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第17話 お前を通して、外の世界を見てる
その晩、ルドガーはヴィートが思っていたより早い時間に、エイムズ邸に戻ってきた。
「水は足りたか?」
部屋に戻った第一声がそれで、ヴィートは気分が落ち込んでいたのも忘れて思わず吹き出した。
「おい。家に帰ったら先に言うことがあるだろうが」
「なんだよそれ」
「まずは“ただいま”じゃないのか?」
「そんなに重要なことか?」
ルドガーはぶすっとしながら机に荷物を置いていたが、ヴィートが何か言う前に振り返り、口を開いた。
「……ただいま」
「なんでそんなに大荷物なんだよ」
「おい! ただいまって言ったんだから、お前も言うことがあるだろうが」
「ごめん、忘れてたわ。おかえり」
冗談混じりに軽い口調でそう言うと、ルドガーはふんと鼻を鳴らしながらもわずかに口角を上げた。
「無駄口叩ける元気があるなら、問題なさそうだな」
「と、当然だろ?」
本当は、心に引っかかっていることが色々あった。
火属性持ちってだけで偏見を受けるのが辛いって、どうして言ってくれなかったんだ?
恋文をせっせと送ってきてるのって、中等部で一緒だったあのミレナなんだろ?
本当は——ミレナのことがやっぱり好きなんじゃないのか?
(べ、別に、ミレナのことが気になるのは、ただ単にそれも俺に打ち明けてくれなかったのがちょっと癪だっただけで——)
「ポスターの方は進んだか?」
ルドガーに聞かれて、誰にともなく心の中で弁明していたヴィートははっと我に返った。
「……ごめん。あんまり進んでなくて」
禁書を見つけてしまったせいで、結局何も手につかずじまいだったのだ。
「気にするな。創造的な仕事だから、早く仕上げることよりいいアイデアを思いつく方が重要だ。別に締め切りが定められているわけでもないし、時間をかけていいものを作ってくれ」
それより、とルドガーは、胸元から手帳を取り出して片手でぱっと開いた。
「別件で頼みたいことがある」
「属性管理局の仕事か?」
「そうだ。局に属していない人間と組んで、教育施設の視察に行く仕事があるんだが、興味ないか?」
新しい仕事の依頼に、ヴィートはぱっと目を輝かせた。
「めっちゃ興味ある!」
「局の職員ではない人間の、先入観に囚われない意見が聞きたい。外部協力員ってやつだ。公募が基本だが、実際には局員の知り合いを連れて行くことが多いんだ。腐った制度だが、今回は利用する」
「やった!」
属性管理局の仕事は様々だが、実際に現場に足を運んで行う実地調査や、直接人と関わる仕事こそ、ヴィートが特にやりたいと思っていた仕事内容だった。
ルドガーもそれを分かっていた様子で、興奮気味のヴィートを見て微かに口元を緩めた。
「事務作業より、こっちの方が良かったか?」
「そういうわけじゃないけど。やっぱり実際に現場へ行けば、机の上じゃ分からないことも見えるし。ちゃんと仕事をしてる実感があると思って」
それに、現地で直接誰かを助けられれば、自分の仕事が役立っている実感をその場で得られる。それはきっと、大きなやりがいに繋がるに違いない。
「でも、俺は怪我で療養中ってことになってるだろ。視察なんかして大丈夫なのか?」
「医師の許可があれば問題ない。外部協力員の名も公表されないから大丈夫だ。視察では局員のパートナーとして同行することになる。相手が決まった局員から順次視察に行くから、明後日には現地に向かう。ちょっと急だが、問題なさそうか?」
(……パートナー)
心臓に伸びた蔦の先が、なぜか熱を持って疼いているような錯覚を覚える。
「……ヴィート?」
「えっ? あっ、ごめん! なんだって?」
「明後日いきなり現地入りは、やっぱり急すぎるか?」
ぼんやりしてルドガーの言葉を聞き逃していたことに気づいたヴィートは、慌てて勢いよく首を横に振った。
「全然! むしろ待ち遠しいくらい!」
ヴィートの言葉に、ルドガーは小さく笑ってから、持ち帰った書類を机に広げ始めた。
「……お前、平日もそんな感じで仕事持ち帰ってんのか?」
「今日は早く帰りたかったから、無理矢理持ち帰っただけだ」
「え……?」
思わずじっとルドガーの顔を見つめると、彼は一瞬チラッと顔を上げてから、すぐに元の資料に視線を戻した。
「俺の部屋で変死体が出たらまずいだろ?」
「そんなに心配しなくても、俺は変死体になる気なんかさらさらねーよ!」
「お前の心配をしてるんじゃない。エイムズ家の評判を心配してるんだ」
このやりとりも、短い期間で既に何度目だろうか?
(嘘ばっかり。本当は俺のこと、心配してくれてるくせに)
他人に心をあまり開かない代わりに、一旦友人と認めた相手には、こんなにも心を砕いてくれる男だったとは。
それを嬉しく思う一方で、なぜだかぽっかりと穴が空いたような虚しさも感じてしまう。
(友人、か……)
その言葉に虚しさを覚えた自分に気がついて、ヴィートははっと顔を上げた。
(いやいや! 何考えてんだ俺。ルドガーと友人なのが虚しいって、それ以上に何があるって言うんだ……?)
蔦の先端が、心臓へ近づこうと皮膚の上で身をよじるように疼いた。
これ以上考えてはいけない。これ以上考えたら、取り返しのつかないことになってしまう気がする。
そんな危険な予感が胸を過ぎって、ヴィートは無理矢理思考を閉じようとした。
と、机の端に白い封筒の角がチラッと見えて、ヴィートの心臓がドクンと大きく脈打った。
「……ルドガー、それ」
「あ?」
「その封筒、まだ取ってたんだ」
ヴィートの視線に気づいて、ルドガーは「ああ」と興味なさそうに呟いた。
「断るにしろ、一度面と向かって話せって父がうるさくて。そこに名前と住所が書いてあるから」
「そんな手紙なくたって分かるだろ。フォルクナー家のミレナって、中等部で一緒だったあのミレナじゃん」
「……ああ。あの時の」
ルドガーはようやく思い出したように呟くと、すぐに興味を失った様子で資料へ視線を戻した。
彼は本気で忘れていたような表情をしたが、ヴィートにはそれをそのまま信じることができなかった。
(あんな辛いことがあったのに。その原因になった人間のこと、普通忘れるか?)
忘れていないのなら、なぜそこまで素っ気ないふりをするのだろうか?
何かやましいことがあって、それを隠すためだろうか?
考えすぎだと分かっているのに、一度疑い始めると、悪い想像ばかりが膨らんでいく。
(断るつもりなんてのは嘘で、表向きは好きじゃないふりをしなくちゃならない理由でもあるんだろうか)
チリッ、と喉が渇きを訴えてくる。
(なんでこんな時に……)
この感じは前と一緒だ。いくら水を飲んだところで、決して癒えない渇き。
自分の体が、目の前の男の水を欲している。
(でも……今はそんなふうに、あいつに触れられたくない)
なぜこんなにも感情がざらつくのか。自分の心なのに、モヤモヤの正体を掴むことができない。
こんな状態で彼の唇を肌に受け入れる気には、どうしてもなれなかった。
それでヴィートは、渇きを感じていることをルドガーには黙っていることにした。
「あんまり引き伸ばすのは良くないぞ。断る気はないんじゃないかって思われてもおかしくない」
わざと意地の悪い言い方をしてしまって、ヴィートはすぐに後悔した。
(何やってんだろう、俺。これじゃあまるで——)
「お前だったらそう思うのか?」
いつの間にか真っ直ぐな目で見つめられていて、ヴィートは罪悪感に少し怯んだ。
「あ、それは……」
「お前だったら期待して、それで傷ついたりするのか?」
「そりゃあ、まぁ。返事は早く欲しい、かな?」
ヴィートの歯切れの悪い答えを聞いて、ルドガーは考え込むように眉根をぎゅっと寄せた。
「別に急ぎの用事ではないと手紙には書いてあったし、俺も忙しくて時間が取れなくて。でもお前がそう言うなら、今週中には必ず訪問する」
「なんで俺が言ったら行動するんだよ」
ふてくされたような顔をしているヴィートを、ルドガーは微かに目を細めてじっと眺めた。
「俺の心は閉鎖的だから——お前を通して外の世界を見てるんだ」
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