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第28話 それは嘘だよ
「それで、キリアン殿。この私にいくらふっかけるおつもりですかな?」
「ふっかける、とは?」
「しらばっくれても無駄ですぞ。彼を使って私と取引するおつもりでしょう?」
そう言いながらも、モーリスの視線はヴィートをしっかりと捉えて離さない。
「話が早くて助かりますよ、モーリス殿。しかし私もどのような取引にするべきなのか、正直悩んでおりましてね。彼は私の婚約者で、私が定期的に水を供給してやる必要があるんですよ。ですからモーリス殿が植物属性の人間を屋敷に迎えてどうされたいのか、それが分かれば解決の糸口が見つかると思うのですが」
「私の希望は、いつでも美しい花を愛でられるように、彼を常に私の側に置くことです」
モーリスの視線は、ヴィートの藤の花にしっかりと固定されている。
「水が必要な時は、キリアン殿が私の屋敷を訪れる——こういうのはいかがでしょうか?」
「しかし、彼は私の婚約者ですのでね。さすがにそれは体裁が悪いかと」
「では、その婚約は破棄してしまったらどうですかな? 私は水属性持ちではないので、結婚は法律的に難しいですが、養子縁組という形でお迎えしますよ」
それを聞いて、キリアンは一瞬怯んだように微かに息を呑んだ。
「……婚約破棄は、少し考えさせていただきたいですね」
モーリスが馬鹿にしたような表情でフンと鼻を鳴らした。
「未練があるなら取引など止めたらどうですかな? もっとも、支払いは待ってはくれませんがね」
「み、未練だなんてとんでもない! まだまだ利用価値がありそうなのに、私の手から離れてしまったら勿体ないと思っただけですよ」
「ふん、悪い婚約者殿だ。私の方が彼のことをよっぽど幸せにしてやれそうですがね」
ヴィートを掴んでいるキリアンの手に、ぐっと力がこもった。
「そんなことは——」
「その花も、本当にキリアン殿が咲かせたのですかな? 濁った水で咲いたにしては、あまりにも鮮やかで生き生きとしているように見えますが」
それを聞いて、キリアンのこめかみにくっきりと青筋が浮かび上がった。
普段温厚な彼にしては、珍しいことであった。
「体に咲く花の模様は、水を受けた直後が最も美しいと聞いたことがある。あなたが咲かせた花だと言うなら、今ここで証拠を見せてもらえますかな?」
「もちろんです!」
キリアンは叫ぶようにそう言うと、いきなりぐいっとヴィートの顎を掴んで口付けようとした。
「ま、待って!」
慌ててキリアンの胸を押して抵抗すると、血走った彼の青い瞳と目が合った。
冷たい汗がヴィートの背を伝い、キリアンから与えられたシャツをじっとりと濡らしていく。
(キ、キリアンのやつ、一体どうしちまったんだ? 自分の水で咲く保証なんかないのに、いきなりこんな——自分で自分の首を絞めることになるかもしれないんだぞ?)
口付けを拒否されてさらに逆上したのか、キリアンはいきなり空いているソファにヴィートの体を押し倒した。
「キ、キリアン?」
「どうせなら、一番深いところから水を与えてあげるよ」
ヴィートは蒼白になりながら、ズボンに伸びてきたキリアンの手を慌てて叩いた。
「離せ! こんな人前で——!」
「そこで繋がったら、私は二度と君から離れられなくなる」
耳元で低く囁かれて、ヴィートの肩がビクッと跳ねた。
「私は知っているよ、ヴィート。君は情の厚い人間だ。そんな私を捨てて逃げられるような人じゃない」
「キリアン、何を言って——」
キリアンの目は焦点が定まっておらず、明らかに様子がおかしかった。
(まさか、あのお酒——普通の酒じゃなかったのか?)
鼻から吸い込む息に集中すると、微かにだが、神経に作用する独特の花の香りが漂っている。
(——っ! キリアンのやつ、禁制薬にまで手を出して——)
一瞬考え事をして隙を見せてしまったらしい。キリアンはそれを逃さず、再びヴィートのズボンに手をかけた。
下着が半分露わになって、ヴィートは思わず悲鳴を上げた。
「キリアン——!」
バタバタバタッ! と廊下に複数の足音が響き渡って、ヴィートに覆い被さっていたキリアンははっと顔を上げた。
「何だ——?」
バタンッ! と勢いよく扉が開き、複数の憲兵たちが居間へとなだれ込んでくる。
「キリアン・バスク。貴殿を禁制薬使用の容疑で、この場で拘束する!」
その場が騒然となり、モーリスやキリアンの友人たちも、入り口を塞いだ憲兵によってその場に留め置かれた。
「冤罪だ! これは薬物ではなく、ただの酒だ!」
憲兵に取り押さえられたキリアンが怒りを押し殺したような声で訴えたが、憲兵たちの後ろから現れた人物を見てはっと目を見開いた。
「ルドガー……!」
「メグが酒の匂いの違和感に気づくとは思わなかったか? うちの使用人は俺の影響で植物の匂いに敏感だ。その酒には禁制薬に使われる植物の花が混ぜられているはずだ」
ルドガーは重々しい足取りでバスク邸の居間に現れると、紫の瞳の奥に炎を燃え上がらせながらキリアンを睨みつけた。
「こんな大勢の前で婚約者の肌を晒すとは——そのシャツといい、貴様のやることは前々から異常だった」
ルドガーがこちらを見る気配を感じ取って、ヴィートは慌てて半分ずり落ちたズボンを引き上げた。
「花の模様をヴィートの体に咲かせた時、少しでも婚約者のお前に申し訳ないと思った自分が馬鹿だった」
ルドガーは吐き捨てるようにそう言うと、ヴィートと目を合わせないようにしながらも腕を伸ばして助け起こしてくれた。
「立てるか?」
「あ……ルドガー」
「メグを付けた母上の判断が正しかったな。あいつは酒の異常に気づいて、すぐ禁制薬物取締局へ向かった。キリアンは以前から調査対象だったらしい。彼女は今、局で詳しい説明をしてくれている」
羞恥心や申し訳なさ、やりきれなさなどの色んな感情がごちゃ混ぜになって、ヴィートもルドガーの顔が見られずに下を向いた。
「悪い……俺、お前に黙って出ていったのに……」
「いいから。それより怪我はないか?」
「はっ! やっぱりお前、ヴィートに気があったんだな」
キリアンは追い詰められて開き直ったのか、ルドガーに突っかかってきた。
「それでわざわざ禁忌の属性転換にまで手を出して。ご両親はさぞかし涙を流して喜んだだろうな。恋に狂った息子が由緒ある名家の家名を汚すことになって!」
「別に、属性転換したのは俺の都合だ。こいつは関係ない」
「嘘言え! 他にお前が水を受け入れるメリットがどこにある?」
挑戦的な態度でキリアンにそう問い詰められて、ルドガーは一瞬言葉に詰まった。
(別に今さらだけど、婚約者がいるのを分かってた相手のために属性転換したって勘違いされるのは、体裁が悪いんじゃないかな)
そう思い至ったヴィートは、ルドガーの代わりに口を開いて弁明した。
「ル、ルドガーは職場に水属性の上司がいて、その人と対等に仕事をしたいから水の属性を受け入れたんだ」
「水属性の上司と、対等に仕事をするため?」
「そう! 何の害もないって頭では分かってても、属性の相性で本能的に怖く感じることはあるだろ。ルドガーも水属性にそういう恐怖があって、それを克服するために——」
「ヴィート、それは嘘だよ」
キリアンの声音は妙に落ち着いていて、それが逆にヴィートには空恐ろしく感じられた。
「私はそこまで属性転換に詳しいわけじゃないけどね。そいつの目からは、今も私に対する恐怖を感じられるよ」
「ほら、さっさと来ないか」
憲兵に引き立てられながらも、キリアンの顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。
ヴィートは思わずルドガーの顔を見上げたが、彼は顔色一つ変えずに、黙ってキリアンのことを睨みつけている。
(ルドガーが、水属性のキリアンを恐れている? 自身の体にも水を持っているのに? 属性転換をしても、水への恐怖は完全には払拭されなかったってことか?)
憲兵に両腕を取られたまま、出口に向かって憲兵と歩いていたキリアンが、ルドガーとすれ違ったその時だった。
さっとこちらを振り返ったキリアンが、いきなりルドガーに向かって唾を吐きかけてきた。
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