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第36話

 両開きの扉がバンッと勢いよく開いて驚いた。李桜だ。桃の花のような頬を怒りで朱に染めている。  ルイが端麗な美貌に淡い翳りを浮かべ、静謐な動きで、李桜から僕を隠すように、自分の背に回した。  何事かと訝しみ、ルイの背中から李桜を覗き見れば、李桜が腕に抱いている絵本のタイトル、『人魚姫』が見えた。そういうことか。  ルイに呪いをかけた魔女は李桜だ。 「これはこれは愛らしい魔女様、ようこそ」  真横に出て、貴族社会における男性のお辞儀、ボウ・アンド・スクレープで李桜を迎えれば、李桜も貴族社会における女性のお辞儀、カーテシーで返してくれた。 「ごきげんよう」  李桜は挨拶もそこそこに足音も荒くルイの前に立つと、腕を一振り、ルイをカラメル色の幼竜に戻してしまった。  床に落ちる前、カラメル色の幼竜を、ぽふんと手で受け止める。 『ぎょいぎょいぎょい!』  カラメル色の幼竜は李桜に向かってぷんすかと怒っている。が、何を言っているのか分からない。李桜は李桜でカラメル色の幼竜を睨みつけ、桜色の頬を膨らませている。が、何に対して怒っているのか分からない。 「あなた、死にたいの?」  李桜がルイに向かって放った言葉に驚き、レイモンドに説明を求めるように視線を向ければ、レイモンドはさまになる仕草で肩をすくめた。世にも美しいその姿の背後には燦々と陽の光が降り注いでいる。 「グレイグ殿は衰弱した状態で俺の結界を破ろうとしていた。破れず死にかけていたところを見つけたのは李桜だ。李桜は竜力を使い、グレイグ殿を竜人の超回復が最大限にまで活かされる幼竜にまで戻した」 「だってルイがヴォルフの大切な人だって、りおん知ってたもの」 「呪いやら、魔女やら、そんな単語を使ったのは、李桜のごっこ遊びの延長だ」  李桜は可愛いから構わないが、人を振り回すのが趣味みたいになった僕が単語のひとつふたつで振り回されるとは思わなかった。しかもレイモンドにまで。 「ルイ! まだ呪いを解いちゃダメでしょう。ちゃんと元気になってからって約束したでしょう?」  李桜はぷんぷんと怒りながら、カラメル色の幼竜の首に紫色の大きなリボンを結び、綺麗に結べるとほろこぶような笑みを溢した。大きな紫色のリボンを首にかけられたカラメル色の幼竜は不満そうだが、李桜には逆らっていない。  そこでルイが李桜を見て翳りを見せたのか分かった。  カラメル色の幼竜は看護にかこつけて、既に李桜のおもちゃにされている。  今現在、李桜に撫でくり回されるカラメル色の幼竜は小さい子のすることに嫌とも言えず、僕の腕の中でぎょいぎょいと逃げ悶えている。   僕がどうしてあんなにルイを怖がり、逃げていたのか、分からなくなる。 「似合ってるよ」  カラメル色の幼竜は、はっと顔を上げて、本当に? というように、きらきらと目を輝かせ、僕を見た。 「かわ……かっこいい」  可愛いと言いかけて言い直したが、言葉の選択は間違っていなかったようだ。カラメル色の幼竜は大きな紫色のリボンを首に巻いたまま、すましたポージングをとった。意外と乗りがいい。それとも褒められたことがただ単に嬉しかっただけか。竜型になると脳の大脳新皮質部分、社会性を司る部分が小さくなり、感情、本能が剥き出しになりやすい。 「ルイ、僕のこと、好き?」  カラメル色の幼竜が必死になって、大きく首を縦にぶんぶんと振った。  思わず額に口付けすれば、カラメル色の幼竜が必死にしがみついてきた。なだめるように背を撫でていれば、すぐに、くうくうと寝息を立てて寝てしまった。  死にかけていて、超回復中だから、眠いのかもしれない。 「いつ頃、元に戻るんだろう?」  李桜に聞けば、分からないと言われ、始祖竜が代わりに答えてくれた。 「その男は竜の血も人間の血も混ざっておらぬ、生粋の竜人だ。二日もかからず復活する」 「生粋の竜人なんか存在するのか?」 「うむ。ただし我の番は人間の娘であった為、その者には我の番の分だけ人間の血が混ざっているが……濃い血を持つ竜人は寿命が長い。そのうち血の薄くなった竜人と番になる。そやつはそういったことを繰り返した稀少な子だ。今ではほとんど見かけぬ」 「そう」  僕の腕の中で安心して眠るカラメル色の幼竜を見て思う。  夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、周りを巻き込んで随分壮大な痴話喧嘩をしてしまったような気がする。割れ鍋に綴蓋か。  心からの謝罪と感謝をみんなに伝えると、応援された。  前途多難な夫婦とでも思われているのだろうか。  カラメル色の幼竜を、僕の領地へと連れて帰ろうと移転しようとして――やめた。  僕の領地には巣がない。  カラメル色の幼竜を抱いたまま、僕の生まれ故郷、ウィステリアまで異世界転移する。  着いた場所は、ルイが僕に婚約しようと言ってきた場所、山紫水明の滝。  あの時は新芽吹く木々の緑の垣間から清らかな水音と小鳥の囀りが聞こえる季節だった。  俺はルイからの婚約の申し出を受け入れた。出会って間もない頃だった。 『ヴォルフ、竜人は嫉妬深く、独占欲が強い。自分のものだと決めた相手に体液でマーキングする。俺はヴォルフにマーキングしたい』  地面に縫いとめられた両腕が強く握られ、返事も何もしていないのに、唇をふさがれた。  あの頃の俺はマーキングがどういった作用を及ぼすのか、よく知らなかった。  ルイが本当に運命の番を探していたなら、どうしてルイは竜人の俺に口付けしたのか。俺もルイにマーキングしてしまうというのに。  ずっと不思議だった。いや、ルイは最初から言っていた。言葉の通りだ。ルイは最初から俺を独占したがっていた。  あるいは独占したかったのだろう。  婚約者は俺を捨てた。飽きたと言って。  それなら僕が飽きさせずにルイのそばにいればいい。ルイはきっと嫌とは言わない。 「だから早く元気になって、僕を巣に連れて帰って」  カラメル色の幼竜がぎゅいと小さく鳴いた。  今は落下する急流の水が風圧を生み、気持ち良い風を届けてくれる季節。  僕の腕の中に埋まり、幸せそうにくうくうと寝息を立てるカラメル色の幼竜を、いつまでも眺めていられるような気がした。

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