5 / 23
第5話 ルドガーの怒りと、首筋への問い
思わずパチパチと目を瞬いて見上げると、こちらを見下ろす紫色の瞳とかち合った。
(え……)
キリアンの寝室での出来事が、ふっと脳裏に蘇る。
疲れた表情で仕事に向かおうとしていたヴィートを、キリアンが気まぐれに呼び止めたことがあった。
『稼ぐのが大変なら、これを着て私をその気にさせてみてはどうだい?』
そうして足元に投げ出されたのは、無駄に上質な、透けるほど薄い白絹の夜着だった。
肌を隠すためではなく、見る者の欲を煽るためだけに作られたような布だ。
『体の中心、根から吸い上げるのが一番効率がいいのだろう? 君の一族は、そういう作りをしている』
(げっ……!)
このタイミングで一番思い出したくない光景を思い出してしまい、ヴィートの頰にかっと血が上った。
「ちょっ……離せよ!」
ルドガーは感情の読み取れない瞳でこちらをじっと見下ろしていたが、やがてヴィートの両脇についていた手を引き、ゆっくりと起き上がった。
それから彼は掛け布団をヴィートの胸元まで引っ張り上げると、自分はギシッと音を立てながら寝台を降りた。
(よかった……って、別にこいつが何かするとか思ったわけじゃないけど。変なこと思い出しちまったから、つい――)
気まずさを紛らわすように、ヴィートは軽く咳払いをしてから、わざとぶっきらぼうな口調でルドガーに話しかけた。
「お前ん家ってこんなに広いのに、客間とかないわけ?」
「あるに決まってんだろ」
「そりゃそうか。まあ俺なんかに貸す部屋は無いってことだよな」
半分本気で冗談っぽく笑いながら言うと、ルドガーは一瞬考えるように間を置いた。
(お? さすがのこいつもそこまでは言いづらいか――)
「一人で寝かせるのは……」
ルドガーはそこで一旦口を閉じると、はぁ〜っと大きくため息をついてからヴィートをぎろりと睨みつけた。
「うちで突然死でもされたら厄介だからな。見張りだ」
そう言い捨ててから、ルドガーはズカズカと出口に向かって大股に歩き出した。
部屋を出る前に、ルドガーはもう一度振り返ってヴィートをじっと見た。
「先に寝るのは勝手だが、俺が戻ってくるまでちゃんと息しとけよ」
バタン、と閉まった扉を、ヴィートはポカンと口を開けて眺めていた。
(……何言ってんだあいつ。だからそこまで重症じゃないっつーの)
もそもそと体の向きを変えて枕に顔を押し付けると、微かに残っているルドガーの匂いが鼻先に触れた。
なぜだろう。不思議と心地良くて、安心する。
自分の体に、ルドガーの水が巡っているせいだろうか。
枕にぎゅっと頬を寄せて目を瞑ると、その日何度目かも分からない眠気が襲ってきて、ヴィートはそのまま深い眠りに落ちていった。
◇
久しぶりに深く眠ったヴィートは、清々しい気分で朝を迎えた。
(他人の屋敷なのに……ぐっすり眠ってしまった)
すん、と爽やかな石鹸の香りが鼻腔をくすぐって、ヴィートはゆっくりと目を開けた。
整った顔立ちの赤毛の青年が、こちらを向いて穏やかな寝息を立てている。
(うわ、マジでこいつと一緒のベッドで寝たんだ)
ルドガーはきちんと清潔そうな夜着に着替えていた。ちゃんと体も清めてから寝床に入ったらしい。
(そういえば、寝てるところって初めて見たかも)
いつもの鋭い眼差しが影を潜めると、少しだけ顔つきが優しく見えた。
(あ、クマ発見。疲れてるのかな?)
思わず身を乗り出してじっと見入っていると、人の気配に気がついたのか、長いまつ毛が微かに震えた。
慌ててヴィートが顔を引くのと同時に、ルドガーがぱっと両目を開けた。
「……起きてたのか」
「お、おはよう」
反射的に挨拶すると、ルドガーはゆっくりと上半身を起こして大きなあくびをした。
「……お前もしかして、あんまり寝られなかった?」
「別に」
「だから言ったろ。やっぱり布団が砂だらけになって、寝づらかったんじゃ――」
「お前が隣で冷たくなってないか、時々確認してただけだ。エイムズ家の屋敷で変死体を出すわけにはいかないからな」
「お前昨日からずっとそんなこと言ってるけど、俺そんなにひ弱そうに見えるわけ?」
大きく伸びをしていたルドガーは、急に真顔になってこちらを振り返った。
「お前、気づいてないのか?」
「え?」
「最後に会った時より、痩せてるし顔色も悪い」
「あ、マジで? それは気づかなかった。毎日同じ顔を鏡で見てるからな〜」
「ちゃんと食わしてもらってるのか?」
「それはもちろん」
ルドガーの眼光が、途端にすっと鋭くなった。
「じゃあ、水か」
急に表情が険しくなったルドガーに、ヴィートは軽い恐怖を覚えて思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「や、その……」
「いつもどれくらいの頻度で水をもらってる?」
「い、いつもは週に一回くらい、手の甲からもらってるんだけど、今月はちょっとお互い忙しくてすれ違っててさ。一ヶ月くらい空いてて――」
「週一だと?」
ルドガーが急に大声を出したため、ヴィートは驚いて布団の上でビクッと飛び上がった。
「な、なんだよ急に」
「属性が発現したばかりの頃はそれでいいが、もう一年以上経ってるんだぞ? 週に一度じゃ、倒れない程度にしか保てない。今のお前なら、手の甲からの供給は毎日必要なはずだ」
「や、まあ、なんとかなってたし――」
「医者には定期的にかかってたのか? その様子だと、ずっと本調子じゃなかったはずだ」
「や、別に必要ないかなって……」
本当は、キリアンに頼み事をするのが嫌で、それで受診していなかったのだ。
(自腹で受診するお金なんかなかったし……)
それに、キリアンにそんなことを頼めば、また水の値段が上がってしまう。
「てかルドガー、なんでお前そんなに詳しいんだよ」
「忘れたのか? 俺は属性管理局の職員なんだぞ」
「あ、そっか」
ルドガーはギリギリと歯軋りしながら、いきなりヴィートの乾燥した手首をぐいっと掴んだ。
「ちょ、ちょっと……!」
思いのほか強い力に、再び軽い恐怖を覚える。
(大人になって落ち着いたように見えたけど、やっぱり短気なところはあんまり変わってない気がする……)
ヴィートの表情を見て、ルドガーは一旦手の力を緩めたが、それでも表情は厳しいままだった。
「ようやく納得がいった。お前今、慢性的な水不足に陥ってるぞ」
白い粉を吹いた手首を指でなぞられて、ヴィートは微かに身を捩った。
「そんな、大袈裟な」
「とりあえず応急供給が必要だ。口開けろ」
「えっ?」
ギシッと寝台が鳴る音に、ヴィートはルドガーの意図を察してはっと我に返った。
「ちょ、ちょっと待った!」
慌てて抵抗するようにルドガーの両肩を抑えると、顔の前まで迫っていたルドガーはすぐに動きを止めた。
「待って! 応急供給って……その、水を入れるってこと?」
「そうだ」
「それって、口から?」
「下から入れるか?」
「ちょっ!」
ルドガーの言葉の意味を理解して、ヴィートの頬にさっと血が上った。
「お前っ! そ、そういうの、平気なのかよ?」
「あ? 緊急だってのに、そんなこと言ってる場合か?」
「や、だったら手からでも――」
「手からじゃ一度に入る量も少ないし、巡りも遅い。口からの供給なら新しい跡も付かないから、都合がいいだろ」
跡、というのは、昨日皮膚の上に現れた花の模様のことだろう。
確かに、また手の甲に花が咲けば、バスク邸に帰る日がどんどん遅くなってしまう。
あまり長引かせると、キリアンに余計な疑いを持たれかねない。
(いや、でも、だからって……)
ヴィートはかあぁっと赤面しながら、表情を隠すように顔を逸らした。
「俺……誰かとそういうことって、したことないし……」
「……キリアンとは?」
「ねえよ。水は手からしかもらったことない」
だから、と、ヴィートは消え入りそうに小さな声で呟いた。
「初めてだから、その……口はちょっと怖い」
ルドガーがすっと体を後ろに引いたため、ヴィートはようやくほっと腕の力を抜いた。
ルドガーは無表情だったが、心なしか表情の険しさが和らいで、雰囲気が穏やかになっているように見える。
「……分かった。それじゃあ跡は残るが――」
そう言いながら、ルドガーはすっと腕を伸ばして、指先で軽くヴィートの首筋に触れた。
「ここならどうだ?」
ともだちにシェアしよう!

