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第25話

 ルイとリアムの試合は俺が闘技場を破壊したことによって、俺が中止させた。  もちろん俺にそんな権限はない。だが俺に今、逆らおうとする者はおそらく誰一人としていないだろう。  会場は静まり返り、やがてそこらかしこで不満の声が聞こえたが、今さらだ。汚名が悪名に変わっても大差ない。  それよりもルイだ。瞬間移動で呼び寄せたルイは息を乱していた。無理をさせてしまった。 「ル」 「ヴォルフ、会場で手を振っていたのがお前じゃないなら、あれは誰だ?」  しまった。  とっさに叫んでしまったが、あれはまずかった。  ルイの声色は静かで、俺との距離をそのままに、俺からどんな答えが返ってきても仕方がないと、諦観の境地に達したような表情を浮かべている。  心臓がぎゅうと縮まった。  俺の運命の番がリアムだとルイに知られる訳にはいかない。知られれば、俺とルイの婚約は解消されてしまう。 「……帰ろう、ルイ。帰りたい」  下を向いてルイのところにまで歩みを進め、会話を打ち切るように、ルイの袖を引っ張った。  こうすればもうルイは俺に問い詰めてこないのを俺は知っている。ルイは俺に甘く、俺の嫌がることは聞いてこない。  思ったとおり、ルイは俺を問い詰めることを諦めたように小さくため息を吐いた。俺の背にルイの手が回される。軽くルイの胸に引き寄せられた。  そのままルイの胸に顔を埋め、ルイの匂いを、体温を、味わいたかった。  だができなかった。俺がそれをすればルイも同じように俺の匂いや体温を味わおうとしてくる。いくら竜気を減らしているルイでも、俺の匂いを遮断する結界なんか薄氷のようなもの。その気になればあっさり破って、俺がリアムにマーキングされたことに気がつくだろう。  リアムにマーキングされたのは右耳殻と、左首筋一部、それからーー唇だ。いや唇周辺にも及んでいるかもしれないーー。  ルイが端麗な貌を傾け、俺の頬に唇を落とした。驚きで身体がビクリと大きく跳ねる。  しまった。驚き過ぎた。ルイが驚いている。 「あ……公共の秩序を守れと、優勝者が」  表情を無くしたルイが、いきなり波動の違う竜気を俺に流し込み、術を発動させた。転移だ。迎賓館の居室、長椅子に押し倒される。  琥珀色の美しい瞳で見つめられ、心臓を掴まれたような気がした。真実を見抜かれたような心地になり、いたたまれなくなる。 「湯浴み、させてくれ」  鍛え上げられた胸を軽く押し返し、掠れた声で懇願する。 「必要ない」  首筋を撫でられ、冷たい汗が背中を伝う。 「気持ちが悪いんだ」  ルイを押し退け、湯堂へと向かう。ルイは追いかけてこなかった。ほっとする。  あと一週間だ。たった一週間。リアムにマーキングされたことが見つからなければ、ルイと番える。  だがどうやって、見つからないようにすればいい? ルイはいつも俺の全身余すことなく、口付けする。  一週間、別居するか。無理だろう。一週間もルイから離れて生きていける自信が俺には、ない。  どうすれば。  俺は沐浴の施設である浴堂へ足を運び、ひとまず身体についたリアムの匂いを落とすことにした。  身体についたリアムの匂いは洗えば落ちる。問題はマーキングされた部分だ。 『声を出すな』  ばしゃん。  大きな貼り紙が目の前に急に現れ、驚きに身体を揺らせば、湯桶の中の湯が溢れた。  大きな張り紙を持っているのはリアムだ。神授の美貌を首筋まで朱に染め、裸の俺に対する礼儀か、俺からその貌を背けている。俺以外に認識できない結界を張りながら。  今、この迎賓館にはどういう訳か、ルイが在館しているにも関わらず、ルイの結界が張られている。  ルイとリアムの結界の間、俺の結界を張る。リアムは三重張りの結界の中に入ったことになる。リアムは俺から顔を背けたまま、驚いたように目を見開いた。 「器用、だな」 「お前の真似しただけだ。俺を攫いに来たか?」  そんなはずはないと分かっていた。本当に俺を攫うつもりなら、こんな会話をする前、実行していたはずだ。  思ったとおり、リアムは神授の美貌に儚げな笑みを浮かべ首を緩やかに横へと振った。 「私に愛しい人の骸を抱えながら生きろと? これを、湯に」  リアムは意趣ある巾着袋を俺に差し出した。 「これは?」 「竜人の涙を結晶化したものに術を加えたものだ。これで私のマーキングした匂いだけ消える。あとは気持ち、痛み止めになるかもしれない」 「どうしてそんなものを?」  リアムが息を大きく乱し、拳を強く握り締めた。 「貴方は又、あの男に触れられるんだろう。そのままではあの男に私が貴方の運命の番だと告げなければならなくなる。マーキングの言い訳などできない。竜人が人の婚約者にマーキングするなど。相手は運命の番以外に考えられない。貴方に運命の番が現れれば、貴方は……あの男に婚約を解消されてしまうんだろう……? そうなれば貴方は」 「生きる意味がなくなる」  苦しげに胸元を押さえるリアムを前に、巾着袋を開けると、砂糖菓子のような結晶がきらきらと光を反射しながら入っていた。  一瞬、リアムの涙を結晶化したものかと思ったが、感じが違う。ほんのりとかすかなものだが、割と大勢の竜気を感じる。 「集められるだけ集めて、即席で作ったものだが」  この短時間でどれだけ大勢の竜人を泣かせて集めたのか。 「その竜気は湯に溶かして使えば肌に馴染んですぐ消える。馴染むまでの間、ほんの少し貴方は痛みを感じるかもしれないけれど……私の匂いは貴方から消える。でも痛みまでは消えない。私がマーキングしてしまったせいで、私が望む望まないに関わらず、私以外の者に触れられる贖罪を貴方は受けなければならない……すまない」  リアムは、そこが痛くてたまらないと言うように胸元を押さえ、はらはらと涙を零した。 「あ、あの男とどうか幸せに生きて。けれど、そう、あの男に、ひ、ひどいことされたら、私を呼んで。すぐに……迎えにいく。私が代わりに貴方を幸せにしてあげる」 「呼ばない」 「す、すぐじゃなくてもいい。ずっと、ずっと、待っているから!」 「待たなくていい、呼ばない」 「どうして! 私の運命の番は! いつもそう! つれないんだ! 言葉でさえ、縛ってくれない……っ! 一生言葉で縛ってくれても構わないんだ。絶対に恨まない。むしろ生きる糧をくれないか? ヴォルフ、私の竜の逆鱗を貴方にあげる。これは竜人の最大の求愛方法だ。生涯一匹に一枚しかないのもので、生涯でひとりにしか捧げられない。受け取って。そして、いつか、いつか、私を、呼んで! 選んで……っ!」 「呼ばない。選ばない。もう二度と会わない。どうか、元気で」  いい人を見つけて幸せになれ。  そんな残酷なことは言えないが。 「……っ、さ、最後に教えてくれないか? 私とあの男の試合を貴方が中止にしたと聞いた。何故、そうした?」 「……リアムがルイを殺すと言ったからだ」 「嘘だ。私はあの時、あの場にいなかった。あのまま貴方が試合を中止にしなければ、私の不戦敗で終わったはずだ。どうして貴方は悪名を買ってまでそんなことを」 「…………」 「ヴォルフ?」 「……不戦でも、リアムは負けるのが、嫌だろうなと。基本、竜人は負けず嫌いの戦闘狂だから」 「……何だそれは……わたしは無理やり貴方にあんなことをしたのに……それで貴方が悪者になって、どうするんだ……それだと、いつもつれない貴方から、愛情らしいものを感じてしまうだろう?」  リアムは俺の運命の番だ。愛情を持たないはずがない。  リアムは玲瓏月輪のような微笑みを浮かべ、袂から薄桃色の小さな野花を取り出し、足元に置いた。 「竜の逆鱗を受け取ってくれないなら、この花を受け取って。何のからくりもない、ただの花だ」  リアムの足元に置かれた野花。どうせ受け取ってもらえず、踏みにじられる物だと思っているから、足元に置くのか。 「綺麗な花だ。いつも嬉しかった。ありがとう。最後のこの花は枯れるまで大事にさせてもらう」 「……っ! 喜んでくれて……っ、そうか、そう、良かった……!」  リアムはぱっと大輪の花が咲いたような笑顔を浮かべ、それからくしゃりと崩した。 「どうか、あの男と幸せに」  リアムは俺の前からふっと消えた。終始顔を逸らしたままだった。  野花を指先で摘んで、湯堂の扉を開ければ、ルイが大木に背をもたれさせ、腕を組んで俺を待っていたかのように立っていた。  さっと野花を背に隠した。 「ヴォルフ、前から言おうと思っていた。婚約を解消しよう。もうーー飽きた」

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