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第4話 憎まれ口の裏側と、火の邸宅
建設現場から少し離れた石畳の先に、炎を抱く獅子の紋章が掲げられた馬車が待機していた。
疲れたから静かにしてくれと言った手前、ヴィートは気まずくて眠ったふりをしていた。
「ヴィート?」
ルドガーはヴィートを背負ったまま馬車へ乗り込み、座席へ慎重に下ろした。
鼻先にルドガーの指が微かに触れて、彼がヴィートの呼気を確認していることが分かった。
(……そこまで重症じゃねえよ)
てっきり向かい合って座るのだとばかり思っていたが、ルドガーはなぜかヴィートの隣に腰掛けて馬車の扉を閉めた。
肩が触れそうで触れない位置に並んだまま、馬車はゆっくりと進みだした。
「ん……!」
ガタン、と馬車が段差を越えて大きく揺れ、ヴィートは思わず呻き声を上げた。
と、ルドガーがさっと体を寄せて、ヴィートの体が傾かないように肩を抱いて支えてくれた。
(ええええ〜っ!? ちょっと、何だよ急に……)
ドクン、ドクン、ドクン――
ルドガーの胸元近くに押しつけられた耳に、力強い心臓の鼓動が響いてくる。
それに呼応して、ヴィートの全身を巡る水の魔力も、同じように脈打ち始めた。
元々の持ち主の鼓動に合わせて、深く、それでいて少し速く。
冷たくて気持ちいいのに、どこか温かい気もする、不思議な水の感触だった。
(何だよ。柄にもなく優しいことするから、こっちも調子狂うじゃんかよ……)
さすがにこの状況で目を開けるわけにもいかず、ヴィートはされるがままに彼の肩に寄りかかって目を瞑っていた。
ぬるま湯に浸かっているような心地良さと、規則的な馬車の揺れも相まって、ヴィートは再びうつらうつらとまどろみに落ちていった。
◇
「――様、そちらのお方は?」
「学院時代の友人だ」
人の話す声が遠くから聞こえた気がして、ヴィートはぱちっと瞼を開けた。
いつの間にか馬車は止まっていて、扉の向こうからルドガーのくぐもった声が響いてくる。
「父上たちは?」
「今夜は夜会で、遅くなると聞いております」
「なら、俺から明日説明する。夕食は俺の部屋に運んでくれ」
「かしこまりました」
ギイッと馬車の扉が開いて、夕陽のような赤毛のルドガーが顔を覗かせた。
「起きたのか」
「あ、ああ。今起きたとこ」
「俺の背中で寝てから、結局一度も起きなかったな。肉体労働は向いてないんじゃないのか?」
「うるさい、別に――」
軽く小馬鹿にしたような口調で言われて思わず言い返したが、馬車での彼の行動が一つずつ思い出されて、ヴィートはぐっと言葉に詰まった。
もじもじしながら下を向いたヴィートを、ルドガーは不審げに目を細めてじっと見ている。
「なんだよ」
「……なんでもない」
(なんだよ、はこっちのセリフだっつーの。俺が寝たふりしてた時は――)
呼気を確認したり、倒れないように支えてくれたり。一つ一つの手つきが、まるで壊れ物を扱うかのように優しくて、今の憎まれ口との落差に正直戸惑ってしまう。
「ほら、起きたんならさっさと降りろ」
「俺に命令すんな」
「はぁ? わざわざお願いしろってか?」
「言われなくても降りるっての」
意地になって勢いよく扉から足を突き出した瞬間、足からガクンと力が抜けて、ヴィートはうっかり足を踏み外しかけた。
「うわっ!」
「おい!」
怒ったような声と同時に、ヴィートの体は力強い腕にぐいっと抱き止められていた。
「あ、ごめん……」
「何やってんだよ」
口調は厳しいのに、ルドガーはゆっくりと慎重にヴィートの足を地面に下ろした。
「歩けるか?」
「じ、自分の足で歩くし!」
また「時間の無駄だ」と言われるかと思ったが、ルドガーは今度は大人しく手を離してくれた。
(もう屋敷に着いたから、焦る必要もないってことなのか?)
馬車で少しは休めたおかげか、軽く体を伸ばした後はふらつかずに歩くことができた。
少しだがルドガーの水のおかげで、朝よりずっと気分も良くなっている。
ルドガーは、石造の堅牢な屋敷の正面玄関へは足を踏み入れず、灌木の植えられた裏庭をぐるっと回って裏口へと向かった。
「なんでわざわざ裏口から……」
言いかけて、ヴィートはとっさに口をつぐんだ。
日雇いの作業着。砂埃にまみれた髪。水切れで荒れた肌。
正面玄関から入れる客ではない。そう思われても仕方がなかった。
立ち止まったヴィートの背を、ルドガーが促すように押した。
「ルドガー?」
「裏口の方が俺の寝室に近いんだ。俺はいつも裏口を使ってる」
「あ、そう……」
ほっと息を吐きかけて、ルドガーに気を遣われたことに気がついたヴィートははっと顔を上げた。
(いや……別に、俺が頼んで連れてきてもらったわけじゃないし!)
「ほら、さっさと入れ」
「だから命令すんなって」
エイムズ邸は、バスク邸にも引けを取らない堂々たる石造りの邸宅だった。バスク邸が木材と優美な曲線を多用した屋敷なのに対して、エイムズ邸は壁も柱も頑丈な石で作られている。
(この建物なら、燃える心配はなさそうだな)
つい感心しながらきょろきょろと辺りを見回していると、ルドガーに袖口を軽く引かれた。
「こっちだ」
ヴィートが部屋に入った瞬間、木製の扉がバタンと閉められた。
白い石壁は、窓から差す夕暮れの薄明かりを拾って、ぼうっと浮かび上がっている。
ルドガーがランタンに火を入れると、急に辺りが明るくなった。
「へぇ、お前植物なんか育ててるんだ。意外」
「うるさい」
寝台横の出窓に、茶色い小さな植木鉢が並んでいる。植えられているのは、飾り気のない小さな葉物だった。緑の葉は青々と精気に満ちていて、きちんと持ち主が手入れしていることが窺えた。
ルドガーの指示通り、執事らしき人物が食事を部屋まで運んできてくれた。
温かい食べ物が胃に入ると、再び気怠さと眠気が押し寄せてくる。
「湯を使うか?」
「う〜ん、今はちょっとしんどいかも」
「分かった。今日はとりあえず休め」
(だから命令すんなって……)
言い返す気力もなく、ヴィートはのろのろと立ち上がった。
「じゃあ、俺はどこで寝たらいい?」
「そこだ」
「……え?」
ヴィートは思わず、硬そうな絨毯の敷かれた床に視線を落とした。
「そっちじゃない。ベッドを使え」
「え、じゃあお前は?」
「俺も一緒に寝る」
「え、でも俺、体洗ってないんだけど」
ヴィートは何の気なしにそう言ったのだが、ルドガーはなぜだか一瞬言葉に詰まった。
「……そういうこと言うなよ」
「あ? なんか言った?」
「なんでもねえよ! 別に恋人と寝るわけでもなし、俺に気を遣う必要なんかないだろ?」
「いや、俺は一緒に布団に入る奴が肉体労働の後とか、普通に嫌なんだけど」
「俺はそんなに器の小さい男じゃねえから平気だよ!」
「言ったな!? ベッドが砂だらけになっても文句言うんじゃねえぞ!」
ヴィートは足音も荒く、天蓋付きの広々とした寝台の前まで足を運んだ。
勢いで言ってはみたものの、真っ白で綺麗なシーツを目の前にすると、そこに寝転がるのはやはり気が引けた。
「……あのさ、俺、やっぱり床で――」
背後から軽々と横抱きにされ、ヴィートは思わず息を呑んだ。
「ちょっ――!」
次の瞬間、ふかふかの寝台へ仰向けに下ろされ、ルドガーの紫の瞳が間近に迫っていた。
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