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第6話 首筋から伸びる蔦

 首筋の薄い皮膚をルドガーの指先がかすめて、ヴィートはピクンと体を小さく震わせた。 「く、首から?」 「そう。首には太い血管が通っている。植物属性で言えば、幹に近い水脈だ。服から出ている部分では口の次に供給に適した場所だ」 「でも、そこに跡がついたら、まるで——」  まるで、キスマークみたいではないか。  恥ずかしそうに口ごもりながらまつ毛を伏せたヴィートを見て、ルドガーは彼の言いたいことをすぐに理解してくれた。 「大丈夫だ。なるべく下の方にするから。服で隠れやすいように」  目の前の男は、ヴィートのよく知る短気な青年ではなかった。  相手を安心させるように抑えた口調で、なぜだか辛抱強くヴィートの不安に寄り添ってくれている。 (らしくないじゃん。調子狂う……)  そもそもルドガーにとって、自分はただの腐れ縁だ。  助けるためとはいえ、こんな真似をさせているだけで十分迷惑なはずだった。  ヴィートは覚悟を決めると、ぎゅっと固く目を瞑った。そのままぐいっと顎を持ち上げて、白い首筋を露わにする。 「……これでいい?」 「本当にいいのか?」 「み、見れば分かるだろ? 恥ずかしいからいちいち聞くなよ」 「……横になった方がやりやすい」  そう言うと、ルドガーはそうっとヴィートの両肩に手をかけた。ヴィートは一瞬ビクッと身をこわばらせたが、ふうっと息を吐きながら体の力を抜いた。  ルドガーは今度は何も聞かずに、ゆっくりとヴィートを布団の上に仰向きに横たえた。  ギシッと寝台が鳴って、ルドガーが覆い被さる気配がする。  そのまま鎖骨の少し上、首との境目辺りの窪みに、濡れた冷たい唇が落ちた。 「……あっ」  今まで感じたことのないほどの魔力が首元から流れ込んできて、ヴィートは思わず背筋を弓形に反らせた。ルドガーが片腕を背中に回し、反り返ったヴィートの体を支えながら、さらに深く口付けする。 「ふぅっ……」  思わずシーツを探るように伸ばした両手を、彼が包むように握って布団の上へ導く。 (なんだこれ……!)  手の甲からの供給とは桁違いの快感が、首筋から太い水脈に流れ込んで、一気に全身を巡っていく。 (で、でも、この体勢ってやっぱり——)  ルドガーはその場所を吸い上げるような真似はせず、水の魔力を首筋の奥へ染み込ませるように、濡れた舌で何度も同じ場所をなぞっている。  しかし体勢が体勢なだけに、その行為を意識せずにはいられなかった。  キリアンの寄越した白い夜着が、再び瞼の裏にちらつく。 (でも……なんでだろう?)  不思議と、あの時感じた鳥肌の立つような嫌悪感は、なぜだか抱かなかった。  ルドガーの一部だった魔力が、ヴィートの全身を素早く巡って潤していく。  合わさっている胸の奥で、ドクンドクンと鼓動が重なる。 (こいついっつも脈速いな。つられて俺の脈まで早くなってる)  しかしそのおかげで、水が全身を巡る速度が速い。 「……っごほっ!」  ルドガーが突然鎖骨の上で咳き込んだため、ヴィートは驚いてぱっと目を開けた。 「ルドガー?」 「悪い」  顔を上げたルドガーが蒼白になっているのに気がついて、ヴィートは慌てて握られていた手を抜き、彼の頰に触れた。 「お前、顔真っ青になってんぞ!」 「あ? そんなはずないだろ」 「いやいや! ちょっと鏡で見てみろよ」 「でも、水の供給が——」 「もう十分もらったからいいって!」  本当だった。太い血管の走る場所から、こんなに長い時間水をもらったのは初めてだった。  空腹の体へ急に食べ物を入れた時のような気怠さがあったが、その奥で力が全身に満ちているのが分かる。 (そうか。これが本来の俺の状態だったんだ)  ヴィートはさっと起き上がると、壁際の小卓に置かれていた手鏡を取り、ルドガーにかざして見せた。 「ほら! どう見ても青い顔してるだろ」 「ああ……ただの寝不足だろ」  確かに目の下のクマも濃くなっていて、寝不足の人間の見た目としてはおかしくない。 (でも、本当か? なんか引っかかるんだよな——)  寝不足にしては、指先まで妙に冷えている気がする。 「そんなことより、お前も見てみろよ」 「そんなことって——」  しかしルドガーに鏡を向けられて、ヴィートはそちらに釘付けになってしまった。  鏡の中の首元に、細い緑の蔦が一筋、鎖骨へ向かって這うように伸びている。ところどころに小さな葉が開いているが、花の姿は見当たらない。  けれど、肌の下へ根を伸ばそうとしているように見えて、妙に落ち着かなかった。  手の甲に咲いている勿忘草とは、明らかに違って見える。 「なんだろう、この植物。手のやつと違うっぽいんだけど」 「別に花は一種類だけとは限らないぞ」 「花っていうか、蔦じゃね?」  ルドガーは眉根をぐっと寄せて目を細めながら、首元の小さな植物を凝視した。 「……そんな目を細めないと見えない? お前近眼だっけ?」 「疲れてると一時的に目が霞むんだ」  襟元をペロッとめくられて、ヴィートの肩がピクンと跳ねる。  蔦が服の下まで伸びているか確認しているルドガーに、ヴィートは照れを誤魔化すのにわざと鼻で笑ってみせた。   「マジかよ。既にジジイじゃん」 「うるさい」  青白い素肌をじっくりと確認してから、ルドガーはようやく襟元から手を離した。 「そこまで伸びてはなさそうだな」 「なんでこっちは葉っぱだけなんだろ」 「この蔦が花をつけるには水が足りないんだ。手の甲に出る小花は、浅い供給でも咲く。だが、首から伸びる蔦は、深部まで水が満ちないと花をつけない。管理局の記録で見たことがある」  ルドガーはふーっと息を吐きながら両手を後ろにつき、寝台へ重そうに腰を下ろした。 「慢性的な水不足は、いきなり大量に水をやれば治るもんじゃない。何日もかけて、少しずつ水を与えないと」 「え、マジで?」  そんなことをキリアンに頼んだら、一体どれくらいの金額を要求されるだろうか。  ヴィートは左手を顔の前に掲げると、試しに二、三度握ったり開いたりしてみた。  自分の手とは思えないほど、力の入り具合が全然違う。  今までなんとかやってきたけど、一度この活力に満ちた状態を知ってしまったら、もう以前の自分には戻れないと思った。 (だって……生きてるって喜びが、全然違う) 「調子よさそうだな」  何度も手を握っているヴィートを、ルドガーが珍しく微かに目尻を下げて眺めていた。 「うん……全然知らなかった。体が元気になったら、こんなに気持ちまで軽くなるんだな」  ルドガーは嬉しそうな様子のヴィートをじっと見ていたが、おもむろに視線を窓際の植物に向けて口を開いた。 「キリアンに対する言い訳を一晩考えてたんだが……俺のせいで怪我を負ったことにしようと思う」 「えっ?」 「俺とぶつかった拍子に転んで、左手をひどく捻ったことにする。エイムズ家の専属医に診せたところ、数日間の経過観察が必要だと言われた。俺の過失だから、その間はうちで責任を持って療養させる――それでどうだ? 無理があるか?」 「いや……」  キリアンは、ヴィートが一週間程度家を空けたところで、全く気にはしない。以前もいつもより多めの金額を請求されて、やむなく住み込みの出稼ぎに何日か出たことがあったが、金さえ持って帰ればなんの文句も言われなかった。 「家を空けるのは大丈夫だけど、それだとお前が悪者になっちまうぞ」 「別に。昔から嫌われ者には慣れてる」 「でも……」  その言い方に、ヴィートは反射的に言い返せなかった。  学院時代、火属性のルドガーを遠巻きにしていた者たちの顔が、ふっと脳裏をよぎる。  本当は、自分を助けてくれたルドガーなのに。体を巡っている彼の水まで、罪悪感で滞ってしまうような気がした。 「てか今さら何言ってんだ。昔からお前とは喧嘩ばっかりだったんだ。今でも小競り合いしてたって、誰も不思議に思わねえだろ」  ルドガーはきっぱりとそう言い切ると、この話は終わりだと言わんばかりにゆっくりと立ち上がった。 「とりあえず、まずは朝食の席でうちの両親に説明する。それから——俺と一緒にバスク邸に行こう」

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