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第15話 属性転換

 本棚の奥の薄板は簡易的にはめ込まれているだけで、手を伸ばせば簡単に取り外すことができた。  ガタン、と板の外れる音に飛び上がりそうになったが、それでも薄板を外す手は止まらなかった。   (だって……あいつのこと、俺はもっと知りたい)  自分だけが弱みを握られているというのは、なんとなく不公平な気がした。  キリアンに対しては、一度もそんなふうに思ったことなんかないのに。 (あいつとは今も昔もずっと、対等な関係でいたいんだ)  別にルドガーの秘密を知ったからといって、対等な関係になれるわけではない。  頭ではちゃんと分かっていた。あれこれ言い訳を並べ立ててはいるが、結局ヴィートは彼の好みのタイプが気になってしょうがないのだ。けれど、それを認めれば、次はなぜ気になるのかと考えなければならなくなる。   (よし、外れた!)  それ以上考えないため、ヴィートは目の前の作業に没頭することを選択した。  薄板をそうっと足元に置いてから本棚を覗き込むと、予想通り隠されていた本が姿を現した。  しかし、その表紙は予想に反し、難しそうな専門書に見えた。 (……なんだ。画集じゃなかったのか)  残念さよりも安堵の方が圧倒的に勝り、ヴィートは思わず大きなため息をついた。本棚の埃がぶわっと舞って、ヴィートはごほっ、ごほっと何度か大きく咳き込んだ。 (あいつがしょっちゅう咳してるのって、この部屋の埃が原因なんじゃないか?)  他人や植物の面倒はよく見るくせに、自分のことに関してはここまで無頓着だとは。  後で掃除でもするか、と口の中で呟いてから、ヴィートは隠されていた文献に手を伸ばして引っ張り出した。 (でも、どうしてこの本だけ隠してやがったんだ? 他の文献は普通に並べてある——)  その表紙の文字を認識した瞬間、ヴィートは思わず息を呑んだ。 『属性転換――禁忌と呼ばれた技のすべて』 (……属性転換?)  なぜ、火属性だったはずのルドガーが、自分に水を供給できるのか。  当然、ずっと疑問には思っていた。 (遠い祖先に水属性がいて、その先祖返りって説も考えてはいたけど……もしかして、自分の意思で属性を変えたってことなのか?)  禁忌、という文字の圧が重く、ヴィートは少しの間表紙をめくるのをためらっていた。 ——あいつのこと、もっと知りたい。  咳。青い顔。父親にまで指摘された体調不良。  それらが一気に頭の中で繋がりかけて、ヴィートは本を閉じることができなくなった。 (ええい! もうここまで来ちまったんだ。こんなところで今さら引き下がれるかっつーの!)  それに、もしルドガーが本当に禁術に手を染めたのだとしたら——自分はそれを知っておくべきだと思った。  なぜなら自分は、彼が認めた唯一の友人なのだから。  ヴィートは深く息を吸って決意を固めると、物理的にも精神的にも重みのある表紙に指をかけて、そっと持ち上げるように開いた。  表紙をめくった最初の頁に、さっそくずしりと重い文言が記されていた。 『属性転換が禁忌と言われる所以——それは、必ず代償を背負うことになるからである』 「代償!?」  思わず小さく叫んでから、ヴィートはもう一度その文字をじっと見つめた。 (だ、代償ってなんだ?)  ヴィートは、水が無いと生きられない自分の属性をあまり好ましくは思っていなかったが、だからといって変えようと考えたことは一度もなかった。  変える方法があるだなんて思いつきもしなかったし、自分の属性とはそういうものなのだと受け入れていた。 (でももしかしたら、昔はルドガーみたいに属性を変えようとした人間がたくさんいたのかも。でも代償が大きかったから禁忌として扱われるようになって、いつのまにか忘れ去られて——)  しかし、禁じられた技ほど、こんなふうにどこかに記録だけは残されるものだ。 (いつ、どんな術がなんの役に立つかなんて、未来になってみないと分からない。禁術だからって歴史から抹消してしまうのは、確かに俺も反対だ)  ルドガーは属性管理局の職員だ。局が管理する禁書を閲覧する権限を使い、個人用の写本を手に入れたのかもしれない。  火から水への属性転換のページにはしっかり折り目がついていたため、ヴィートはすぐに目的のページを開くことができた。 『前述の通り、俗に属性転換と呼ばれるが、元の属性を失う完全な転換は不可能である。後天的に得られるのは、新たな属性の追加にすぎない。よって、火属性者が水属性を得る術は、特に危険な属性転換の一つとされる』    前述のページは読んでいなかったが、この文章だけで内容は十分理解できた。 (なるほど。今のルドガーは完全に水属性に転換したんじゃなくて、火と水が共存している状態なんだな) 『生命を維持するには、火が水に呑まれぬよう、二つの属性の均衡を保たなければならない。火が完全に消える時、それはすなわち、その者の命の灯火が消える時である』  ぞくり、と背中に鳥肌が立って、ヴィートはその場に凍りついたように動きを止めた。 (おい……何やってんだよ、ルドガー)  なぜそこまでして、属性転換に踏み切ったんだ?  出世のためだとは言っていたが、そこに命を賭けるほどの価値が果たしてあるのだろうか。  火を守る方法を探して、ヴィートはページをめくった。  けれど、そこに詳しい記述はなかった。おそらく著者にも分からなかったのだろう。  その代わり、余白にルドガーの筆跡で走り書きがいくつも残されていた。 『植物を生かすのに必要な水の供給量は?』 『水の温度は上がるか? → 問題なさそう』 『両親にバレた時の対処法 → 法には抵触していない。あくまで自己責任』  読みづらい殴り書きに目を凝らしていたヴィートは、あるメモ書きの上でピタリと指を止めた。 『周囲に与える印象は変わるか。火属性への恐怖は緩和されるのか?』  学院時代のルドガーの姿が脳裏に蘇り、ヴィートは思わず下唇をぐっと噛み締めた。 (あいつが危険を承知で属性転換に踏み切ったのって、もしかして——) ◇  思い出したのは、学院中等部の薬草乾燥室で起きた小さな火事だった。  煙の匂いが微かに鼻をついた気がして、ヴィートははっと読んでいた本から顔を上げると、図書室から勢いよく飛び出した。 (薬草乾燥室の方だ!)  植物属性ゆえ、ヴィートは火の気配に敏感だ。他の生徒たちが不審げに振り返る中、転がるように廊下を走っていると、燃えるような赤毛がさっと角を曲がるのが目に入った。 (あっ、ルドガー?)  一瞬彼に気を取られて、ヴィートは別の教室から出てきた教師に思いっきりぶつかって転んでしまった。 「痛っ! す、すみません!」 「大丈夫か? 廊下を走っちゃダメだろ」 「ごめんなさい!」  口では謝りながらも再び走り出そうとしたヴィートの手を、教師ががしりと掴む。 「だから走るなって! てかお前、膝から血が出てるぞ」 「あっ、えっと……そんなことより、煙の匂いがするんです!」 「煙?」  その教師は、空気の匂いを嗅ぐようにすんっと息を吸ってから、微かに目を見開いた。 「本当だ。確かに匂うぞ。言われるまでちっとも気がつかなかった」 「こっちです!」  ヴィートが教師の腕を掴んで走り出すと、今度は彼も走るなとは言わずに一緒に駆け出した。  先ほどルドガーが消えた角を曲がって、そのまま廊下を突っ切って行くと、準備室が並ぶ棟が見えてくる。 「あそこだ!」  教師が指差した先は、ヴィートの予想通り授業で使う薬草を乾燥させている準備室だった。  既に火は消し止められたようだったが、焦げた薬草の匂いが辺りに充満している。  準備室の前には数名の教師たちが集まっていて、入り口付近を取り囲んでいた。    (あっ、あいつあんなところに……)    その中にルドガーの赤毛を見つけて、ヴィートがそちらへ近づこうと一歩踏み出した時だった。 「お前の仕業だな、エイムズ」

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