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第27話 晒された花跡

 朝一でルドガーに水をもらったにも関わらず、ひどく喉が渇いている。  ヴィートが馬車の窓を開けると、すぐに馬に乗った人物が近づいてきて声をかけてくれた。 「お呼びでしょうか?」  乗馬服を纏い、深く帽子を被っているせいで一瞬誰だか分からなかったが、落ち着いた女性の声には聞き覚えがあった。  ルドガーの屋敷で何度もヴィートを案内してくれた、あの使用人の女性だ。 「すみません。少し喉が渇いてしまって。水をいただけないでしょうか」 「少々お待ちください」  彼女は御者に命じて一旦馬車を止めると、自身もその横に馬を寄せて水筒を差し出してくれた。 「ありがとうございます。ええっと、あなたは——」 「エイムズ家にお仕えしております、メグと申します」 「メグさん。わざわざ馬になんか乗らなくても、馬車に乗ってくだされば良かったのに」 「ルドガー様と懇意にされている方と二人きりで馬車に乗るのは、誤解を受ける可能性があるため避けるべきと判断したまでです」  馬にも乗り慣れているのか、彼女は全く疲れた様子も見せずに淡々と話している。  物静かで控えめなバスク邸の使用人たちとは、だいぶ異なる印象を受けた。 (ルドガーの屋敷でメイド服を着ていた時は何とも思わなかったけど。服装一つで印象ってガラッと変わるもんなんだなぁ) 「……僭越ながら、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」  ぼんやりと考え事をしながら水を飲んでいたところに突然話しかけられて、ヴィートは危うく水を吹き出しそうになった。 「ごほっ! ……な、なんでしょうか?」 「ルドガー様のことを思って離れられたのは分かりますが、何もキリアン殿の元へ戻らなくてもいいのでは? お二人はあまり仲がよろしくなさそうなので注意するようにと、奥様からも伺っております」  確かに、キリアンのことが好きでないなら、ルドガーと一緒にいられなくても他の水属性の人間を探せばいい。彼女がそう考えるのももっともであった。 「……台帳に載せてもらえるのは、独身者か婚約者のいない植物属性持ちだけだ。婚約を解消するまでは、新しい相手を紹介してもらうこともできない。それまでの水だって必要だし——結局、一度はキリアンのところに戻るしかない」  そしてほぼ間違いなく、キリアンが自らの意思でヴィートとの婚約を破棄することはないだろう。  水を盾に自分の自由に扱える都合のいい婚約者を、彼が手放すとは到底思えない。  ルドガーの後ろ盾なしに、ヴィートがキリアンから離れるのは十中八九不可能なことであった。 (それに——ルドガーは俺が死んだら新しい人をさがせとか、簡単に言ってくれたけどさ。赤の他人に自分の弱い部分を預けるのって、結構難しいことなんだぞ)  キリアンとは十五歳の時から婚約していて、長い付き合いがあった。  まさかこのような人物だとは思わなかったが——それでも一時は婚約者として、恋心に近いものを抱いていた相手だ。心の奥底に“情”のようなものが、まだ微かに残っていた。  ヴィートが口をつぐむと、彼女はそれ以上詮索することはなく、軽く頭を下げてから馬と一緒に馬車の側を離れていった。  バスク邸の前で馬車を降りた時、既に何台か先に停まっている馬車があるのに気がついて、ヴィートは微かに眉をひそめた。 (今日は来客が多いみたいだな)  キリアンの両親であるバスク伯爵夫妻は、ちょうどヴィートがルドガーの屋敷に身を寄せていた頃から、暖かい地方に一ヶ月ほど旅行に行っているはずだ。 (ひょっとしてキリアンのやつ、夫妻の留守中に仲間を集めて好き勝手やってるんじゃ……)  嫌な予感は的中した。  メグと一緒に屋敷に足を踏み入れたヴィートが最初に目撃したのは、居間で酒を酌み交わしながらカードゲームに興じているキリアンの姿だった。 「ヴィート! 予定よりも帰りが早かったじゃないか。私がエイムズ邸まで会いに行ったものだから、婚約者の肌が恋しくなったのかな?」  ぞわり、と鳥肌が立っているのを悟られないように、ヴィートは腕を押さえながら引きつった愛想笑いを浮かべた。 「おや、そちらの方は?」 「あ、彼女はエイムズ邸の使用人で……メグさん、送って下さってありがとうございました。奥様にもよろしくお伝え願えますか?」  メグは微かに目を見開いて辺りをぐるっと見回していたが、ヴィートに向かって丁寧に頭を下げると、足早にバスク邸の居間から姿を消した。 「しかしヴィート。本当にいいタイミングで帰って来たね」 「えっ?」 「実はこの後、特に懇意にさせてもらっている“友人”が来てくれる予定なんだ。君が帰って来たら真っ先に紹介するつもりだったんだけど、今日それが叶いそうで嬉しいよ」  何だろう? キリアンの友人に紹介されるだなんて初めてのことだ。嫌な予感しかしない。  しかし、この屋敷で自分に選択権などなかった。ヴィートは仕方なく、少し離れた椅子に座って、キリアンたちが賭け事に勤しんでいるさまをぼんやりと眺めていた。  小一時間ほど経っただろうか。バスク邸に来客を告げる呼び鈴の音が鳴り響き、一人の男性が居間に案内されてきた。 「モーリス殿! 待ちかねましたよ!」  モーリスと呼ばれた男性は、キリアンの友人にしてはだいぶ年配に見えた。  分厚いコートを脱ぎながら、彼は油断なく部屋のあちこちに視線を走らせている。  その視線が自分の顔にも一瞬留まって、ヴィートはなんとなく胸騒ぎがした。 「……キリアン殿。随分と羽振りがよろしいようですな」  親しげな様子のキリアンとは対照的に、モーリスの口調は友好的とは言えず、チクリと皮肉さえ感じられた。  キリアンは彼の皮肉を気に留めることなく、朗らかな笑顔を浮かべながらソファを勧めた。 「いや、お恥ずかしい話ですが、今日もずっと負けっぱなしでして」 「それは困りましたな。私への支払いは、さすがにこれ以上待つことはできませんよ」 「モーリス殿。以前おっしゃっていましたよね。美しく咲く植物属性の人間を探していると」  キリアンの言葉に、モーリスの表情が微かに動いた。 「それはまぁ……私の趣味は、希少な花を集めることですから。中でも、人体に咲く花など、まさに幻の逸品です。しかし、私の財力をもってしても、未だにそんな人間は見つかっていません。ですからおそらく伝説の類なのではと——」 「もしそのような人間が見つかったら、モーリス殿はどうされますか?」  キリアンの笑みが深まり、ヴィートの背筋を今までにないほどの寒気が襲ってきた。 (……い、いやいや! いくらキリアンでも、まさかそこまでは——) 「もちろん、いくら積んでも構わないので、正式に後援者となり、屋敷で保護したいところですな——まさか、見つかったのですか?」  モーリスは信じられないといった口調でそう口走った後、はっと顔を上げてヴィートを見た。 「まさか、彼が……?」 「美しいでしょう? 実は彼、私の婚約者なんです」  キリアンはそう言って立ち上がると、恐怖でその場から動けなくなっているヴィートの側に近づいて、いきなりルドガーのストールに手をかけた。 「——っ! ま、待って!」  思わず抵抗してストールを自分の方へと引っ張る。  キリアンは余裕に満ちた笑みを浮かべていたが、ふとストールに視線を落として眉をひそめた。 「これは……君の私物ではないな」 「あ、これはルドガーの——」  ヴィートがそう言った瞬間、キリアンは急に乱暴な手つきでヴィートの手を押さえつけると、ストールを剥ぎ取って床に投げつけた。 「おおっ!」  居間に歓声が上がり、ヴィートはキリアンに腕を掴まれたまま、ぎゅっと目をつぶって顔を逸らせた。  露わになった胸元を、好奇心に満ちた複数の視線になぞられていく。羞恥と屈辱で、晒された肌がかっと熱を持った。 「これは——見事に咲いていますな」    興奮を押し殺したようなモーリスの声に、ヴィートはとうとう堪えきれない悪寒に震え上がった。

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