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第24話 好きだ

 いつもは憎まれ口ばかり叩いているくせに——こんな時だけ声音が優しいなんて、本当にずるい。  焦燥感と罪悪感で胸がいっぱいなのに、心のどこかで安心してしまう。  ルドガーに優しくしてもらう価値なんて、自分にはないというのに。 「……何言ってんだよ。隠してたこと他人に勝手にバラされて、これ以上最悪なことがあるかよ」 「一生隠し通せるとは思っていなかった。タイミングが思いのほか早まっただけだ」 「でも、心の準備とか——」 「それよりどうしてキリアンがここに来た? 勝手に婚約者に水を与えたことに対する抗議なら、どうしてわざわざ俺の留守を狙って来た?」  急にルドガーの声が鋭くなり、ヴィートは思わず弁明するように口を開いた。 「分からない。どうして水のことに勘付いたのかもさっぱり……でも、あいつは俺のことを気にかけるような人間じゃないから、水を与えたことに怒っているわけじゃない。むしろ自分に都合よく利用できると判断したから——」 「待て。今なんて言った?」  低い声で話を止められて、ヴィートははっとルドガーの顔を見上げた。  彼の目の奥にメラメラと燃え上がる火柱が見えた気がして、思わずひゅっと息を呑む。 「お前……婚約者に気にかけられていないって、一体どういうことだ? 都合よく利用するって?」 (しまった……!)  心が弱っているところに優しくされたから。  自分を守るように固めていたプライドの壁が一瞬崩れて、うっかり本音を吐いてしまった。 「ご、ごめん。今のは失言だった——」 「ヴィート!」  さっきまではいつも以上に優しかったのに、今のルドガーはいつにも増して激しい感情を露わにしている。ヴィートの手首を掴む力も強く、彼の爪が食い込みそうな勢いだ。 「答えろ。あいつは——キリアンは、本当にお前のことを大切にしてくれてるのか? 婚約者同士の話に、俺が口を挟むべきではないと思っていたけど——」  真っ直ぐこちらを見つめる鋭い瞳から、ヴィートは目を逸らすことができずにいた。 「お前、あいつに尊重されてるって——ここで今、はっきり言えるのかよ?」  今さらプライドを取り繕って嘘を並べたところで、この燃える瞳をごまかすことはできないだろう。  それに、こんなにも熱を持った真っ直ぐな視線の前では、ありのままの自分を曝け出すことしかできそうになかった。 「……俺、キリアンに尊重されたことなんか一度もないよ。水を握られてるから、従わざるを得ない。さっきだって、なんでもするからエイムズ夫妻には黙っててくれって頼んだけど、それすら聞いてもらえなかった——」  そう言った瞬間、掴まれている腕がかっと熱くなったような錯覚を覚えた。  ルドガーの顔が激しい怒りに歪んで、体が小刻みに震えている。  彼の握力で、ヴィートの腕にルドガーの指がぐぐっとめり込んでくる。 「俺は——」 「痛いっ!」  小さく悲鳴を上げた瞬間、ルドガーははっと我に返った様子でヴィートの腕を離した。 「……悪い」 「謝るなよ」  赤い指の跡がついた腕を、ヴィートはルドガーの目から隠すようにさっと自分の手で押さえた。 「お前はこの程度で謝んな。俺の方が、お前に謝らなきゃならないことばっかりなんだ」 「違う、そうじゃない」  ルドガーは一瞬ためらってから、今度は両手をゆっくりと伸ばして、慎重にヴィートの両肩をそっと掴んだ。 「お前が謝らなきゃならないことなんか、一つもないんだ。全部俺の意思でやったことの結果なんだから」 「それは、お前が自己犠牲的で——」 「もし俺にすまないとか、少しでも思ってるんならさ、今からする質問に正直に答えろよ」  先ほどよりも至近距離で真っ直ぐ見つめられて、ヴィートの喉が小さく鳴った。 「……なに?」 「お前、本当にキリアンのことが好きなのか?」  両肩を包む手に、わずかに力がこもる。 「お前のことを、一度も尊重してくれたことのない相手を」  真剣な問いかけに、ヴィートもルドガーの目を真っ直ぐ見返した。  心臓の真上に咲いた、藤の花の模様がじわりと疼く。  心臓の鼓動と、花の疼きが重なって、胸の奥がやたら騒がしい。  何度か口を開けたり閉めたりして、カラカラになった唇を舌で軽く湿らせてから、ヴィートはようやく答えを絞り出した。 「……好き、じゃない」 「だったら——」  ルドガーは少し切羽詰まった様子で、それでもなんとか自制心を保とうとするかのように、何度か唾を飲み込んでいた。 「だったらお前、もうバスク邸には戻るな」 「……えっ?」 「お前に必要な水は俺がくれてやる。だから、弱点を握って自分に従わせようとするような人間の所になんか戻るな。火の屋敷は、植物属性のお前にはあんまり居心地良くはないかもしれないけどさ……」  肩に乗ったルドガーの手が、微かに震えている。 「少なくとも俺は、『なんでもするからやめてくれ』なんて懇願を、お前には絶対にさせない」  胸の奥で、蕾が綻ぶように温かい感情が花開いていく。 (キリアンの元を……離れる?)  そんな選択肢が自分に許されるだなんて、今まで思ってもみなかった。  キリアンの支配下で縮こまっていた枝葉を大きく広げて、もっと明るい日の光を全身に受け止める。  生きるためだけではなく、心から一緒にいたいと思う人の側で、水を受け取りながら美しく咲き誇る。  そんな人生が、自分に許されるというのだろうか? (……好き)  唐突に言葉が口から溢れそうになって、ヴィートは慌ててぱっと手で口を押さえた。  好きだ。自分はルドガーのことが、心から好きだ。  こんな気持ち、他の誰かに抱いたことなど、今まで一度たりともなかった。  おずおずと顔を上げると、ルドガーが不安げに瞳を揺らしながらすっと目を逸らした。 (きっとこいつも、俺のことが好きだ) 「……エイムズ邸は、確かに壁とかゴツゴツしてて厳ついけど——居心地悪いなんて思ったこと、一度もないよ」  少なくとも、木造で流線型の一見柔らかい雰囲気の水の屋敷、バスク邸よりはずっと居心地が良かった。  ルドガーが惜しみなく与えてくれる水のおかげで、ヴィートはここではのびのびと瑞々しい枝葉を広げることができた。 「……でも、婚約破棄するって言ったら、キリアンはどんな条件をふっかけてくるか——」 「そんなことは気にしなくていい。お前の意思さえ固まれば、後のことは俺がなんとかしてやる。属性管理の観点からも、キリアンのお前に対する仕打ちは明らかに問題だ。属性管理局の保護規定を使える。供給者による支配や搾取は、申し立ての対象になるはずだ」  保護規定のことは、ヴィートももちろん知っていた。  だが、そこに一歩踏み出せなかったのは、キリアンに対する情と、彼なしでは生きられないという恐怖が、長い間ヴィートを縛っていたからだ。  ずっと、生涯を共にすると信じて疑わなかった相手。その側を離れるというのは、簡単にできる決断ではなかった。  ルドガーの言葉が、その存在が、ヴィートの曇った視界を晴らし、新しい世界を見せてくれている。    ヴィートは思わず両手を広げて、そのままルドガーの胸にぎゅうっと抱きついた。  藤の花がルドガーの胸に触れて、二人の鼓動が重なって溶け合った。 「……俺、本当にここにいていいの?」  ルドガーも力強い腕で、ヴィートの体をぎゅうっと抱きしめ返した。 「いろよ。枯れ枝みたいなジジイになるまで、ずっとここにいろよ」 「……もうちょっと他の言い方なかったのかよ」 「だったらこう言えばいいか? ——キリアンとの婚約は破棄して、今度は俺と婚約しろ」 「——っ!」  まだ、はっきりと『好きだ』とは言われていないのに——!  こんなにも、真摯で激しい愛情を感じることができるなんて。  心臓の鼓動が早まるのを止められない。  重なった胸から、ルドガーの鼓動も同じくらい速いことが伝わってくる。  ドキン、ドキン、ドキン、ドキン……  けれど同時に、朝の青ざめた顔と、禁書の一文が脳裏を過ぎる。 (でも、お前の火は——)  聞きたい。けれど、それを口にすればあの本を読んだことが知られてしまう。  ヴィートがおずおずと口を開きかけた、その時だった。 「ルドガー!」  ガンガンガンッ! と激しく部屋の扉を叩く音に、ヴィートとルドガーは同時にばっと体を離した。  息子を呼ぶエイムズ伯爵の声に、ヴィートの顔からさっと血の気が引く。 「ルドガー! 帰っているならこっちに来い。属性転換について、きちんと説明してもらおうか!」

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