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15.決意-1

 翌朝、セレンが目を覚ました時、部屋はまだ薄暗かった。厚い雲に覆われた空から、青白い光だけが窓を通して差し込んでいる。もう雪の降る季節ではなくなっていたが、それでも気温はまだ肌寒かった。  隣では、リヴァルがまだ眠っていた。その体に昨日の名残を見つけて、急に恥ずかしくなったセレンはリヴァルに掛布をかけてやる。きっと寒いだろうから、なんて心の中で下手な言い訳をする。  セレンは枕に頬をつけたまま、その顔を眺めた。起きている時にはほとんど消えることのない眉間の皺が、今はない。戦場から戻ったばかりなのだから、疲れているのだろう。 『俺が、お前にここにいてほしいと思っている』  昨夜の言葉を思い出す。  ここにいていい。  それを、ずっと誰かに言ってほしかったのかもしれない。役に立つからでも、王族だからでも、オメガだからでもなく、自分にいてほしいと言ってもらえた。  セレンは寝具の中から手を伸ばした。黒い髪へ触れようとして、眠りを妨げるかもしれないと思い、指先を引っ込める。  代わりに身体を少し寄せ、眠っているリヴァルの唇へ自分の唇を重ねた。  昨夜してもらったものを、そのまま返すような短い口付けだった。  リヴァルは起きなかった。 「……お疲れなのですね」  起こさないよう声を抑え、セレンはリヴァルの寝顔をそのまま見つめた。眼光鋭く睨む様も、短く指示を飛ばす雄々しく低い声も、今は眠っている。好戦的だった顔つきは、年相応に見えた。  なぜか、その顔を見ていると安心した。  セレンはそっと寝台から抜け出す。身支度を整えながら、鏡台に置かれた髪留めを見る。迷った末に手に取り、長い髪をまとめた。もうすっかり手順を覚えていて、青い石はすぐに髪の上へ収まった。  鏡に映った自分を確かめる。  リヴァルは、自分にここにいてほしいと言った。自分も、ここにいたいと思う。その気持ちに、嘘偽りはない。  それでも昨夜から、もう一つの考えが消えてくれなかった。  セレンは眠るリヴァルを振り返ってから、音を立てないよう扉を開けた。  向かったのは、ミハイルの執務室だった。  朝早い時間だったが、国王はすでに執務を始めていた。取り次ぎを頼むと、ほどなく中へ通される。 「おはよう、セレン殿下。こんな時間に珍しいね」 「おはようございます、陛下。お時間をいただいてもよろしいでしょうか」 「もちろん。座って」  勧められた椅子へ腰を下ろす。ミハイルは読んでいた書類を閉じ、机の端へ寄せた。 「昨日の話について?」  セレンは膝の上で指を組んだ。 「はい。陛下に一つ、お尋ねしたいことがあります」 「なにかな」 「私とリヴァル様の婚姻がこのまま続いた場合、グランディオに不利益が生じる可能性はありますか」  ミハイルはすぐには答えなかった。 「……可能性の話なら、ないとは言えない」 「では、離縁した場合はどうでしょうか」  灰青の瞳がセレンを見た。 「セレン殿下」 「はい」 「君は、なにを考えている?」  やはり、わかってしまうらしい。 「今回の婚姻には、最初から問題がありました。グランディオが迎えるはずだったのは第四王女です。それをルミナリアは直前になって私へ変更し、その経緯についても虚偽の説明をしました。私の体質についても伝えていなかった」 「それはルミナリア王家の責任だ。君一人の責任じゃない」 「はい。ですが、私とリヴァル様の婚姻がその結果として成立したことは変わりません」  昨日聞いた話を、頭の中でもう一度組み立てる。 「ルミナリアへ制裁を課しても、私との婚姻が続けば、不正な経緯で成立した婚姻をグランディオ王家が容認したと考える者は残ります。それだけなら、まだよかったのかもしれません」 「まだ?」 「今は、リヴァル様の判断まで疑われています」  そこが、どうしても見過ごせなかった。 「以前の婚約では、相手方に問題があったことで婚約を破棄された。それなのに今回は、これだけの問題が判明しても私を伴侶として置いている。だからリヴァル様はオメガのフェロモンに惑わされ、正常な判断ができなくなっているのではないかと」 「そんなものは噂だよ」 「はい。ですが、それを利用しようとしている国があることも、昨日伺いました」  ミハイルは否定しなかった。 「私がリヴァル様の隣にいることそのものが、第二王子の判断能力を疑う材料になるのであれば、それはもう私だけの問題ではありません」 「だから離縁する?」 「婚姻を解消すれば、少なくともグランディオが今回の件を容認したという見方には、明確な答えを示せます」 「……政治的にはね」  ミハイルは椅子の背へ身体を預けた。 「でも、婚姻は政治だけで成立しているわけじゃない。少なくとも今の君たちは、もうそうじゃないだろう」  セレンの指先が、髪に挿した銀細工へ触れた。 「昨日、リヴァルと話した?」 「はい」 「なんと言われたのかな」 「……ここにいてほしいと」 「なら、リヴァルの意思は聞くまでもなさそうだ。……でも、君は?」  答えは、もう決まっていた。 「私も、ここにいたいです」 「だったら──」 「ですが、陛下」  セレンはミハイルをまっすぐ見た。 「私は、リヴァル殿下の王妃である前に、ルミナリアの第一王子です」  ミハイルは口を閉じた。 「王位継承権を外され、国政にも関わらせてもらえずに育ちました。それでも、私が第一王子として生まれた事実までなくなったわけではありません」 「……そうだね」 「リヴァル様の伴侶でいることも、私一人の望みだけで決められることではないと思います。この婚姻によって両国の関係が揺らぎ、グランディオ王家への信頼まで損なわれているのなら、それを知りながら自分がここにいたいという理由だけで残ることはできません」 「それが、王族としての君の判断?」 「はい」  迷いなく答えてから、セレンは髪留めへ触れた。 「……そう考えなければ、私はここにいたいとしか思えませんので」  セレンは言葉を継いだ。 「リヴァル様の伴侶でいるということは、私一人の望みでは決められません。あの方はグランディオの第二王子です。軍を率いる方でもあります。その立場まで、私のために傷つけるわけにはいきません」 「リヴァルは、それを承知した上で君を置くと言うと思うよ」 「わかっています。あの方は、そういう方ですから」  それが、嬉しかった。だからこそ、困る。ミハイルは長く息を吐いた。 「……私から離縁を命じるつもりはないよ。王として必要だと判断したなら別だけれど、今はそこまでの状況じゃない。対処する手段もまだある。君が身を引けばすべて解決する、なんて単純な話でもない」 「承知しております」 「それでも考える?」 「はい。……話は私から申し上げます」 「リヴァルは、怒るだろうね」 「そうでしょうか」  ミハイルはしばらくセレンを見ていた。やがて机へ肘をつき、眉間を指で押さえる。 「怒るよ。産まれた母は違えど、私の弟だからね」  断言されてしまった。 「それでも、私からお話しします」 「……わかった」  執務室を辞した頃には、城もすっかり朝を迎えていた。廊下を行き交う使用人が増え、窓の外では衛兵の交代が始まっている。  セレンは自室へ戻った。  扉を開けると、リヴァルはすでに起きていた。寝台の縁に座り、片手で黒髪を掻き上げている。 「どこへ行っていた」 「ミハイル陛下のところへ」 「朝から? なんの話だ」  リヴァルの目が鋭くなる。  セレンは扉を閉めた。  隠しても仕方がない。そもそも、自分から話すとミハイルに約束したばかりだ。 「リヴァル様」 「なんだ」 「私と、離縁していただけませんか」

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