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19.あの日の続きを-2
◇ ◆ ◇
アルバを手に入れてから、旅は目に見えて早くなった。徒歩では一日かけていた距離を、半日ほどで進めるようになった。セレンはアルバの様子を見ながら休憩を挟み、北へ向かった。
グランディオで乗馬を習った頃は、自分が一人で国を越えるためにその技術を使うとは考えもしなかった。蹄や馬具を確かめることも、水を飲ませる頃合いを考えることも、兵士やリヴァルに教えられたことを思い出せばどうにかなった。
「もう少しですから、一緒に頑張ってください」
首筋を撫でると、アルバはぶるると鼻を鳴らす。
国境までの距離を示す標識を見るたび、グランディオが近づいていることがわかる。それにつれて、これまで考えないようにしていたことも頭から離れなくなった。
リヴァルに会ったら、なにを言えばいいのだろう。
帰りたいと思ったからルミナリアを出た。それでも、会いたくてここまで来た。けれど、離婚を申し出たのも自分であり、リヴァルが今も自分を受け入れてくれるとは限らない。
そもそも、会ってくれるのだろうか。ようやく辿り着いたところで、もう会いたくないと言われたら。この髪で、自分だと気づいてもらえなかったら。
今の自分を見て、もし知らない人間を見るような顔をされたらと思うと、せっかく軽くなったはずの首元まで重く感じられた。
一番胸が苦しかったのは、リヴァルはもう次の婚姻を考えているのかもしれない、という可能性だった。彼はああは言ったけれど、グランディオほどの大国となれば、自分の娘を嫁がせたい王家や貴族などごまんといる。セレンは手綱を握る手が妙に汗ばむのを感じた。
……それでも。リヴァルが側室を迎える準備をしていたとしても、自分にはなにも言えない。離婚を選んだのは自分なのだから、リヴァルがその先へ進むことまで止める権利はない。
そう考え直して、セレンは手綱を握り直した。
「……会わなければ、わかりませんね」
ただ、会って話をしたい。顔が見たい。声が聞きたい。それだけで十分だとは言い難い自分の本音に気付きながらも、セレンはとにかく北へ急いだ。次の国境まではあと一日ほどかかる。グランディオは、まだ遠い。
その日の午後、街道は緩やかな丘陵地へ入った。ここを越えれば次の宿場があり、その先でようやくグランディオとの国境がある。
セレンは逸る気持ちを抑えながら、アルバに無理のない速度で足を急がせた。
丘を越えたところで、セレンは前方から近づいてくる馬影に気づいた。
南へ向かう旅人だろうと思い、そのまま道の端へ寄ろうとする。ところが距離が縮まるにつれて、セレンの意識は騎手ではなく馬の方へ引かれた。
黒い馬体が、街道をこちらへ駆けてくる。その姿には見覚えがあった。
「……ディノ?」
口にした途端、そんなはずはないと思った。ディノがいる理由などない。けれどその馬はグランディオで何度も見て、自分もその背に乗った馬だった。
ならば、あの馬に乗っているのは。
セレンは目を凝らした。風に翻る外套。その下に見える黒髪。馬上で前を向く凛とした姿勢まで、よく知っている。
「リヴァル様……?」
アルバの歩みを緩める。向こうでもこちらに気づいたらしい。ディノの速度が落ち、やがて騎手の顔がはっきり見える距離まで近づいた。彼が目を見開く。紅玉のように赤い瞳が、ついに自分を捉える。
──リヴァルだった。
どうしてここにいるのかという疑問より先に、胸の奥から込み上げてきたものにセレンは言葉を失った。
会いたかった。
城を出て、本を売り、髪まで切ってここまで来た。それなのに、ずっと先にいるはずだった人が、自分の方へ向かってきている。
「セレン?」
ずっと聞きたいと望んでいた低い声に、どうしようもなく胸が高鳴った。
「……はい」
返事をした声は震えていた。リヴァルはさらに近くまでディノを進めてくる。視線がセレンの顔を確かめ、それから露わになった首筋と短くなった白灰色の髪へ移る。
「お前……髪、どうした」
あまりの衝撃に、どこかぎこちない質問になる。セレンは笑いたいのか泣きたいのか、自分でもよくわからないながらもリヴァルの問いに答える。
「はい、切りました」
「見りゃわかる。なんでだ」
「旅費が足りなくなりましたので、売りました」
「は?」
セレンは鞍の前へ手を置いた。説明を求められているのだと思い、ここへ来るまでのことを順に思い返しながら話そうとする。
けれどその時、遠雷が響いた。
空を見上げると、発達した巨大な入道雲が空一面を覆っていた。セレンの髪より暗い灰色のそれにどこかかび臭いような土の匂いを感じる。
「……急ごう。半刻ほど戻ったところに宿がある」
リヴァルに促され、セレンは「はいっ」と勢いよく返事をした。ディノと並んでアルバを走らせたが、空はどんどん暗くなり、雲行きが怪しくなって行く。
不意に、ぽつ、と頬を濡らす冷たいなにかがあった。雨だ、と気付く間もなく、降り注ぐ無数の矢のように雨が落ちてくる。今更外套を羽織ったところで、もう意味はなかった。
大雨の中、リヴァルと言葉を交わす余裕もなくただ馬を走らせる。どれぐらい経っただろう、不意にリヴァルがディノを止めた。
「セレン、この宿に入ろう。いいな?」
リヴァルの指差した宿を見て、セレンはこくりと頷いた。
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