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第3話

   クルト兵長に帰還を促した。モルグ赤子の討伐は済んだ。何の問題もないはずだ。 「おい! ヴォルフ! いきなり俺を無視するな。俺が笑ったから怒ったのか?」 「…………俺の名前を呼ぶこと、まだ許してない」 「お前……どこの貴族だ。謝るよ。悪かった。俺のことルイって呼んでいいから」 「呼ばない。ルイ・グレイグ殿」 「いや、ルイでいいから」 「感謝します」  手のひらを内側に向けて両手で拳を握り、その手を額の高さまで掲げると、きっちり九十度腰を曲げてお辞儀する。  そう、いつ、いかなる時でも礼儀を忘れてはならない。そこに好嫌は関係ない。そしてさよならだ。  クルト兵長が慌しく帰還の招集をかけ始めた。本能的恐怖から竜人ルイ・グレイグと離れたい衝動を抑えきれないようだ。  隊として整列すると帰還準備ができた。  軍基地までの移動は”お札”を使って転移する。お札に記録したこの場所陣から軍基地陣まで、生死問わず登録した人数しか転移できない。  ルイ・グレイグは当然この場に放置だ。 「ヴォルフ、帰るのか?」  もうちょっと遊んでいかないか? という顔をしないで欲しい。 「仕事は終わった」  端麗な美貌にくるくると変わる表情は見ていて飽きることなかったが、もう二度と会うことはない。  ルイ・グレイグに軽く会釈すると、お札が発動し、光が隊を覆うと世界が分断した。  軍基地に帰るとすぐさま解散になった。当然、報告は兵長任せだ。  隊の仲間と一緒に身体を洗う為に庭へと向かう。ルイ・グレイグのおかげでそこまで汚れていないが。  当たり前だが、一兵卒は沐浴の施設である浴堂が使えない。  代わりに井戸のそばに東家があり、東家の中には常時火を焚いた大釜があり、各人その湯を使って汚れを洗い流すことができる。清潔さは軍でも推奨されている。男の臭気は凶器だ。異論はない。  もちろん自分が使う湯の分だけ井戸から水を汲み足さなければならないセルフスタイルだが、冷たい井戸水で身体を洗うことを考えれば、考案者に拍手を送りたい。湯と水では汚れの落ち方も臭いの落ち方も格段に違う。  しかも東家は誰が覆ったのか藁葺きで壁ができており、中に入れば暖かい。  吐く息が白く顔を覆うような季節でも裸になり、湯が使える。  井戸のそばで上着を脱ごうとすると肩をがしりと掴まれた。  振り返るときわめて端麗、豪奢な白金髪と琥珀の瞳を持つ美貌の主、ルイ・グレイグがいた。  ……いつの間に帰ってきたのか。ああ、竜人は異世界転移ができると聞く。それなら同世界での転移など容易くやってのけるのか。もう二度と会うことないと思っていた。  手でルイ・グレイグの手をそっと払い退け、上着を脱ぎ始める。 「待て、ヴォルフ! 何をする気だ!」  何をって……。 「身体を洗う」 「裸になってか!?」 「うん」  服を着たままで身体は洗えない。  ルイ・グレイグが目元を朱に染め、俺の肩をがっしりと掴み、必死という様子で掴んだ。 「血迷うんじゃない! ヴォルフ!!」  ガクガクと揺さぶられて、血迷っているのはお前だ。そう言いたかったが、うまく言葉にできない。揺さぶられて言えない訳じゃない。どう表現すればいいのか分からない。 「グレイグ殿」 「ルイでいい」 「ルイ、俺はどうすればいい?」 「ヴォルフ……」  ふわっとした優しい笑顔。白皙の肌は人形のように美しいのに、温かい血が通っているのだと今さらながらに思う。 「よく聞け、ヴォルフ。お前のような楚々とした愛らしさを持つ奇跡のような美貌の持ち主は、男女問わず、人前で肌を晒してはいけない。もっと危機感を待て。風呂なら俺の部屋のを貸してやる」 「…………」  何を言っているのか。誰か分かる奴いるか?  周囲に目で尋ねれば、周囲の者はシンクロして首を横に振った。  そうだろうな。俺も分からない。俺は普通顔だ。 「それが嫌なら、この場のみんなを俺がしりぞける。ヴォルフがひとりでこの場所を使え」  周囲の者達が凍りついたように固まった。  マジか。そんな心の声が聞こえたような気がした。  ここに居るのは一兵卒だ。  召喚者である勇者の言葉を跳ね除けられる奴なんていない。  ルイ・グレイグの横をすり抜け、井戸の冷たい水を汲み、手と顔と足を洗う。  今日はもう、これでいいだろう。  ルイ・グレイグが何やら後ろで騒いでいるが、もう耳に入れる価値はない。まともに相手すれば俺の社会性が死ぬ。部屋に帰って寝よう。  後ろからルイ・グレイグが付いてきているのは知っていたが、一兵卒の俺がどうこう出来る立場にない。  四人相部屋の扉を開いて後ろ手で扉を閉じーーられなかった。ルイ・グレイグが扉を押さえてる。 「相部屋!? 犯されたらどうするんだ!? ……いやそれは流石に力の差がありすぎてないか。だがもっと危機感を持った方がいいぞ」  端麗な美貌に真剣に焦る表情が乗ると、あざと可愛いくらいだが、言っていることが意味不明な上、邪魔だ。部屋に入れない。  じろりと睨めば、ルイ・グレイグは誰もが見惚れる美貌に真剣、そんな表情を浮かべて、切実、そんな風情で俺に訴えてきた。 「ここは危険だ。いつか襲われる」 「……誰も襲ってこない」  さっきから何を言っているのか。この男は。 「今はそうでもいずれは……俺の部屋に来い、ヴォルフ。風呂もある。ベッドも貸してやる。ふかふかで寝心地は最高だぞ」 「行かない」  ルイ・グレイグをぺっと部屋から追い出し、歯を磨いて褥しとねに潜り込んだ。  何故、ルイ・グレイグは俺に絡んでくるのか意味が分からない。いや俺が竜人だとか言っていたな。同族のよしみか。いや俺が竜人とかないだろう。  竜人は強靭な身体を持ち、番に愛されるよう、遺伝子レベルで見目麗しい容姿と特化した性交渉機能が約束してされていると聞いたことがある。  平々凡々を絵に描いたような俺からはかけ離れすぎている。  馬鹿馬鹿しい。寝よう。それで明日の早朝、湯浴みしよう。  褥で横になってうとうとしていると、同じ隊員であり、ルームメイトのパウル、ベン、ブレンが湯浴みから帰ってきて、俺を叩き起こした。 「ヴォルフ! お前、あの竜人とどうして普通に話せたんだ!?」 「…………?」 「寝ぼけてないで起きろ、ほらほら」 「うん」  ごそごそと褥から起き上がると、教会で一緒に育った幼馴染のパウルが、寝てるのにやめてやれよとか言っているが、ブレンの興奮は収まらない。 「あの竜人まさに別世界の生き物だったな! 美しさもそうだけど、こう迫力というか、何というか。普通はあんなすごい竜人と緊張して話せないぞ!」  ああ、それは何となく分かる……いや俺は話したのか。みんなが腰を抜かしていたから、仕方なく。  パウルが心配そうに俺を覗き込んできた。どうした? 「大丈夫か? その、名前のこと」 「うん」  思い出した。アイツ、俺の名前を笑ったんだった。嫌いだ。 「まぁ、まぁ、まぁ。でもすごいじゃないか! そのおかげでヴォルフはルイ・グレイグにファーストネーム呼び許されたよね!? ヴォルフ、次からルイって呼んでみてよ!!」 「ぎゃぁぁーそれなんか興奮するぅぅぅ」 「しっかし、あの時も今も表情変えないとか。クールだよなぁ、ヴォルフは」  感情が表情と一致せず常に無表情なだけだが。  パウルも同じことを考えているんだろう。少し弱った顔している。 「なぁ、ヴォルフ。あのルイ・グレイグに部屋の風呂勧められていただろう? 何で行かなかったんだ?」 「やめろよ。竜人は両刀使いなんだぞ。ヴォルフの裸がどうのとか意識していたし、着いて行かなくて正解だよ。犯されたらどうするんだ」  げ。 「何だ? ヴォルフ、竜人が両刀って知らなかったのか?」 「うん」  パウルが軽くため息を吐いて、俺の肩をトントンと慰めるように叩いた。 「ヴォルフ、もうあの竜人に関わらない方がいい。いざとなったら俺が……俺が……守るのは無理だな。一撃で負ける。そうだな。一緒に逃げてやる!」 「……ありがとう、パウル」  孤児院育ちの一兵卒がここから逃げてもいく先がない。現実的じゃない。実際出来るはずない。だが嘘でも嬉しい。  照れて笑うパウルや何か吠え叫んでいるブランや楽しそうに笑うベンを見て今夜も更けていく。  目が覚めるとおぼろげな夜明けの薄明の底。そこには眠りの世界がしっとりと広がっている。  毛布を引き剥がし、片手で顔を押さえてため息を吐く。  やってしまった。  夢精だ。下着がドロドロに汚れている。いいようのない背徳感が襲ってくるが、追随して通常の射精よりも数段階気持ち良かった快楽の余韻に浸りたくなる。  夢を見た。琥珀の瞳を妖しく煌かせ、妖艶な表情のルイ・グレイグに俺は組み敷かれて……首を振り、夢を振り払う。思い出すようなことでもない。もう出すものは出してしまった。  着替えを取り出し、湯浴みに向かう。  朝とも夜ともしれないおぼろげな時間に湯浴みをする者はおらず、東家の中、大釜の湯は煮えたぎっていた。誰かが火の始末を忘れていったのか。大ごとにならなくてほっとする。  桶をすくってその煮えたぎった湯を頭から浴びる。  熱いと感じるが火傷はしない。昔からそうだ。俺は人・と・違・う・。人の限界値がどこにあるのか分からない。  だから俺は表情を殺し、言葉を殺し、人と同じ行動を真似る。

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