曲がる頃にはまた速くなっていた。  髪留めを見せたい。手紙も受け取ったと伝えたい。  肉もちゃんと食べた。それから、噂のことも。  なにから話せばいいのかわからないまま、セレンは足早に外廷へ向かった。階段を下りたところで、正面から馬に乗った兵士の一団がやってくる。  先頭にいた男に、セレンは視線が外せなくなった。 「……リヴァル様」  声にした途端、足が速くなった。  黒い外套の裾には泥が跳ね、肩当てにも細かな傷がついている。戦場からほとんど休まず戻ってきたのか、顔には疲労が残っていた。それでも見間違えるはずがない。  リヴァルもセレンに気づいたらしい。赤い瞳が向けられて、目が合った瞬間、鋭かった戦士の顔が、わずかに和らいで見える。  セレンはその数歩手前まで来て、並んで歩く。リヴァルはディノの速度を落とす。馬上の彼を見上げ、声を掛ける。 「お帰りなさいませ。……予定より、お早いのですね」 「ああ。早く片づいた」 「左様ですか」  言いたいことはいくつもあったはずなのに、それ以上出てこなかった。  代わりに、帰ってきたのだという実感だけが遅れて押し寄せてくる。 「お怪我は」 「ない」 「本当に?」 「見ればわかるだろう」 「見えないところにあるかもしれません」 「ない」  リヴァルはきっぱりという。それならよかった。  やがて、リヴァルの目がセレンの顔から離れた。そのまま髪へと注がれる。 「セレン、それ」  セレンはすぐにわかった。リヴァルを見上げ、束ねた髪のひと房を持ち上げてみせる。 「いただいた髪留めです」 「使えたか」 「はい。最初は少し難しかったのですが、今日は一人でできました」 「そうか」  それだけだった。似合っているとも、綺麗だとも言わない。けれど、リヴァルはもう一度、青い石と、セレンの背中に流れる髪を見つめていた。 「気に入ったなら使え」 「はい。ありがとうございます」  その返事だけは、すぐに出た。 「このあと、陛下のところへ向かわれる途中でしたか」 「ああ。お前も来い」 「私も?」 「話がある」  なにについてなのかは聞かなかった。けれどリヴァルの顔を見れば、なんとなくわかった。

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