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第43話
パラレルルート 2
自領にある自分の家に帰ろうと思ったのは、気まぐれにしか過ぎない。指折り数えてみれば、自分の家には半年ほど帰っていなかった。
自分の家まで転移せず、家から少し離れた場所に転移すれば、力強く実る麦穂の輝きと水車の音色が、夕焼けを待つ日差しに跳ねていた。のどかな田舎。そこが王から僕に与えられた領地だった。もっとも僕は領地の管理を領官達に任せっぱなしで、領主らしいことは何もしていないが。
石造りやレンガ造りの家々を抜け、小高い丘まで行けば、このルエティアでは珍しい木造建築がぽつんと建っていた。懐かしい。我が家だ。
久々に玄関の扉を開けて目にしたのは、僕を見て驚く見知らぬ眼鏡の少年と、神授の美貌を持つリアムの姿だった。鼻腔をくすぐるのは安らげる静謐としたリアムの香り。長い間僕を待っていたのか、家中に充満していた。匂いのせいか肩の力が抜ける。怒る気にもなれなかった。
そういえばレイモンドが運命の番の香りは平常時、とても安らげるものだと言っていた。
「おかえりなさい」
人の家に勝手に上がり込んで悠然と微笑むリアムの表情に一瞬、馬鹿みたいに見惚れた。綺麗な男だなと純粋に思う。
ただぼんやりとはしていられない。リアムがここに居座っている理由について、さまざまな憶測を飛ばしたが、結局、リアムだから、という考えで落ち着かせた。リアムは僕に隠れてずっとつきまとっていたそうだ。レイモンドからさっき聞いた。そんなリアムがこの家を知っていてもおかしくない。それよりも、もっとおかしいことがある。今、僕はそれに対処すべきだ。運命の番に全神経持っていかれている場合じゃない。
「逃げるな、君は誰だ? 何故、僕の家にいる?」
眼鏡の少年は身体を小さく縮め、蚊の鳴くような声で、ごめんなさい、と呟けば、リアムが吃驚したように眼鏡の少年を見た。
「君はこの家の家僕ではなかったのか」
眼鏡の少年は消えいるような声で、ごめんなさい、と呟き、身体をさらに小さく縮めた。
リアムが剣呑な雰囲気で少年を見つめた。どうやらリアムも気が付いたようだ。
僕はこの家の敷地内、竜人しか入れない結界を張っている。
それなのにただの人間にしか見えないこの眼鏡の少年は当たり前のように、僕の結界内に侵入してきている。あまりに不自然だ。
通いの家僕には通行証アイテムを渡していた。ウィステリア、迎賓館の通いの女官達にルイがそれを渡していたように。だからこの眼鏡の少年がこの家の家僕なら、出入りできただろう。だけど僕はこの少年を雇っていない。見覚えさえない。
どうして竜気を纏わない、通行証アイテムも持たないただの人間が、僕の張った竜人しか入れない結界内にいるのか。
よく観察すれば少年は何らかのアイテムで竜気を隠していた。
この少年、人間のふりをしている竜人か。
僕の限定した結界に気付かないことから、新種の竜人だと分かるが、何しに僕の留守中、僕の家に忍び込んだのか。
項垂れる眼鏡の少年を見て小さくため息を吐いた。
「君は謝るようなことを僕にしたのか? 例えば……僕から、何かを、盗った?」
眼鏡の少年の横で、リアムがぱっと顔下半分を白皙の手で覆い隠した。いつもは月輪を思わせる厳かな美貌が妖艶と朱に染まっている。
眉根に深い皺がよる。リアムは僕の言葉をどう解釈したのか。
「私はそう、貴方のものだ。でも盗られてはいない。安心するといい」
「リアム、力の抜ける横槍を入れなくていい」
うなだれるリアムの傍らで、眼鏡の少年の瞳がわたわたと慌て出した。
「あの、その、僕、何も盗っていません。その、これを機会に自己紹介させてもらいます! 僕は家つき妖精です!」
無意識のうちに眉を片方跳ね上げれば、リアムが家つき妖精とは何かを僕に問うてきた。よりにもよって僕に説明を求めるのか。
昔から説明するのは嫌いだった。それに少年は家つき妖精なんかじゃない。竜人だ。少年は何故そんな嘘をつくのか。リアムも何故そんな嘘に付き合おうとするのか。
うっすらと口角が上がった。おもしろい。この茶番に僕も乗ってみるか。軍は辞めた。時間は有り余るほどある。
「リアム、このルエティアには古い家につき一人の守護妖精、家つき妖精と呼ばれている者が住んでいる」
眼鏡の少年の顔色がすっと変わった。この家は新しくもないが古くもない。経って十数年といったところ。
僕が歩みを進めて眼鏡の少年の肩を優しく抱けば、眼鏡の少年が真っ赤になって俯いた。
「華奢だね」
「ヴォルフ」
リアムから美しい音色のような冷ややかな冷気が流れ始めたのを感じて、眼鏡の少年の肩から手を離した。これでリアムはよほどのことがない限り、この眼鏡の少年の肩を持つことはないだろう。さっくりこの事態を片付けられる。リアムは支配者の竜気を纏っている。支配者の竜気を纏う者は保護欲をそそるタイプの者を構う傾向にある。レイモンドやルイがそのいい例だ。
「リアム、家つき妖精は少しいい魔法が使えて、人が寝静まった時や、出かけた際に、その家の仕事を手伝ってくれる。ここルエティアでは神様のような存在だ。ただし服をプレゼントするといなくなると言われている」
「では私が君に最上の服をプレゼントしよう。今すぐ出ていきたまえ」
リアムが見た者を陶然とさせる美しい微笑みを眼鏡の少年に向かって浮かべれば、眼鏡の少年は顔色を失わせた。
「え、え、遠慮します。僕は、その、この家の家つき妖精でいたいので」
「 家つき妖精 はブラウニーだ。肌の色は茶色で、全身が毛むくじゃらで常に裸でいるか、ぼろぼろの服を着ている。この世界の住人なら子供でも知っている。君は知らなかったのか?」
「え、あ、あ、えと」
「君はこの世界の者ではないな? 何故僕の家にいる?」
「あ、あ、俺、僕は……ああ、その、すみません!」
眼鏡の少年は顔色を紙のように真っ白にして、平伏した。
眼鏡の少年はタクトと名乗り、時空の歪みに落ちて異世界からやってきた稀人だと、嘘を重ね始めた。
「そう」
少し遠い目をしてしまった僕は悪くないと思う。この茶番はまだ続くのか。
ここルエティアでは稀人を手厚く保護するが、タクトは落ちてきた時に、運悪く過去落ちてきた凶悪な稀人、モルグの駆除話、目につけば容赦なく殺す話を耳にしたらしい。
稀人であるタクトはこの国の人に見つかれば、殺されると思い、隠れ潜り込んだ先が僕の家だったとか。
僕の雇っていた通いのハウスキーパーはタクトの気配をそれとなく感じ家つき妖精さんと呼び、お供えと言う名の食事を与えてくれたそうだ。タクトは食事に困らず、このままこの家の家つき妖精として生きていこうと決めた矢先、リアムがこの家の玄関から入ってきた。タクトは当然、隠れたが、リアムはこの家に隠れ潜むタクトの気配に気が付かないはずがない。
五大公爵家嫡男おぼっちゃまであるリアムは当然のようにタクトにもてなしを要求し、そのうち僕が帰ってきた、そうだ。
リアムが吠えた。
「ヴォルフ! 玄関の鍵を閉めておけ! この家開いてたぞ!」
肩をすくめた。それが見知らぬ少年、タクトとリアムをこの家に招き入れてしまった原因だろう。失敗した。まさか僕の留守中、竜人が二人も堂々と侵入してくるとは思いもよらなかった。
そもそもこのルエティアには僕とレイモンドしか竜人がいなかった。だから竜人しか出入りできない限定の結界を張っていれば問題ないだろうと思っていた。違ったようだ。
「頼むから自分のその愛らしい顔をきちんと自覚してくれ。無防備すぎる」
「この顔が愛らしくなったのは、数時間前のことだ。それまで不気味な仮面を被っていた。そんな怪しい奴を誰がどうこうしようと思うのか」
「顔だけが愛らしさの基準じゃない。そもそも愛らしさは顔だけでなく、それを引き立てる雰囲気やルックスも重要な要素になってくる! 肉欲を掻き立てるその妖艶な雰囲気に、そのスタイル! 襲わずにはいられない!」
「襲うな。出て行け」
「例えだ!」
僕にとってどうでもいい美について語り、地団駄を踏むリアムを見ると心が和むのは何故だ。よく分からないが、おぼっちゃまは怒ってもイマイチ迫力に欠けている。あと黒の絢爛とした衣装がリアムの動作に美しく揺れる様がとても美しい。リアム本体と相まって芸術鑑賞しているような気がしてきた。
無意味な時間に痺れを切らしたのか、眼鏡の少年が口を開いた。
「あの……ヴォルフ様はご領主様だったんですか?」
そうだ。この眼鏡の少年と茶番で遊んでいたんだった。もはやどうでも良すぎて、忘れるところだった。やる気のなさを押し隠し、できるだけ美しく見える笑みを零した。
「ああ、こんな小さな家に住んでるのが不思議?」
「あ、い、いえ、全然小さくなんてないです。規模、内装、装飾の豪華さでは僕の故郷を凌駕している家ですが、その、お城みたいな建物が窓から見えてて」
「ああ、領主なんて名前だけのもの。厚顔無恥にもあんな城には住めない」
ここの領官達は初対面、不気味な仮面をかぶった僕を見て腰を抜かしていた。初対面の印象は底辺を這っている。
奢侈淫佚、贅沢にふけり、淫らな楽しみや遊興にふけっていると、昔のように陰で囁かれるのはもう懲り懲りだ。
茶番に戻り、どうやってタクトはこの家に侵入してきたのか聞けば、タクトは雨降る夜、このルエティアでは珍しい木造建築に興味を覚えて、裏口から侵入してきたそうだ。ちなみにこの家、竜化した時のことを考えて、庭は広く、門はない。
リアムが呆れたようにため息を吐いた。
「どうして裏口にも鍵をかけていないのか!」
「裏口はハウスキーパーのかけ忘れだ。それに玄関が開いていれば、裏が開いていても問題ないと思ったんだろう」
「もっと性格のきちんとしたハウスキーパーを雇え!」
「そうする」
最低限のルールは守ってもらわないと、僕の想定外の事態を引き起こしかねない。今回の件は別だろうけど。
タクトがおずおずと手を上げた。
「あの……僕を雇ってもらえませんか?」
口角がはっきりと弧を描いた。おもしろい。この茶番の終着点はどこにあるのか。ぜひ見届けてみよう。
「いいよ。お願いする」
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