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第21話 口から欲しい
ヴィートははっと息を止めたが、ルドガーは無表情のままで彼女の頭をじっと見ていた。
「お父様に知れたらどうしようって、私、そのことしか考えられなかった。あなたの優しさに甘えて、でもいつバラされるかってずっと不安で。だから私、女学院に逃げたの」
少しの間、三人の間に沈黙が流れた。
「……別に、謝っていただく必要はありません。俺が自分の意思で決めて行動した結果ですから」
「許してほしいなんて言えない。ただ、あなたに謝らないまま、これ以上手紙を送る資格はないと思ったの」
「もう過去の話です。今さら責めるつもりはありませんので、安心して下さい」
ルドガーはきっぱりとそう言い切ると、ヴィートの腕を掴んだままくるりと彼女に背中を向けた。
「あの、ルドガー! 私たち——友人くらいにはなれないかしら?」
ルドガーはピタッと足を止めると、微かに苦笑しながら彼女のことを振り返った。
「申し訳ありません。限られた友人枠は、既に埋まってしまっているんです」
そのままもう一度踵を返すと、ルドガーはそれ以上振り返ることなく、エイムズ家の馬車にヴィートと一緒に乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出すのと同時に、ヴィートはようやく詰めていた息を吐き出すようにルドガーに食ってかかった。
「……おい! なんであんなに簡単に許しちまったんだよ! ミレナが黙ってたせいで、お前は濡れ衣を着せられて、罰則まで受けたんだぞ!」
「別にもう終わったことだし、どうでもいいだろ。むしろなんでお前が怒ってんだよ」
「そりゃ怒るわ! 俺だって一緒に掃除させられたんだからな!」
「それはお前が勝手にやったことだろ?」
そんなことは分かっている。分かってはいるけどどうにもこうにもむしゃくしゃして、ヴィートは無意識に爪を噛みながら窓の外を睨みつけていた。
そんなヴィートをなぜか楽しげに眺めながら、ルドガーがおもむろにボソッと呟いた。
「お前が分かってくれていればそれでいいって、前にも言ったろ?」
「あ? なんか言ったか?」
「今に不満があるなら、過去にも執着したかもしれない。でも、俺は今の生活にある程度満足しているから、過去のことなんか別にどうだっていい」
「へぇ、それはまた、いいご身分だな」
「特に最近は良い。友人にも久しぶりに再会できたしな」
思いっきり皮肉を投げつけたのに、予想外に嬉しそうな答えが返って来てしまった。
かっと顔が赤くなっているのを知られたくなくて、ヴィートは慌ててさらに窓の方へと首を捻った。
(……あれ? なんだろう。なんか——)
「ヴィート?」
ルドガーにぱっと手を掴まれて、ヴィートは自分が無意識に喉を掻いていたことに気がついた。
「大丈夫か? 少し血が出てるぞ」
「えっ?」
「もしかして、また渇いてきたんじゃないか?」
「いや、そんなことは……」
しかし、ルドガーの言葉に反応するかのように、突然首元から胸元にかけて、蔦がジリジリと疼き始めた。
「あっ……」
思わず首元に伸びそうになった手を、ルドガーが慌ててぐいっと引き戻す。
「渇いたんならすぐに言え。自分の体を傷つける前に」
「だ、だって——」
「ほら、こうすれば外から見えないから」
そう言いながら、ルドガーは馬車のカーテンをさっと閉めた。
「昨日も供給してないし、今日は仕事で無理をさせたから——」
「——っ! 全然無理なんかしてない! 仕事は本当に、すごく楽しかった」
叫ぶようなヴィートの本心を聞いて、ルドガーは少し頬を緩めた。
「それは良かった。ただ、お前は慢性的な水不足で、普通の状態じゃない。ちゃんと体の声に耳を傾けないと」
ルドガーはそう言いながら、掴んでいるヴィートの腕を指先でそっとなぞった。
「触った感じは、そこまで乾燥してる気はしないが……」
「ちょっ! そんなふうに触んなって!」
慌ててばっと腕を振り解くと、ルドガーはビクッと少し後ろに下がった。
「あ……悪い」
少し傷ついたようなルドガーの表情に、ヴィートの胸にもズキンと痛みが走った。
「や……違う。そうじゃなくて——」
「怖がらせて悪かった」
「違う! そうじゃなくて……」
怖いのは、ルドガーの火ではなかった。昔よりずっと穏やかになった彼の火より、今はもっと恐ろしいのが——
(こいつがずっと昔から想っている人って、もしかして俺のことだったりしないだろうか……?)
そして、さらに恐ろしいのが——そうなんじゃないかと、心のどこかで自分が期待してしまっていることだった。
(だって、そんなことって——今も昔も、顔を合わせればケンカばっかりで……)
ルドガーが手渡してくれた黒紺の制服の下で、皮膚に浮き上がった花と蔦がさらにじわりと疼く。
(こ、こんなに体が疼いたり、ミレナにやたらイラついたり、心臓がバクバクうるさいのって、全部俺がルドガーのことを——す、好きだからってこと?)
頭も感情も追いつかない。それでも、心がもうルドガーへ向かっていることだけは分かった。
ルドガーは少しの間視線を逸らしていたが、やっぱり決心したようにヴィートの顔を真っ直ぐ見つめ直した。
「お前が嫌ならやらない。でも、俺は今のお前は、結構緊急性の高い状態だと思う。できればすぐにでも、首元から水を供給した方が——」
「お前さ、以前口から供給しようとしたことあったよな?」
小さな声でそう尋ねると、ルドガーは微かに目を見開いた。
「それは——」
「それってさ、俺とそういうことしても、お前は平気ってこと?」
ごくり、とルドガーが唾を飲む音が、馬車の中で小さく響いた気がした。
「……平気なわけないだろ。でも、お前が嫌じゃないなら、俺は嫌じゃない」
「だったらさ、悪いけど、口からもらってもいいかな?」
ヴィートは、自分の手首を掴んでいるルドガーの手を、そのまま首筋へと導いた。
「水が欲しいだけなら、首からでもいいんだけどさ。何でか今は、俺がそうしたい」
ルドガーの目の奥に、今まで見たことのない炎が立ち上がった気がした。
ヴィートの隣に座り直し、たくましい右腕で肩を抱き寄せながら、ゆっくりと顔を近づけてくる。
鼻先が触れそうになるくらい近づいたところで、ルドガーが一瞬動きを止めた。
「……でも、大丈夫か? 初めてなんだろ? 前に口は怖いって——」
それ以上は限界だった。ヴィートはルドガーの制服の襟首をがしっと掴むと、自分からぶつかるように彼の唇に自分の唇を重ねに行った。
「んっ……」
重ねた唇は、そのまま数秒、どう動けばいいのか分からず触れ合っていた。
ルドガーはヴィートの肩に左手を添え、いったん唇を離した。
「……手や首元から水を入れた時のこと、ちゃんと覚えてるか?」
「あ? あ、うん、一応」
「やることは手や首の時と同じだ。でも、口からだと水がもっと深くまで入る」
ルドガーの舌でなぞられた皮膚の感覚を思い出して、ヴィートの体がさらにぞくりと疼いた。
「本当に、それでも大丈夫か?」
喉が渇く。この男の水が——この男が欲しいと、体全体が訴えかけているみたいだ。
「大丈夫だから——早くくれよ」
「……分かった」
ルドガーは低い声でそう言うと、今度はヴィートの後頭部に手をかけて、先ほどよりも深く口付けた。
手や首元の皮膚の代わりに、舌同士を重ねて水の魔力を供給してくる。
「んんっ……!」
ヴィートが飢えたように吸い上げると、ルドガーの体がビクンと震えた。
(口からだとたくさん供給できるって、こういうことだったのか……!)
口からなら、与えられるのを待つだけではない。自分から求めれば、求めた分だけ水が流れ込んでくる。
手や首元とは比べ物にならないほど、体がどんどん潤っていく。
最初は恐る恐るだった。
けれど水が流れ込むたび、渇きが満たされるたび、もっと欲しくなる。
いつの間にかヴィートは、夢中でルドガーの首に腕を回していた。
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