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第23話 冷たく暴く者、優しく隠す者
青ざめているヴィートにはお構いなく、キリアンは鏡の中で満面の笑みを浮かべている。
「ほら、ヴィートは鎖骨が綺麗だから、この服は君の魅力を十分に発揮できる」
キリアンが右手を離すと、はらりとシャツの右肩が落ちる。その手がヴィートの着ているルドガーのシャツのボタンに伸びているのに気がついて、ヴィートは反射的に一番上のボタンをぱっと押さえて庇った。
「……やめろ」
「おや、このシャツが気に入らなかったかい?」
キリアンは心外だと言わんばかりに、片方の眉をひょいっと上げた。
「ヴィートは知らないかもしれないけど、手の甲より首元からの供給の方が、一度にたくさん水を与えられるんだ。ほら、前に口は嫌だって言ってたろ? この服なら首元に触れやすいし、今日は特別にそこから与えてあげるよ」
服の上から肌の上の蔦に触れられて、ヴィートの全身にさあっと鳥肌が立った。
(……気持ち悪い)
手で触れられるだけでもこんなに不快なのに、肌の上に彼の唇を受けるだなんて——今までどうしてそれを受け入れられたのか、不思議なくらいだ。
「ほら、私も早く綺麗な君が見たい」
「やめろって……!」
キリアンの手を払いのけようと右手を振り上げた瞬間、背後からがしっと右手首を掴まれてしまった。
「あまり騒ぐと、外で待っている使用人に聞こえるぞ」
「——っ!」
「他人の屋敷でトラブルを起こすもんじゃない。夫人も楽しみに待っておられるんだ」
ヴィートが一瞬固まった隙を逃さず、キリアンは首元の開いた新品のシャツを床に落とすのと同時に、左手でヴィートの着ているシャツの前面を乱暴にぐいっと引っ張った。
ブチブチブチッ! とシャツのボタンが引きちぎれて、首元から胸にかけての白い肌が鏡の前で露わになった。
「——これは……!」
鏡に映った見事な藤の花の模様に、キリアンは一瞬言葉を失っている様子だった。
「まさかここまでとは」
ヴィートは秘密を暴かれた恐怖に心臓が飛び出しそうなほど脈打っていたが、なんとか力を振り絞ってキリアンの腕を振り払った。
「……これ、ルドガーに借りてるシャツなんだぞ」
「エイムズ家の子息が、たかがシャツ一枚程度で大騒ぎすることもあるまい」
キリアンは相変わらず柔和な笑みを口元に浮かべていたが、さすがに目には鋭い光を宿していた。
「そうかそうか、妙に艶っぽく潤っていると思ったら……そういうことだったのか」
キリアンが直接藤の花に触れようと手を伸ばしてきたため、ヴィートはシャツをかき合わせながら思いっきり後ろへ一歩飛び退いた。
「触るな!」
「そんなに警戒しなくていい。私は喜んでいるんだよ。植物属性の人間は水の魔力で花の模様を体に咲かせることがあると、私も聞いたことがある。ただの伝説に過ぎないと思っていたけれど。きっかけはどうであれ、君はその域に達したということだ」
キリアンが一歩近づき、それに合わせるようにヴィートも一歩後退る。
「次に私が水を与えたら、一体どんな花が咲くんだろうね?」
「そんなこと——」
あるわけない、と言いかけて、ヴィートはぐっと言葉に詰まった。
植物属性の話にも関わらず、ヴィートも自分自身の“花”について、ほとんど知識がない。
ひょっとしたらルドガーの本棚にはそれに関する本が置かれていたのかもしれないが、属性管理局の仕事に夢中で、そっちを調べることなど思いつきもしなかった。
(一度花が咲いたら、もしかしてほかの人間の水でも花が咲くようになるんだろうか……?)
そう考えただけで、吐き気がするほどゾッとした。
(ルドガー以外の水が、自分の体に入ってくるなんて——!)
その水で、もし本当に花が咲いたりしてしまったら……?
「……やめて」
懇願するように掠れた声を上げたヴィートの顎を、キリアンは弄ぶように指先で軽く持ち上げた。
「安心しなさい。ルドガーに罪を問うつもりはないよ。むしろ彼には感謝しているくらいだ。口づけの痕の一つでも見つかるかと思ったけど、予想以上の収穫があった。そうそう、エイムズご夫妻にも、きちんとお礼とご報告をしないとね。私は先に出ているから、君も着替えたら客間に戻っておいで」
くるりと踵を返して扉に向かったキリアンに、ヴィートは慌てて後ろから追い縋った。
「待って! ルドガーは悪くないんだ! 俺が水切れを起こして危険な状態だったから、それで緊急で——」
「おや、さっきまで私から逃げていたのに、急に積極的になったね」
面白がっているようなキリアンの挑発には乗らず、ヴィートはキリアンの手首を掴んでいる手にぐっと力を込めた。
「ルドガーのいないところで、勝手にあいつの話を夫妻にするのはよしてくれ」
「ということは、彼が水を持っていることを、夫妻はご存知ないんだね?」
「分からない。でも多分ご存知ないと思う。ルドガーには誰にも言うなって言われたし……」
「ヴィート、どちらにせよ、君に私の行動を制限する権利なんかないんだよ。君がいくら懇願しようが、この件は私の口から夫妻に報告させてもらう。バスク家にもバスク家の面子ってものがあるからね」
キリアンの声音は柔らかかったが、その内容は鋭い氷の破片となってヴィートの胸を突き刺した。
「……キリアン、頼むよ。バスク邸に帰ったら、なんだってするから——」
「おお、それは嬉しいね。ちょうどやってもらいたいことを思いついたところだったんだ。でもね——」
キリアンは、自分の手首に食い込んだヴィートの指を一本ずつ剥がすと、ゾッとするほど綺麗な笑顔を浮かべて見せた。
「忘れちゃいけないよ。私は君の水――つまり、生命線を握っているんだ。私は君の条件なんか飲まなくたって、君を好きに扱うことができるんだからね」
◇
キリアンが帰った後、程なくして慌ただしく馬の蹄が地面を蹴る音がエイムズ邸前に響き渡った。
両親からの緊急呼び出しを受け、ルドガーが早退して帰宅したのだ。
「ヴィート! 何かあった——」
両親と顔を合わせる前に、ルドガーは裏口から真っ直ぐ自分の寝室に戻って来た。
焦った様子で部屋の扉を閉めたルドガーだったが、ヴィートの姿を見るなりその場に固まってしまった。
「……ごめん、ルドガー」
襟元の大きく開いたシャツは、キリアンの見立て通りヴィートによく似合っていた。
しかし、ヴィートが必死で隠していた、彼の秘められた花の模様を優しく包み込んではくれていなかった。
「……ヴィート、その服——」
「お前の留守中に突然キリアンが来て——お前が水をくれてたこと、エイムズ伯爵夫妻に——」
ルドガーと目を合わせることができず、ヴィートは足元に視線を落としたまま小刻みに震えていた。
と、温かいものが花の模様を隠すように自分を包み込み、ヴィートははっと顔を上げた。
「……ルドガー?」
「震えてるぞ。そんなに首元が開いてたら寒いんじゃないか?」
ルドガーが、自分が首に巻いていたストールをヴィートの首元にぐるりと巻いてくれていた。
表情はいつもと同じだった。
ただ、ストールを巻く指先だけが、わずかに強張っている。
藤の花を抱くように巻かれたストールの肌触りが優しく、ヴィートは言葉が喉に引っかかったように出てこなくなってしまった。
(——っ! どうしてこいつは、こんな時にも——)
表情はぶっきらぼうで愛想がなく、口調も固くて一見冷たい。
それなのに——彼の行動は、まるで彼が与えてくれる水の魔力のように、温かくヴィートの胸に染み込んでいく。
「それで呼び戻されたってわけか。てっきりお前に何かあったのかと思った。慌てて帰らなくてもよかったな」
「——っ! お前、なんでそんなふうに落ち着いてられるんだよ?」
思わずヴィートが叫びながらルドガーに詰め寄ると、ルドガーは一瞬微かに目を見開いてから、そのままふっと目尻を下げた。
「なんでって——とりあえず、思ってた最悪の事態じゃなかったから」
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