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第33話

 仮面を外せば、レイモンドの子供に懐かれた。名前は李桜(リオン)・ダイス。もうすぐ6歳。  祭りに連れて行ってくれとねだられて、その場にいた者に少し調べさせた。  耳打ちで結果を聞けば、この国ルエティアでは今月、どこも祭りを開催していないそう。  だからにこやかに明後日ならいいよ、そう李桜に返事できた。開催していない祭りに李桜を連れて行きようがない。  そう目論んでいたのだが。  二日後、李桜は僕を連れて、いとも容易く異世界転移した。  辿り着いた先は僕の故郷に近いような世界のお祭り。ひょいと李桜を腕に抱え上げた。  天才って怖い。武闘会の優勝者、ジルは僕を連れて異世界転移した時はひどく疲労して大の字に寝っ転がっていたというのに、僕の腕の中にいる李桜はけろりとしている。 「ねぇねぇ、ヴォルフ。りおん、さんざし飴、食べてみたいの。月餅も」  「駄目だ。勝手に異世界転移したこと、お父さんとお母さんに見つかったら、怒られる。いや、すぐ帰れば逆に喜ぶかもしれない。さんざし飴と月餅は後で僕が届けるから」 「怒られないし、喜ばないわ。だって、りおん、昨日お父さんと一緒にここに安全確認しに来てるもの」 「ふ、ふふふ、ふふふ、李桜はどうしてその時、お父さんと一緒にさんざし飴と月餅、食べなかったのかな?」 「お父さんが、二日続けておやつばっかり食べちゃダメって。だから、りおん、昨日は豌豆黄ワンドウホアンだけ食べたの。今日はなんでも食べたいもの、食べていいって。はいこれ、この国のお金」 「……そう、李桜はかしこいね。してやられた感がすごいよ」  レイモンドが許可しているならこの世界はよほど平和なんだろう。  見たところ脆弱な人間しかいない。武器も携えていない。魔法もないようだ。  万が一、李桜に殴りかかってくる人間がいても、李桜を殴った人間の拳の方が砕けてしまうのが、たやすく想像できる。  まぁ僕がいる限り、殴らせるどころか、李桜の視界にも入れさせるつもりもないが。  竜人はよほどの物を食べない限り、お腹を壊すこともないし、このまま楽しんでも大丈夫、なのか? 「あ、でも何かあったら、これでお父さんを呼んでって」    李桜がきらきら光る桜の花の形したペンダントを僕に差し出した。  レイモンドに直接届く防犯ブザーのようなものだろう。可愛らしい桃色で子供や女性が好みそうなデザインだ。  まぁ、心配症のレイモンドのことだ。近くで俺達二人を見張っていると思うけど。 「それはヴォルフのよ。りおんと、おそろいなの」 「…………そう、僕に似合うといいけど」  他にデザインはなかったのかと思わないではないけど。  首にネックレスをかけられた。 「やっぱり似合うわ! 昨日お母さんと一緒に、ヴォルフなら絶対似合うって、言って……どうしたの? ヴォルフ? 目が遠いわ」 「この十五年、人を振り回して生きてきたけど……そうか、うん。可愛いか。ありがとう。嬉しいよ、李桜は僕のために選んでくれたんだね」 「うん! うふふ、りおんね。ヴォルフのことが、だーい好きなの。くふふ」  李桜はまだ小さくて全力で愛されることしか知らない。だから全力で愛さなければと思うと不思議と癒される。  ふわふわの柔らかいほっぺが僕の頬に押しつけられた。可愛い。愛しい。  ふと、風向きが変わった。  見知った匂い。優しい香り。これは。  振り返れば雑踏の中にルイを見つけた。俺と居た時の洒脱者だった名残は消え、量販ものだろう衣装を着ている。  幽鬼のようだ。豪奢だった白金の髪は艶を失い、端麗だった容姿はどこか翳りを帯びていて、生気がない。痩せたどころの話しじゃない。病気を患っているのか?   思わず駆け寄ろうとして……思い留まった。  違う。もう僕は俺じゃない。ルイとの婚約も解消した。何の関係もない。そう、もう、ルイとは何の関係もない。ルイも僕のことなんかとっくに忘れている。  そう、忘れている。僕のことなんか。  ジクジクと膿んだ傷が痛むような胸の痛みを堪えて、僕の腕の中にいる李桜をそっと抱きしめる。  ルイから逃げるように異世界転移しようとして、息を吐き出し、止めた。  落ち着け。今の僕は以前と顔も、匂いも、立ち居振る舞いも、違っている。マントを着ている。身体の線も分からない。術的なルイのマーキングは消えなかったが、ルイの匂いはこの十五年で完全に消えている。  僕はルイの知っているヴォルフじゃない。このままルイに気付かれることなく、すれ違って終わる。  李桜とも約束している。一緒に祭りを楽しもうと。もう僕は逃げなくてもいい。  でも念のため、李桜にだけ聞こえる小声で囁いた。 「僕の名前はディランだ。ここではそう呼んで? いい?」  顔や声や匂いや変えられるものをすべて変えられても、誇りあるこの名前だけは変えられなかった。  「うふふ、いいわ。でもディラン、ご褒美にりおんと番ってくれる?」  「それは」  「駄目だ」  ルイの声と共に李桜を抱く反対の腕が強く掴まれた。心臓が鷲掴みされたように、ぎゅっと縮こまる。 「ヴォルフ、ずっと探してた」  どうして、どうして、ルイは僕を見て、ヴォルフだと分かったのか。どうして僕を探していたのか。考えがまとまらない。触れられた腕が熱い。 「ディラン?」  李桜の声を聞いて我に返る。ルイから腕を振り払い、変な人に絡まれた風情を装う。 「離して下さい。人違いです」  ルイが翳を刷いたような怪訝な顔をした。ふわりと香るのは優しいルイの香り。まるで俺を思い出せと言わんばかりの香り。締め付けられるようにきゅっと胸が痛み、その香りに包まれたい衝動に囚われる。  でもその優しい香りはここでルイが僕に向かって全力で発情フェロモンを放出すれば僕はどうなるのか、想像に容易い香りでもあった。  ルイが万が一そんなことをすれば、きっと僕は李桜を放り出し、素っ裸になって、ルイにしがみつき、泣きながら腰を振る。  怖気づいて、ルイが口を開く前、僕は李桜を腕に抱いたまま、異世界転移した。  向かう先はルエティア。蜂蜜色の竜人、レイモンドの領内。  レイモンドは始祖竜の次に竜気の多い古代種黄金種だった。レイモンドの領内はレイモンドが認めた竜人しか侵入出来ない強固な結界が張られている。ルイでも確実に侵入できない。 「良かったの? あの人」  李桜が腕の中、小首を傾げた。 「ごめんね、さんざし飴とそれから……えっと」 「月餅」 「そう、月餅。誰かに、届けさせるから」 「うん、ありがとう」  李桜が遠くを見た。 「でもあの人、本当に良かったの? ヴォルフの大切な人でしょう?」 「………どうしてそう、思ったの?」 「二人が番に見えたから」  李桜をぎゅっと抱きしめた。そうだったら、どんなに、良かったか。  何も知らないはずの李桜が、僕を慰めるように、小さな手で僕の頭を不器用そうに撫でてくれた。

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