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第14話 見捨てない男と、隠された本
ルドガーの問いに、ヴィートは一瞬言葉に詰まった。
(キリアンに……婚約者に、大事にされてるかだって?)
そんなこと、今まで考えてみたことすらなかった。
自分はキリアンから水を供給してもらわないと生きていけない存在だ。
属性管理局への就職を認めてもらえなかったあの瞬間から、ヴィートはキリアンに大切にされることを無意識に諦めていた。
下手に機嫌を損ねて、水を絶たれてしまったら——そう考えると恐ろしくて夜も眠れず、ヴィートはいつの間にか、大人しく婚約者の言いなりになる存在へと成り下がっていたのだ。
でも、こんなことをルドガーに打ち明けるのは、自分のプライドが許さなかった。
それでヴィートは弱音を吐く代わりに、鋭い視線でルドガーを睨みつけた。
「なんでそんなプライベートなこと、お前に言わなきゃならないんだ?」
ルドガーもヴィートを睨み返し、二人の視線が一直線にぶつかり合った。
やがてルドガーの方が先に視線を外し、ぼそりと呟いた。
「……それもそうだよな」
一瞬、ヴィートは言い過ぎたのではないかと後悔した。
(俺、ルドガーに助けてもらってる立場なのに……機嫌を損ねてこいつにも見捨てられたら——)
しかし、ルドガーはそれ以上は何も聞かず、黙って机に戻ると再び資料に視線を落とした。
ヴィートはチラッとルドガーを気にしながら、自分も寝台の上に過去のポスターと資料を広げた。
作業に集中しようと試みるも、コチッ、コチッ、と柱時計が時を刻む音が気になって、何も頭に入ってこない。
(ルドガーのやつ、怒ってるのか?)
結局、ルドガーの好きな人についても、これ以上掘り下げることはできなくなってしまった。
その日の夕食時も、父親とやり合った後のルドガーはいつも以上に口数が少なかった。
ヴィートは時々彼のことを盗み見ながらも、声をかける勇気を持てずにいた。
そんな状況だったので、てっきり夜はルドガーの部屋から追い出されるものだと覚悟していた。が、昨晩と同じようにルドガーは自室の寝台にヴィートを寝かせると、自分もごそごそと横に入ってきた。
それでヴィートは、仰向けになってすでに目を閉じているルドガーに、思い切って声をかけてみた。
「……なぁ、ルドガー。今日も一緒に寝るのか?」
「ああ。水不足からまだ完全に回復してないだろ。一応見張っておかないと」
ルドガーの口調はぶっきらぼうだったが、ヴィートはなぜだか胸の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
「……別に、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「お前の心配をしてるんじゃない。エイムズ邸から変死体が出ないか心配してるんだ」
「だから、それをそんなに心配しなくていいって言ってるのに」
「自分の水不足に気づかないようなやつの言葉なんか信用できるかっての」
そうかよ、とぼそりと呟いてから、ヴィートはルドガーの方に体を向けて目を瞑った。
目を閉じていても、ルドガーに見つめられている気がして、ヴィートは掛け布団に顔を埋めるようにぎゅっと体を縮めた。
(良かった。いつものルドガーだ……)
いつもと変わらず言い合えたことが妙に嬉しくて、ヴィートは布団に顔を押し付けたまま、こっそり表情を綻ばせた。
◇
「……俺がいない間、何か困ったことがあったら、誰でもいいから声をかけろよ。使用人でもいいし、専属医でもいい。母上も相談に乗ってくれるはずだ」
「うん、分かった」
「どうしても渇いて辛いようなら、直接属性管理局まで送ってもらえ。たとえ外出中でも、連絡さえあればすぐに戻ってくるから」
「それは大丈夫だって。昨日ももらってるし」
「本当か?」
ルドガーは眉根を曇らせながら、チラッとヴィートの首元に視線をやった。
「……やっぱり、ちょっと供給してから行った方が——」
「だから大丈夫だって! 早く行かないと遅刻するぞ!」
ヴィートは何度も振り返るルドガーの背中を押して廊下へ追い出すと、バタンと扉を閉めた。
(はぁ〜。やっと行った。あいつってこんなに心配性な奴だったっけ?)
出窓に置かれた植物は、今日も青々と葉を茂らせて精気に満ち溢れている。
(……面倒見、いい奴なんだよな)
瑞々しい葉っぱに軽く指先で触れてから、ヴィートはさっと表情を引き締めて本棚へと向かった。
ルドガーの留守中、本棚の本は好きなだけ見てもいいと言われている。
(何か、ポスターの参考になりそうな図鑑とかがあれば……)
ルドガーの本棚には、仕事で使うらしい難しげな文献が何冊も並んでいた。そのまま端の方まで見ていくと、入局試験の時に使っていた参考書の背表紙が目に入った。
(おっ、懐かしい。あいつまだこんなの取ってたんだ)
思わず頬を緩めながら参考書を取り出そうとした時、ふと見覚えのある背表紙を見つけて、ヴィートは思わずピタッと指の動きを止めた。
(あれ? これって……)
それは、子供向けの少し分厚い小説だった。
差別を受けていた子供が、信頼できる仲間と出会い、一緒に困難を乗り越えて周りを見返していく——初等部の頃に大好きで、何度も読み返した物語だ。
ペア課題で初めてルドガーと組んだ時、彼に勧めてみたけれど「非現実的な話には興味ない」と一蹴されてしまった、まさにその小説であった。
ヴィートは思わず背表紙に指を掛けると、すっとその児童小説を抜き出した。
(間違いない。やっぱりあの時の小説だ)
他の文献が整然と保管されているのに対し、この小説には何度も読み込まれた跡があった。
表紙の角は擦れ、背表紙には深い皺が刻まれている。ずいぶんと昔からこの場所にあり、子供が何度も引っ張り出して読み返したのだろう。
(あいつ……興味ないとか言ってたくせに、結局その後すぐに手に入れて、しかも何度も読み返してんじゃねえか!)
他人に興味なんかありません、と、刺々しい雰囲気を纏っていた幼い頃のルドガーが、夢中になって小説を読み耽っている姿が目に浮かんで、ヴィートは思わず笑みをこぼした。
(なんだよ。読んでたんなら、俺にも言ってくれればよかったのに)
そうすれば教室で会った時に、同じ話題で楽しく盛り上がることができただろうに。
(まぁでも、最初興味ないとか言った手前、実は読みましたなんてあいつのプライドが許さなかったんだろうな)
ふっともう一度笑ってから小説を本棚に戻そうとした、その時だった。
(……ん?)
児童小説が収まっていた本棚の背板の一部が不自然に見えて、ヴィートは恐る恐るその隙間を覗き込んだ。
(なんか……ここだけ板の色が違うような……)
その児童小説は全五巻で、ルドガーは律儀にシリーズ全てを揃えていた。
五冊すべてを引き抜くと、その奥の背板だけが不自然に手前へ張り出していた。
よく見ると、四角い薄板がはめ込まれている。奥行きの浅い児童書を目隠しにして、その背後に小さな隠し場所を作っていたらしい。
(えっ! どうしてわざわざ自分の本棚で、こんな手の込んだカモフラージュを?)
薄板の隙間から、一冊の本らしきものが見えている。
思わず手を伸ばしかけて、ヴィートははっと我に返った。
(わざわざこんな場所に隠してるんだ。見られたくない本に決まって——見られたくない本ってなんだ?)
ヴィートの頭に真っ先に浮かんだのは、若い男性が好む——つまりそういう内容の画集であった。
それなら親に見られたくなくて、こんなふうにこっそり隠しているのも頷ける。
(まぁ、俺だって一応男だし……そういう本を隠しておきたくなる気持ちは分かるよ)
同じ男として、見なかったことにしておこうと手を引いた時、耳の奥にふっとルドガーの声が蘇った。
『昔からずっと想っている相手がいる』
ズキッ、と心臓に向かって伸びている蔦の先端辺りが痛んで、ヴィートはとっさに前屈みになってうずくまった。
(なんなんだ? この間から、ずっと同じような痛みが……)
ルドガーの言葉は一度思い出すと、頭の隅から離れなくなってしまった。
(あいつの好きなタイプって……)
ごくり、と唾を呑み込みながら、もう一度児童書の奥に作られた隠し場所へ視線を戻す。
(……本棚の本はどれも自由に見ていいって、あいつ自身が言ってたよな)
見てはいけない、と思った。
隠しているということは、誰にも触れられたくないものなのだ。
それでも、そこに手を伸ばすのを止められなかった。
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