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第18話
翌日もルイに置いて行かれた。
俺は巣作りならともかく、モルグ討伐なら着いて行くと言い張ったが、ルイは蕩けるような口付けを俺に仕掛けてきて、俺がとろんとしている隙に逃げるように行ってしまった。
やるせない気持ちをぶつけるように、俺は今日も庭で身体を鍛えることにした。
要は俺もモルグ討伐で役に立つんだと証明し、ルイに認めてもらえればいい。
大刀を手に振り回した。一振りで屠れるモルグの数を考えると剣から大刀に切り替えた方が有利だと考えたからだ。
大刀は重みを利用して相手を叩き切るためかなり重量がある。だがそれも人間規格での話。俺には大刀の重さが気にならない。
そうして大刀を力強く振り回していると、突然、俺の視界一面、一枚の張り紙が覆った。
『声を出すな』
驚いて逆に声が出そうになり、口を抑える。
張り紙はリアムが掲げていた。今日も美しさにつきものの拒絶感が涼やかな雰囲気を醸し出している。甘美、華麗、流暢、そんな言葉がリアムの前ではおぼろげに霞んで見える。今、やっていることは不自然極まりないが。何なんだ一体。
「ヴォルフを対象外とした光学的に透明化する結界と遮音と吸音の結界を俺の周囲に張り巡らせている。つまりヴォルフ以外に俺の姿は見えてないし、聞こえてない。ほら」
リアムは筆と墨と紙を入れた袋を俺に手渡した。
これで俺に筆談しろと言うことか。リアムの声は俺以外に聞こえない。リアムは喋っても問題ない。事実、喋って説明してくれた。
「さぁ、行くぞ、ヴォルフ」
おぼっちゃまはこれだから困る。自分のすることに他人が従うことが当たり前だと信じて疑っていない。
そのことをリアムに伝えようにも伝える手段は俺の手の中、筆と墨と紙を入れた袋の中にある。
小さくため息を吐いて、庭にセッティングされてあるテーブルと椅子まで移動した。
「公式にグレイグ殿と面会を申し込み、貴方の瘢痕化した竜丹の治療を申し出たが、グレイグ殿には丁寧に断られてしまった。今は番う前、時期が悪いと」
それだけではないだろうな。昨日リアムが『竜人には超回復力がある! 超、過保護か! ヴォルフを閉じ込めて、そんなに自分だけのものにしたいか!』と、叫んでいる最悪のタイミングでルイは帰って来た。
ひとことで言ってしまえばルイが持つリアムへの印象は最悪か、底辺だろう。その後の丁寧なリアムの対応が更にルイの印象を悪くしている。少なくとも俺にはリアムが腹黒に見えた。
ルイの性格からして、リアムの提案を断るだろうなと思っていたので、今のリアムの話に驚きはないが。
筆を持ち、それらを全部書くのは面倒なので、『そうか』とだけ書いた。
「グレイグ殿には番うまでヴォルフに会うのは遠慮して欲しいとも言われた。
これは私のただの予想だが、ここで私がこの話をしなければ、ヴォルフはこの話を何も知らずに終わるような気がして」
それでリアムは結界を張ってルイに見つからないよう、ここに来たのか。
昨日リアムが帰ったあと、ルイはべったり俺を甘やかしたが、リアムのことは何も聞いてこなかった。俺も何も言わなかったが。
ルイは今回のこの件を俺に話すのだろうか。話さないのだろうか。どちらでも構わない。俺はルイさえそばにいれば、あとはもうどうでもいい。
『教えてくれてありがとう』
「仕方ないから、明日から、こうしてグレイグ殿には秘密にして会いに来て……いや、言い方が悪かった。隠れて治療に来てやろう。剣の指導もしてやる」
『いい、ルイがリアムと会うなと言うなら会わない』
「……! 瘢痕化した竜胆はどうする」
『死にはしない』
不思議だ。こうしてリアムと向かい合うと、昨日、初めて出会った気がしない。
老人になるまで添い遂げ、ぽかぽか陽気の中、庭でお茶を飲んでいるような気分になる。
リアムへの激しい恋情はない。これからも生まれない。俺の恋情はルイ以外、向かない。
『もういいんだ。ありがとう。リアム、どうか、幸せに』
「そんな……! 今生の別れみたいな言い方するな!」
そう言う意味で書いた訳じゃなかったが……そうか。そのほうが、いいかもしれない。
『うん、もう会わない』
リアムがガタンッと大きな音を立てて、椅子から立ち上がった。
ルイが警戒していると考えて、せっかく結界で姿を隠しているのに、それは流石にまずかないか?
神授の美貌を持つリアムが、眉根を寄せる俺の手を取り傅かしずいた。
眉根の皺がより深くなる。リアムは湖面に浮かぶ青空のような真っ青な瞳で俺を真剣に見上げていた。
「ヴォルフ、私は、私は、貴方の運命の番だ。私を……私を、選んでくれないか? 瘢痕化した竜丹を治してあげる。剣も教えてあげる。それでヴォルフはみんなの前でその腕を披露するといい。皆は驚きヴォルフを称賛し、敬うだろう。こんなところで独り寂しく貶されながら過ごさなくてよくなるんだ。
よく考えて。あの男は貴方を孤独にしている。
私はお金だってたくさん持っているし、人脈だって広い。私ならヴォルフに毎日、楽しい思いをたくさんさせてあげられる。約束する。生涯、大事にしてあげる。たくさん、あ、あ、愛してあげる。それはもう、たっぷり、嫌と言うほど可愛がってあげる。あの男など微塵も思い出せないくらいに。
ああ、ヴォルフ、そんな顔をしないで。私は……私は、貴方を見ていると幸せにしてあげたくてたまらなくなるんだ。この感情が何なのか考えても分からない。でもヴォルフがあの男といると考えると気がおかしくなりそうになる。お願いだ。ヴォルフ。私と番ってくれ。私を選んでくれ」
リアムからそっと手を抜き取り、筆を取る。
『嫌だ』
リアムの真っ青な瞳の瞳孔が縦に動いた。竜化の兆しが見える。感情を抑えきれず、極度の緊張状態にいる。
「ヴォルフ、異世界渡りをして竜胆を使うんだ。最初はわずかな瞬間移動しかできないだろうけれど。そのうち、必ず竜胆が正常に動くようになり異世界渡りができるようになり、普通の竜人に戻れる」
艶やかな黒い光が辺りに散り、リアムの身体が変化してーー黒竜が現れた。
テーブルと椅子、それから急な変化による重量のせいか、地面まで破壊されている。
激しい破壊音と光量に驚いた女官達が、どやどやと集まってきた。
「黒竜、黒竜よ! 竜人だわ!」
リアムは自ら張った結界を解いたのか、壊したのか、俺には分からない。
黒竜がのしのしと歩いて俺の前へとくると、ゆっくりと顔をかがめて俺の頬に頬をぴたりと当てると、すりっと頬ずりした。
『ぎゅう、ぎょいぎょい』 [私の。これはやっぱり私のだ。一緒に行こう?]
「違う。お前のじゃない。ひとりで帰れ」
黒竜はうなだれ、細く一鳴きすると、空の彼方へと消えて行った。
俺はすばやくリアムの筆談していた紙を燃やし、湯堂に向かった。
手早く服を脱ぎ捨て、湯桶に張った湯に浸かり、リアム黒竜の匂いを消した。
カラメル色の竜ルイはちょうどその時、帰ってきた。
それもそのはず、この迎賓館の結界を張ったのはルイだ。急に現れた黒竜の気配に飛んで戻って来るだろうと思っていた。
人化した夢のように美しいルイに微笑みかける。
「一緒に湯浴みしよう。ルイ、おいで、洗ってあげる」
「……そんな言い回しをどこで覚えたのか」
くつくつと喉が鳴る。まるで男娼のようだ。湯気の中から手招きすれば、ルイはその手を取り、噛み付くように俺の唇をむさぼった。
朝もやけ、とろとろとしたまどろみの中、ふと目を開けると、ルイが切なげな眼差しで俺をそっと抱きしめた。
ああ、もう行くんだ。ひとり俺を置いておいて。
ルイの背中に腕を回して首筋に頬ずりする。
「ヴォルフ、すまない。怪我をさせたくないんだ。連れて行けない」
「……うん」
「お前がいなくなれば、俺は、もう、生きていけない」
「うん、同じだ。俺も」
「……今日から俺の留守中、誰もこの迎賓館の敷地内に入れないように結界を張る。例外はない」
「昨日の夜、聞いた」
「不自由させてしまうかもしれない」
「元々ひとりで何でもしてきた。心配しなくて大丈夫だ」
「ヴォルフ……閉じ込めて、俺だけのものに、したいのは、本当だ」
「すればいい。俺はルイのものだ」
ルイが泣きそうな顔で笑おうとした。うなじを引き寄せて唇を重ねると、ルイは何度も俺の唇を吸い、震える吐息をぶつけた。
「ヴォルフ、お前を抱いてしまえば、お前の中に俺の匂いで満たしてしまえば、こんな執着、消えてしまうだろうか?」
「……ルイがそうしたいならそうすればいい。俺は生涯、ルイしか愛せない。婚約期間にはこだわらない」
こだわっているのはルイだ。
ルイははらはらと涙を流しながら、俺の頬を愛おしげに撫でた。
「すまない。お前を自由にしてやれない。瘢痕化の治療方法はきちんと調べておくから」
それはリアムが教えてくれた。異世界渡りを繰り返せと……今のルイの前でリアムの名前を出さないほうがいいかもしれない。
「自分で何とかするから気にしなくていい。それにそんな時間を使うくらいならお願いだ。もっと一緒にいて」
切実に思う。一緒にいて。言葉にしてみれば、さみしいという気持ちが今さらのように溢れて出て、胸が痛くなるほど悲しくなる。
「ヴォルフ、そんな顔をするな、行けなくなる」
「じゃあ、行かなくて、いい」
ルイは美を象徴したようなその顔に、困ったような表情を浮かべて、行く前にもう一度と、と言って唇を重ねてきたが、中々、俺を離してくれなかった。
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