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第25話 お前が俺を大切にしてくれるように

 ルドガーが扉を開けると、怒りで顔を真っ赤にしたエイムズ伯爵が、おどおどした様子の夫人を伴って部屋の中に入ってきた。 「ルドガー! 帰っていたのなら、さっさとわしらのところへ釈明に来るべきだったろうが! なんのために、わざわざ仕事場まで使いをやったと思っとるんだ!」 「申し訳ありません。制服を汚したくなかったもので、先に着替えようかと」 「制服などどうだっていい!」  ルドガーは結局制服を身につけたままだったが、伯爵はすっかり頭に血が上って気がついていないのか、それについて言及することはなかった。 「属性管理局などと……ただでさえエイムズ家の家名に泥を塗っておきながら、禁忌にまで手を出しただと?」  ルドガーは一瞬体をこわばらせたが、すぐに顔を上げて父親と向かい合った。 「属性転換は確かに禁忌とされていますが、法によって禁止されているものではありません。代償を伴う術であるため禁忌とされているだけで、自己責任で行っても咎められることはありません」 「お前、自分が何を言っているのか分かっとるのか? 誉れ高き火の一族でありながら、あろうことか水属性に転換しようとしたんだぞ!」  父と息子が睨み合う側で、夫人がどうしていいか分からない様子で夫と息子の顔を交互に見ている。 「ルドガー……どうして属性転換なんてものに手を出したりしたの?」  ルドガーは一瞬チラッと夫人に視線を投げたが、すぐに目線を父親の方へと戻した。 「属性管理局での地位を固めるためです。腐った有力者に水属性の人間がいて、火の属性のままではどうしても本能的な恐怖感が拭えず、ものを言いづらかった。そいつを超えるために、水属性の力が必要だったんです」 「そんな……そこまでして——」 「だからわしの言った通りだろう! 属性管理局など、大貴族の子弟を座らせるための腐った受け皿でしかない。正統な火の継承者であるお前に相応しい場所ではないのだ。今からでも遅くはない。その忌々しい水の属性など二度と使うな。これ以上、火を削るような真似はやめろ。そうすれば、わしがお前を近衛騎士団に推薦してやる」  ヴィートは思わず軽く息を呑んだが、ルドガーはそんなヴィートを安心させるかのように、力強い声で父親に反論した。 「水の属性も、属性管理局の職員としての地位も、俺自身の並々ならぬ努力と犠牲の末に勝ち取ったものです。いくらお父上の命令でも、簡単に手放すつもりはありません」 「お前、銀髪が現れたのは仕事を始めてからだったな。てっきり仕事の疲れからくるものだと思っていたが……」  伯爵の言葉に、夫人もはっと気がついたかのように目を見開いた。 「まさか……属性転換の“代償”ってこと?」  ヴィートは思わず、ルドガーの髪に走る一筋の銀髪に視線をやった。  火属性の特徴である赤毛の中に、そこだけ水属性の特徴である銀髪が流れている。  明らかに属性転換の影響だ。しかし、実際の代償がどのようなものか、禁書に慌てて目を通しただけのヴィートもいまいちよく分かっていなかった。 「ねぇ、ルドガー。最近体調が悪そうだったのって、てっきりお仕事のせいだと思っていたけど、もしかしてそれも……」 「あっ!」  そこでヴィートが思わず声を上げたため、その場にいたエイムズ家の三人が一斉にこちらを振り返った。 「あ……その——」  ルドガーの両親の視線が刺さるようで痛い。ヴィートが無意識にストールの端をいじっていた時、ふっと目の前に影が落ちた。  ルドガーがさりげなく移動して、二人の視線を遮るようにヴィートの前に立ったのだ。 「ごほっ! ごほっ!」  ルドガーは咳き込む時だけ背中を丸めていたが、すぐにヴィートを庇うようにすっと背筋を伸ばした。 (ルドガー……!)  伯爵夫妻の視線があるのも忘れて、ヴィートは思わずルドガーの背中をさすりながら一歩前に出た。 「なぁ、お前さ……調子悪そうになるのって、俺に水をくれた後が多くなかったか?」 「それが“代償”だ」  伯爵の重い声が、部屋の中にゆっくりと落ちる。  火の名家の当主として、属性転換に関する禁忌の知識くらいは持っているらしい。 「水と火が共存するだなんて有り得ない。水の魔力が元々あった火を消そうとするのは当然のことだ。こいつは水を使うたびに、自らの寿命を縮めているんだ」  しーん、と水を打ったような沈黙が、ルドガーの部屋の中に流れた。  ヴィートと夫人は蒼白な表情でルドガーを見つめ、伯爵は厳しい目つきで息子を睨みつけている。  ルドガーはただただ真っ直ぐな視線で、伯爵を睨み返していた。 「……今後一切水を使うな。そうでなければ、エイムズ家の名を貶めるだけに留まらず、命まで落とすことになるぞ」  心臓を氷の手で鷲掴みにされたような痛みと寒気が、ヴィートの全身を襲った。   (ルドガーが……死ぬ? 俺のせいで——?) 「お前のせいじゃない」  まるでヴィートの内心を読み取ったかのように、ルドガーが振り返って小声で囁いた。  一瞬だけ口角を上げてから、再び真顔に戻って伯爵と向き合う。 「属性管理局での地位を固めたかったというのはもちろんですが、俺は昔から自分の火の属性が嫌いでした。火のままで一生を終えるくらいなら、たとえ短くてもこいつの役に立つ水の属性を持った人生を全うしたい」 「ルドガー! なんてことを!」  夫人は今にも卒倒しそうなほど青ざめ、伯爵は慌てて彼女の肩を支えながら、ルドガーに向かって怒りを爆発させた。 「ラナーク殿はお前の友人だろう? そんなことをされて、友人が喜ぶとでも思っているのか? 水を使うというなら勘当だ! 数日以内に荷物をまとめてこの屋敷から出ていけ!」 「あなた! やめて下さい!」  足音も荒く部屋を出て行った伯爵の後を、夫人が慌てて追う。開かれたままの扉の向こうから「これくらい言わないとあいつは聞かないんだ」という、伯爵の苦悩に満ちた声が漏れ聞こえてくる。  呆然とその場に立ち尽くしているヴィートの目の前で、ルドガーはゆっくりと部屋の扉を閉めた。 「……ルドガー、お前さ——」  やっとのことで言葉を絞り出したヴィートだったが、ルドガーは落ち着いた様子でそれを遮った。 「心配するな。仕事を失ったわけじゃない」 「……え?」 「別にエイムズ家の庇護がなくたって、俺は問題なくやっていける。親の口利きで入局した連中とは決定的に違うところだな」 「お前、何を言って——」  まるで、水を使わない選択肢などはなから存在しないと言わんばかりの口調で話しながら、ルドガーはようやく制服のボタンを外し始めた。 「俺は管理局の職員宿舎に入れる。婚約者として登録できれば、家族用の居室も申請できる」 「お前、そんなことより……死ぬかもしれないんだろ?」  恐怖で瞳を揺らしているヴィートに気がついて、ルドガーは安心させるように小さく微笑んだ。 「それもちゃんと考えてあるから、お前は心配するな」 「考えって……?」 「植物属性の人間と水属性の人間の出会いを世話するのも、属性管理局の仕事の一つだ。お前がキリアンにこだわらないなら、水属性の相手はいくらでも紹介できる」  数秒遅れて彼の言葉の意味を理解できて、ヴィートの全身にさあっと鳥肌が立った。 「おい! それってつまり——」 「ヴィート、お前は水がないと死ぬんだ。キリアンはどうだったか知らないが、俺なら、植物属性の相手と婚約する以上、俺がいなくなった後のことまでちゃんと考える。人間はどんなに気をつけていても、ある日突然死ぬかもしれないんだ。キリアンとの婚約が正式に無くなったら、お前の情報を局の台帳に登録する。俺がもしお前を置いて死ぬようなことがあったら……」  そこで一瞬、ルドガーの声が途切れた。  けれど彼はすぐに表情を消して続けた。   「すぐに局へ行け」  ルドガーは……お前は本当に、俺のことが好きなのか?  そう叫びそうになったが、すんでのところでヴィートは言葉をぐっと飲み込んだ。  これ以上の愛情表現が、一体他にあるだろうか?  好きだとか、愛してるだとか、そんな言葉は一言もくれないくせに。その行動の全てで、抱えきれないほどの深い愛情をぶつけてくる。 (でも……こんなの間違ってる)  エイムズ伯爵の言葉が正しい。  友人にこんなことをされて、喜べるはずなどない。  ましてやルドガーは、すでにヴィートの中で、友人以上の存在になっている。  ヴィートは決意を固めるように、ぎゅっと左手の拳を強く握った。 (お前は知らないかもしれないけどさ——お前が俺を大切にしてくれるように、俺だってお前のこと、大切にしたいんだよ)

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