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15.決意-2
返事はなかった。
リヴァルはセレンを見ていた。聞こえなかったのかと思うほど長く黙ったあと、低い声が返ってくる。
「……なにを言っている。なぜ急に、そんなことを」
「考えたのは、昨日今日の話ではありません。ただし、決定打になったのは昨日の話です」
「……兄上は、なんと言った」
「陛下から命じるつもりはないと」
「なら話は終わりだ。お前はここにいろ」
「終わりではありません」
「俺は離縁する気はない。兄上も命じていない。なにが残っている」
「私の意思が残っています」
リヴァルの顔つきが変わった。
「お前、本気で言っているのか。俺が昨夜なんと言ったか、覚えてるのか?」
「覚えております」
「俺がここにいてほしいと言った時、お前は嫌だと言ったか」
「いいえ」
「俺が帰ってきて嬉しいとも言ったな」
「はい」
「なら、なぜ一晩で離縁になる」
セレンは自分の考えをリヴァルに伝えた。婚姻そのものへの疑念が王家へ向かっていること。他国までグランディオの内情を探り始めていること。そして、リヴァル自身が正常な判断を失っていると疑う者まで出ていること。だが当然、リヴァルは強く首を振る。
「だからなんだ。俺がお前を置くと決めた。それで終わりだ」
「終わりにはできません。貴方は王子なのですよ」
「知っている」
「でしたら──」
「王子なら、自分の伴侶も選べないのか」
セレンは口を噤んだ。
「俺はお前がいいと言っている。兄上も認めている。それでなにが足りない」
「民の信頼があります」
「取り戻せばいい」
「他国は」
「黙らせる」
「どうやってですか」
「それを考えるのが兄上とノエだ」
あまりにも迷いなく言われ、こんな時でなければ困っていたかもしれない。
「私は、貴方の立場を危うくしたくありません」
「俺の立場を勝手にお前より上に置くな」
「ですが」
「それに、昨日も言ったはずだ。俺がお前を信じているのは俺の意思だ。誰になにを言われようが変わらん」
なにを言っても、リヴァルは退かなかった。
それなら、とセレンは別のことを口にした。
「ではいずれ、別の方をお迎えになればよいと思います」
「は?」
「今度は、グランディオの民にも祝福される方を。正式な手続きを踏んで、なんの疑いもない婚姻をなさってください」
「断る。誰だろうが断るからな、俺は」
「それから、その方との間にお子を──」
「セレン」
名前を呼ばれた。
低く、唸るような声だった。
「それ以上言うな」
けれどセレンは黙らなかった。
「私は、見てみたいです。リヴァル様のお子を」
リヴァルの眉間に皺が寄る。それでも、セレンは止まらなかった。
「きっと可愛らしいと思います。髪は貴方と同じ黒でしょうか。瞳も赤いのでしょうか。それとも──」
「黙れ」
セレンは口を閉じた。
「俺は、お前がいればいい。……そもそも、俺がいつ子を望んだ」
セレンは記憶をなぞる。それは、初めてこの部屋を訪れた夜にも言われた。
『俺はお前とのあいだに子を求めるつもりはない』
あの頃とは、二人の関係も随分変わった。それでもリヴァルにとって、子を持てるかどうかがセレンを伴侶にする条件ではないことだけは、最初から変わっていない。
それでも、羨ましかった。フィルとミハイルの関係も、番の痕も、子供も。
それが眩しくて、苦しかった。そのすべてを、自分には望めない。
リヴァルは首を振り、立ち上がってはセレンに迫る。
「俺の次の相手も、子供も、お前が勝手に決めるな。国がどうだ、民がどうだ、俺の立場がどうだとそればかりで鬱陶しい。お前はどうしたい」
ミハイルにも、同じことを尋ねられた。当然、答えは決まっている。
ここにいたい。
リヴァルのそばにいたい。帰ってくるのを待っていたい。また剣を教えてほしい。戦場へ行くなら、今度こそ隣で役に立ちたい。もらった髪留めも使いたい。昨夜のように、同じ寝台で眠りたい。
自分の気持ちなど、とうにわかっていた。
それを言えば、この人は絶対に離してくれないことも。
「……噂が、怖いのです」
リヴァルの眉が寄った。
「なに?」
「また、あのように言われるのではないかと思うと、怖いのです。廊下を歩くのも、図書室へ行くのも、誰かと話すのも」
全部、嘘ではなかった。
兵士に怒鳴られた時は怖かった。誰かの声が途切れるたび、自分のことを話していたのではないかと考えるようにもなった。怖い。それは事実だ。
けれど口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。
「……私は、疲れました」
リヴァルが息を飲む音が聞こえた。
「ずっと、国のためにどうすればいいのか考えてきました。こちらへ来てからも、私が問題を起こさないように、リヴァル様のご迷惑にならないように……」
「……」
「でももう、なにをすれば正しいのか、わからなくなってしまいました」
リヴァルの赤い瞳は静かだったが、その奥にはなにか苛立ちのようなものが燃えているように見えた。けれどリヴァルは目を細め、ともすれば睨むようにセレンを黙って見ている。
「ですから、祖国へ帰りたいのです」
「……俺のそばに、いるよりか」
その問いかけはゆっくりで、声は震えていた。
セレンはしばらく、答えられなかった。
ここで頷けばいい。この人が自分を守ろうとする理由を、自分からなくしてしまえばいい。
「そうです」
口にしてから、セレンは自分がまた嘘をついたことを理解する。
婚礼の日と同じだった。あの時も、自分の望みではないことを、自分の望みであるかのように口にした。
ぎゅうと、胸がたまらなく締め付けられる。堪えていなければ、なにかが溢れてしまいそうだった。
「セレン、こっちを見ろ」
リヴァルに名前を呼ばれて、顔が近付く。顔に手が伸びてくる。口付けをしようとしているのだと気が付いて、セレンは咄嗟に顔を背け、一歩、後ずさった。
「セレン!」
もう一度、強い声で呼ばれる。だがセレンは、答えなかった。
怒鳴られると思っていた。けれど返ってきたのは、長い沈黙だった。
やがて熟れた柘榴よりも濃い色をした瞳が、セレンの髪へと注がれた。そこには今朝、自分で挿した髪留めがある。
「……そうか」
それだけをそっけなく言って、リヴァルが扉へ向かう。見慣れたその背中は、いつもと違って、どこか遠く見えた。
「リヴァル様」
つい、名前を呼んでしまった。
振り返った顔を見て、セレンは言葉を探した。けれど、もう遅かった。
「勝手にしろ」
そんな言葉を残して、最後に扉が閉まった。セレンはその場に残されたまま、閉じた扉を見つめる。
髪に手を伸ばす。指先が青い石に触れた。
昨夜、この人にここにいてほしいと言われた。今朝は眠っている唇へ、自分から口付けまでした。
それなのに、ほんの少し前、自分の口で「そばにいるより帰りたい」と言った。
髪留めを外そうとしたが、指先は石みたいに固まったまま、ほどくことはできなかった。
結局そのまま、セレンは閉じた扉を見ていた。
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