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第5話 ルドガーの怒りと、首筋への問い

 思わずパチパチと目を瞬いて見上げると、こちらを見下ろす紫色の瞳とかち合った。   (え……)  キリアンの寝室での出来事が、ふっと脳裏に蘇る。  疲れた表情で仕事に向かおうとしていたヴィートを、キリアンが気まぐれに呼び止めたことがあった。   『稼ぐのが大変なら、これを着て私をその気にさせてみてはどうだい?』  そうして足元に投げ出されたのは、無駄に上質な、透けるほど薄い白絹の夜着だった。  肌を隠すためではなく、見る者の欲を煽るためだけに作られたような布だ。 『体の中心、根から吸い上げるのが一番効率がいいのだろう? 君の一族は、そういう作りをしている』 (げっ……!)  このタイミングで一番思い出したくない光景を思い出してしまい、ヴィートの頰にかっと血が上った。 「ちょっ……離せよ!」  ルドガーは感情の読み取れない瞳でこちらをじっと見下ろしていたが、やがてヴィートの両脇についていた手を引き、ゆっくりと起き上がった。  それから彼は掛け布団をヴィートの胸元まで引っ張り上げると、自分はギシッと音を立てながら寝台を降りた。 (よかった……って、別にこいつが何かするとか思ったわけじゃないけど。変なこと思い出しちまったから、つい――)  気まずさを紛らわすように、ヴィートは軽く咳払いをしてから、わざとぶっきらぼうな口調でルドガーに話しかけた。 「お前ん家ってこんなに広いのに、客間とかないわけ?」 「あるに決まってんだろ」 「そりゃそうか。まあ俺なんかに貸す部屋は無いってことだよな」  半分本気で冗談っぽく笑いながら言うと、ルドガーは一瞬考えるように間を置いた。 (お? さすがのこいつもそこまでは言いづらいか――) 「一人で寝かせるのは……」  ルドガーはそこで一旦口を閉じると、はぁ〜っと大きくため息をついてからヴィートをぎろりと睨みつけた。 「うちで突然死でもされたら厄介だからな。見張りだ」  そう言い捨ててから、ルドガーはズカズカと出口に向かって大股に歩き出した。  部屋を出る前に、ルドガーはもう一度振り返ってヴィートをじっと見た。 「先に寝るのは勝手だが、俺が戻ってくるまでちゃんと息しとけよ」  バタン、と閉まった扉を、ヴィートはポカンと口を開けて眺めていた。 (……何言ってんだあいつ。だからそこまで重症じゃないっつーの)  もそもそと体の向きを変えて枕に顔を押し付けると、微かに残っているルドガーの匂いが鼻先に触れた。  なぜだろう。不思議と心地良くて、安心する。  自分の体に、ルドガーの水が巡っているせいだろうか。  枕にぎゅっと頬を寄せて目を瞑ると、その日何度目かも分からない眠気が襲ってきて、ヴィートはそのまま深い眠りに落ちていった。 ◇  久しぶりに深く眠ったヴィートは、清々しい気分で朝を迎えた。 (他人の屋敷なのに……ぐっすり眠ってしまった)  すん、と爽やかな石鹸の香りが鼻腔をくすぐって、ヴィートはゆっくりと目を開けた。  整った顔立ちの赤毛の青年が、こちらを向いて穏やかな寝息を立てている。 (うわ、マジでこいつと一緒のベッドで寝たんだ)  ルドガーはきちんと清潔そうな夜着に着替えていた。ちゃんと体も清めてから寝床に入ったらしい。 (そういえば、寝てるところって初めて見たかも)  いつもの鋭い眼差しが影を潜めると、少しだけ顔つきが優しく見えた。 (あ、クマ発見。疲れてるのかな?)  思わず身を乗り出してじっと見入っていると、人の気配に気がついたのか、長いまつ毛が微かに震えた。  慌ててヴィートが顔を引くのと同時に、ルドガーがぱっと両目を開けた。 「……起きてたのか」 「お、おはよう」  反射的に挨拶すると、ルドガーはゆっくりと上半身を起こして大きなあくびをした。 「……お前もしかして、あんまり寝られなかった?」 「別に」 「だから言ったろ。やっぱり布団が砂だらけになって、寝づらかったんじゃ――」 「お前が隣で冷たくなってないか、時々確認してただけだ。エイムズ家の屋敷で変死体を出すわけにはいかないからな」 「お前昨日からずっとそんなこと言ってるけど、俺そんなにひ弱そうに見えるわけ?」  大きく伸びをしていたルドガーは、急に真顔になってこちらを振り返った。 「お前、気づいてないのか?」 「え?」 「最後に会った時より、痩せてるし顔色も悪い」 「あ、マジで? それは気づかなかった。毎日同じ顔を鏡で見てるからな〜」 「ちゃんと食わしてもらってるのか?」 「それはもちろん」  ルドガーの眼光が、途端にすっと鋭くなった。 「じゃあ、水か」  急に表情が険しくなったルドガーに、ヴィートは軽い恐怖を覚えて思わずごくりと唾を飲み込んだ。 「や、その……」 「いつもどれくらいの頻度で水をもらってる?」 「い、いつもは週に一回くらい、手の甲からもらってるんだけど、今月はちょっとお互い忙しくてすれ違っててさ。一ヶ月くらい空いてて――」 「週一だと?」  ルドガーが急に大声を出したため、ヴィートは驚いて布団の上でビクッと飛び上がった。 「な、なんだよ急に」 「属性が発現したばかりの頃はそれでいいが、もう一年以上経ってるんだぞ? 週に一度じゃ、倒れない程度にしか保てない。今のお前なら、手の甲からの供給は毎日必要なはずだ」 「や、まあ、なんとかなってたし――」 「医者には定期的にかかってたのか? その様子だと、ずっと本調子じゃなかったはずだ」 「や、別に必要ないかなって……」  本当は、キリアンに頼み事をするのが嫌で、それで受診していなかったのだ。 (自腹で受診するお金なんかなかったし……)  それに、キリアンにそんなことを頼めば、また水の値段が上がってしまう。 「てかルドガー、なんでお前そんなに詳しいんだよ」 「忘れたのか? 俺は属性管理局の職員なんだぞ」 「あ、そっか」  ルドガーはギリギリと歯軋りしながら、いきなりヴィートの乾燥した手首をぐいっと掴んだ。 「ちょ、ちょっと……!」  思いのほか強い力に、再び軽い恐怖を覚える。 (大人になって落ち着いたように見えたけど、やっぱり短気なところはあんまり変わってない気がする……)  ヴィートの表情を見て、ルドガーは一旦手の力を緩めたが、それでも表情は厳しいままだった。 「ようやく納得がいった。お前今、慢性的な水不足に陥ってるぞ」  白い粉を吹いた手首を指でなぞられて、ヴィートは微かに身を捩った。   「そんな、大袈裟な」 「とりあえず応急供給が必要だ。口開けろ」 「えっ?」  ギシッと寝台が鳴る音に、ヴィートはルドガーの意図を察してはっと我に返った。 「ちょ、ちょっと待った!」  慌てて抵抗するようにルドガーの両肩を抑えると、顔の前まで迫っていたルドガーはすぐに動きを止めた。 「待って! 応急供給って……その、水を入れるってこと?」 「そうだ」 「それって、口から?」 「下から入れるか?」 「ちょっ!」  ルドガーの言葉の意味を理解して、ヴィートの頬にさっと血が上った。 「お前っ! そ、そういうの、平気なのかよ?」 「あ? 緊急だってのに、そんなこと言ってる場合か?」 「や、だったら手からでも――」 「手からじゃ一度に入る量も少ないし、巡りも遅い。口からの供給なら新しい跡も付かないから、都合がいいだろ」  跡、というのは、昨日皮膚の上に現れた花の模様のことだろう。  確かに、また手の甲に花が咲けば、バスク邸に帰る日がどんどん遅くなってしまう。  あまり長引かせると、キリアンに余計な疑いを持たれかねない。 (いや、でも、だからって……)  ヴィートはかあぁっと赤面しながら、表情を隠すように顔を逸らした。 「俺……誰かとそういうことって、したことないし……」 「……キリアンとは?」 「ねえよ。水は手からしかもらったことない」  だから、と、ヴィートは消え入りそうに小さな声で呟いた。 「初めてだから、その……口はちょっと怖い」  ルドガーがすっと体を後ろに引いたため、ヴィートはようやくほっと腕の力を抜いた。  ルドガーは無表情だったが、心なしか表情の険しさが和らいで、雰囲気が穏やかになっているように見える。 「……分かった。それじゃあ跡は残るが――」  そう言いながら、ルドガーはすっと腕を伸ばして、指先で軽くヴィートの首筋に触れた。 「ここならどうだ?」

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