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第30話 選び取った未来

 キリアンが逮捕された数日後、バスク家は正式にヴィートとキリアンの婚約破棄を受け入れた。 「うちの愚息は、こんなことになってもまだ、婚約破棄は認めないと騒いでいたのだが……」 「あなたには本当に、どう謝罪すればいいものか……」  夫婦旅行から急遽戻ってきたバスク夫妻に頭を下げられて、ヴィートは慌ててブンブンと両手を振った。 「お二人がしたことではありません! それに、俺だってもっと……」  水を握られてどうしようもなかったとはいえ、それでも最初から諦めずに、もっとキリアンと対話する努力をしていれば——そうすれば、もしかすると違う未来もあったのではないだろうか? 「違う未来なんかあったはずないだろ? お前はどれだけお人好しなら気が済むんだ」 「でも、俺も自分のことでいっぱいいっぱいだったけどさ……キリアンが禁制薬を使ってたこと、全然気付かなかっただなんて……」 「普段はバスク邸では使っていなかったらしい。夫妻が留守で、かつお前の花で一儲けできそうだと踏んで、それで気が大きくなったんだろう」  バスク夫妻が帰った後も、ヴィートよりルドガーの方がいつまでもグチグチと文句を言い続けていた。 「そんなこと言ったって、夫妻は何も悪くないだろ?」 「息子の悪行を野放しにしてたんだぞ?」 「いや、キリアンはそういう立ち回りが本当に上手だったから。それにただでさえ息子が逮捕されて傷心してるのに、これ以上責められないだろ」 「そういうところがお人好し過ぎるって言ってんだ」  ヴィートはふっと笑みを浮かべると、机に向かって何か書類を書いているルドガーを後ろから覗き込んだ。 「いいんだ。俺は今、現状に満足してるから。むしろこれ以上キリアンとは関わりたくない」 「……まぁ、それもそうか」 「それより、さっきからなに書いてんだよ」  ルドガーはチラッと顔を上げると、書類をさっと取り上げてヴィートの鼻先に突きつけた。 「ほら、お前も署名するんだ」  署名、という言葉に、ヴィートの指先がピクンと痙攣した。 (あ、署名って、もしかして——)  ——キリアンとの婚約は破棄して、今度は俺と婚約しろ。  以前言われた言葉が耳の奥に蘇り、じわりと頬に血が上る。  しかし、受け取った紙に恐る恐る視線を落とすと—— 「……属性管理局中途入局試験、申し込み用紙!?」 「推薦人の欄には俺が記入しておいた」  さらっとそんなことを言われて、ヴィートは全身の力が一気に抜けていくのを感じた。 「なんだよ、もう。構えて損した」 「? 何をそんなに緊張してたんだ?」 「なんでもない!」  照れ隠しで半ばやけくそになりながら、ヴィートは試験の申し込み用紙にしっかりとした筆圧で自身の名前をしたためた。 「試験は半年後だが、間に合いそうか?」 「愚問だな。この首席合格者の俺に向かって」  緊張が解れると、体の底から喜びが全身に湧き上がってきた。  一度失ってしまった明るい未来への道が、再び目の前に開かれている。 「ほらよ。局への提出は任せた」 「ああ。それから、こっちは署名後にお前が提出に行ってくれ」 「まだなんかあんのか?」  ついでのように渡された紙に目をやったヴィートは、危うく心臓が止まりそうになった。  試験の申し込み用紙よりずっと上質なその紙には、しっかり“婚姻登録書”と記入されていたからだ。 「こっ、婚約じゃなくて、婚姻登録書!?」 「あ? なんか文句あんのか? 俺は最初からお前と一生いるつもりだ。今さら婚約で様子を見る必要なんかないだろうが」 「そ、それはそうだけど……」  俺と婚約しろ、というあの言葉に、ヴィートは少なからずときめいていたことに今さらながら思い至った。 (だから、あの言葉通りに一度は婚約してみたかったなんて——ちょっと乙女すぎる思考かな)  不機嫌そうな様子でこちらを見ないルドガーの、耳の端が赤く染まっている。  余計なことどころか、肝心なこともあまり口にしない不器用な彼なりの、これが効率的で精一杯のプロポーズなのだ。  その実感が湧いてくるにつれて、ヴィートの胸にゆっくりと幸せな感情が花開いていく。 「俺は仕事があるから、お前が提出に行ってくれ。別にいつでもいいから」  誰に強制されるでもなく、ヴィート自身の意思で、ヴィート自身のタイミングで。これから一生彼と添い遂げるかどうかを決めろ、と。  つまりはそういうことなのだろう。  ヴィートは顔が綻ぶのを抑えきれないまま、机に向かっているルドガーの背中をバシンと叩いた。 「明日、戸籍局が開いたらさっさと提出してくるから、馬車の手配を頼む」  ルドガーが書類をパタンと閉じて、ゆっくりと立ち上がる。 「ずいぶんとせっかちだな」 「結果が変わらないことは後回しにするもんじゃねえんだよ。仕事の鉄則だろ?」 「……それもそうだな」  ルドガーはふっと微笑むと、そっとヴィートの肩に腕を回した。 「……そういえばさ、お前以前、キリアンに言ってたよな。口からの供給は水の過剰摂取になって危険だかなんとかって。あれ、実は嘘なんだろ?」  ヴィートにそう指摘されて、ルドガーは一瞬気まずげに視線を逸らした。 「……どうして分かったんだよ?」 「だって、そもそもそんな話、よく考えたら聞いたことなかったし。ひょっとして知らなかっただけかとも思ったけど、お前には結構たくさん供給してもらったのに、全然体調悪くなんかならなかったし」  そう言って笑いながら、ヴィートはルドガーの顔をまじまじと覗き込んだ。 「なぁ、どうしてあんな嘘ついたんだよ?」 「うるさい。お前だってそれで助かっただろうが」 「それもそうか」  ヴィートが肩をすくめながら顔を引くと、ルドガーはボソッと「言わなくてもそれぐらい分かれよな」と呟いた。  うん、もちろん分かってる。ただちょっと、たまにはルドガーの口から聞いてみたかっただけだ。 「じゃあ……お前とはいくらでも、そういうことしても大丈夫だって——」  ヴィートが言い終わらないうちに、ルドガーの唇がヴィートの唇を塞いだ。  まるで、うるさい口は塞いでおけ、とでも言わんばかりの勢いだ。  何度か顔の角度を変えて深く口付けてから、ルドガーは唇を離してヴィートの目をじっと見つめた。 「……そうだよ。一日何回も、毎日したって大丈夫だ。俺の火も、お前の根が守ってるから、もう前みたいには消耗しない」  管理局の検査では、ヴィートの根が暴れる水を吸収して流れを整え、ルドガーの火を守っていることが確認された。咳も止まり、水を使っても以前のように体温が下がることはなくなった。 「……ルドガー」  思わずヴィートからも口付けしようと顔を近づけた時、ルドガーがふっと思い出したように、ヴィートの手から婚姻登録書を取り上げた。 「そういえば、こういうのって証人の署名もいるんじゃなかったか?」 「……え? それはそうだと思うけど——」 「じゃあ、ここ空欄じゃまずいよな?」  証人の署名欄に何も書かれていないのに気がついて、ヴィートの頬にかっと血が上った。 「おい! お前それ——そんなの戸籍局に持っていったら、俺ただの間抜けじゃねーか!」  間抜けどころか、まるで早く結婚したくてしょうがなくて、慌てて提出に来たせっかちな人間みたいに見られるのではないだろうか? 「悪い。慌てて書いたからすっかり忘れてた」 「ふざけんなよ! 忘れてたで済まされるかっつーの!」 「お前だって気づいてなかったんだから、同罪だろ?」 「恥かくのは俺だけだろうが!」  せっかくの甘い雰囲気が、結局いつもの言い合いで台無しである。  子供の頃から喧嘩ばかりの相手だ。きっとこれからも、ずっとこんな感じで言い合いしながら一緒にいるのだろう。  けれど、それこそがヴィートが自分で選び取った、喜びに満ちた未来だった。  本編 終わり。

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