55 / 74

16.祖国にて-2

 荷物が届いてからしばらくして、扉が叩かれた。 「セレン殿下。国王陛下がお呼びです」 「わかりました」  衣装箱へ収めかけていた服から手を離し、セレンは立ち上がった。旅装のままでは父の前へ出られない。荷物から衣服を取り出し、グランディオを発つ際に着ていたものへ着替える。  鏡はなかった。髪を指で整え、髪留めをつけて扉を開ける。 「お待たせしました」  迎えに来た従者が先に歩き、セレンはその後ろをついていった。  地下から地上へ続く階段を上がる。すれ違った使用人がこちらを見る。二度見する者もいた。顔を知っている者なのか、第一王子が帰ってきたと聞いていた者なのかはわからない。  セレンはその視線を受けたまま、廊下を進んだ。  歩みを進めるたび、グランディオの城内を歩いていた頃のことを思い出した。図書室へ向かった道。食堂へ行った道。ヤオを連れて中庭へ出たこともあった。  グランディオの日々は、楽しかった。  それを知ってしまった今、この城の廊下は以前とは違って見えた。 「こちらでございます」  従者が足を止めた。金の装飾が施された、両開きの扉が開かれる。  大広間の奥には父がいた。高い位置に設けられた玉座も、その左右に並ぶ柱も記憶にある。幼い頃、式典のたびに遠くから眺めていた場所だった。いつしか、セレンの入る場所ではなくなったところ。そして、結婚の申し出を告知されたところ。  セレンは広間へ入り、中央をまっすぐ進む。人払いがしてあるのか、他には誰もいなかった。  玉座の前まで来て、礼をする。 「国王陛下。ただいま戻りました」 「……顔を上げろ」  セレンは顔を上げた。こうして目を合わせて話すのは、結婚の話をされた時以来だった。けれどその顔は、記憶にあるよりも年老いたように見えた。  父もまた、しばらくセレンを見つめたのち、重々しげに口を開いた。 「随分見違えたな。グランディオでは、よほどよい暮らしをさせてもらったらしい」 「はい。皆様には、とてもよくしていただきました」  父の眉がわずかに動いた。 「その割には、追い返されたようだが」 「追い返されてはおりません」  セレンは父を見つめ返す。 「では、なぜここにいる」 「離縁したためです」 「それを追い返されたと言うのだ」 「いいえ」  以前なら、そこで黙っただろう。父がそう言うなら、自分の認識が間違っているのだと思ったかもしれない。  けれど今回は違った。 「グランディオ王家から離縁を命じられたのではありません。──決めたのは、私です」  父は黙った。やがて、物々しく唇が開く。 「……お前が? 自ら、離縁を望んだというのか」 「はい」  人のいない広間は、より一層静かになった。父は自分を見ている。その目に浮かんでいるものがなんなのか、セレンにはわからなかった。ただ、聞いた言葉の意味を確かめるような顔だった。 「グランディオは、それを認めたのか? 第二王子もか?」  そこでセレンは答えるまでに少し時間がかかった。 「はい。最終的には、ですが」 「婚姻の件について、向こうから追及があったはずだ。それでも、お前は処罰されなかったと?」 「グランディオは、婚姻交渉におけるルミナリア側の説明と、私が婚礼の日についた嘘を分けて扱いました」 「同盟は」 「維持されております」  父の表情がさらに険しくなった。  婚姻は解消された。それでも同盟そのものは維持され、グランディオからルミナリアへ軍事的な報復が行われることもない。少なくとも、最悪の結果は避けられたはずだった。 「……なにを考えている。なぜ、戻ってきた。グランディオの王や第二王子から、なにか言われたのではないのか」  父は玉座からセレンを見下ろしていた。 「いいえ」 「ならば、なにをするつもりだ。……まさか、私に復讐でもするつもりか」  父が鼻を鳴らして笑った。頬杖をついてこちらを見下げる顔に、セレンは思わず眉を寄せる。 「復讐、ですか?」  本当に思い当たるものがなく、セレンは小さく唸る。  恨めしい気持ちが、まったくないと言えば嘘になる。だがここへ来たのは、少なくとも父のためではない。リヴァルと、そして自分のためだ。 「まさか。父上に復讐するつもりはございません」  首を振り、笑う。そして父を見た。 「私は私の意思で、離縁した方がお互いにとってもよいと判断したのです。むしろ、リヴァル様との婚姻については、父上に感謝しております」  父がわずかに気色ばむのが見て取れた。 「なに?」 「婚姻に至るまでの経緯が正しかったとは思っておりません。グランディオへ事実を伝えなかったことも、私が婚礼の日に嘘をついたことも、なかったことにはできません」  一度、息を整える。そしてセレンは続けた。 「リヴァル様は、父上のように、産まれ付き役立たずだと決めつけて、塔へ幽閉することなく、私をお認めになりました。なぜ、私を信じてくださらなかったのです。グランディオの方々にも私の体質のことを隠して婚姻を結ぶなど、言語道断です」 「そうでなければ、お前は外に出られなかっただろう」 「……では、なぜ私が望んだことにしたのですか。私が自分から婚姻を望み、自分の体質についてもグランディオへ説明したことにすれば、今回のことはすべて私自身の判断だったことになります」  父王は答えなかった。 「婚姻交渉でルミナリアがなにを伝えたのかではなく、私がなにを言ったのかという話にできる。もしグランディオとのあいだに問題が起きても、王家ではなく私一人の責任にできるからでしょう」 「……」 「違いますか」 「王家を守るためだ」  ようやく父の言葉が聞こえた。その言葉に、セレンはもう一度父を見据える。 「……王家を?」  ある程度予想はしていたが、思わず拳が震えた。 「では、父上は私一人を切り捨てれば、王家を守れるとお考えだったのですね」 「お前は第一王子だ。王族として、国のために役に立つことが求められる」 「それなら、なおさら理解できません」  セレンの声は静かだった。 「私は王子である前に、父上の息子です」  父王の眉が動く。 「私が生まれつき役に立たないとお考えなら、そうではないと示す機会をくださればよかった。婚姻の話をする前に、私自身に説明させてくださればよかったのです」  セレンはそこで言葉を切った。 「それをせず、私の知らないところで話を決め、最後には私が望んだことにされた。それで王家を守ったと、本当にお思いですか」  父王の唇は動かない。 「幸い、グランディオの王家の方々は、私のことを信じてくださいました。私がなにも知らされていなかったことも、私が意図して国を欺いたわけではないことも」  セレンは父から目を逸らさなかった。 「ですが、もし信じていただけなかったら。もしグランディオがルミナリアへの報復を選んでいたら。父上は、それでも私一人の責任だと仰るおつもりでしたか」  そこで初めて、父王の表情が揺れる。 「……私は、王として正しいことをなさったとは思いません」  セレンはそう告げた。  父王は答えなかった。後ろめたさの滲む目が、セレンに注がれる。それでもセレンは俯くことなく、父王を真っ直ぐに見つめ返す。 「……もう、私は、私のことを恥ずかしいとは思いません。ご安心ください。ここに戻って来たからには、仕事を見つけ、第一王子としての責務を果たすつもりです。政治なり兵站なり、私にできることを」  沈黙が訪れる。 「お前は……」  父はなにかを言いかけ、やめた。セレンはその続きを待ったが、言葉はなかった。  ややあって、セレンを見つめる眼力が弱くなる。 「もうよい、下がれ」 「はい。失礼いたします」  セレンはそう言って頭を下げ、玉座へ背を向けた。

ともだちにシェアしよう!