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第50話

 パラレルルート 10  リアムの故郷シャヴァンヴィルに行った翌朝からダイニングテーブルの上に薄桃色の野花がぽつんと一輪、飾られるようになった。  これを僕にどうしろと。    聞くに聞けず、僕は一輪の薄桃色した野花を朝食をリアムが作り終えるまで、毎朝じっと眺めることになる。  野花は毎朝テーブルに飾られていた。毎朝摘まれてくるのか、枯れることも萎れることもない。  毎朝、夢から覚めて、可憐で力強く咲く花を見ては、なんとなく一日の始まりを感じた。  それでも薄桃色の野花は故郷ウィステリアの野花だ。春になって間もない寒さが消え切らない頃に咲く野花だ。  毎日、毎日、例え季節が変わってもテーブルに飾られ続けていると、この野花をリアムはどこから摘んできたのかと、不思議に思う。  薄桃色の野花を毎日見ていれば、今日は雨の中、摘まれたようだとか、今日は雪だったのかとか、晴れているとか、夜冷え込んだようだとか、そのうちそんな様子が分かるようになってきた。  ある朝、目覚めれば、リアムがダイニングテーブルの上にずらりとご馳走を並べていた。  よくあることだ。何とか記念日とか、何とか記念日とか、リアムの中で刻まれている記念日。僕が何の記念日なのかと聞けば神授の美貌が笑み崩れる日。今日も何とか記念日なんだろう。そのうち毎日が何とか記念日になるだろうけど、どうせ僕にはその内容が分からない。  ご馳走の真ん中。薄桃色の野花が楚々と咲いていた。昨日とは違う野花。同じようでいて僕には違いが分かる。毎日見ているからだ。 「今日も綺麗だな」  花壇で咲く花は誰かが世話を焼くから綺麗に花を咲かせることができる。  でもこの野花は勝手に根づいて誰に世話焼かれることなく、花を咲かせる。  明らかに多くの緑、雑草の中に咲くこの野花を醜いと言う人もいるだろう。僕も最初、綺麗だと言うリアムのその感覚を、子供ならまだしもと、呆れていた。  この野花はこんなにも生命力に満ち溢れていて綺麗なのに。 「ヴォルフ、ありがとう」 「何が?」 「受け入れてくれて」  それが薄桃色の花のことを言っているのか、リアム自身のことを言っているのか、僕には分からなかった。   「私を番(つが)いにしてくれなくていい。ずっと貴方のそばに、いさせて欲しい」  結果同じだ。いい加減僕から離れて幸せになれと言おうとして……言葉を詰まらせた。リアムを見ていたら、説明できない感情が込み上げてくる。 「…………好きにすればいい」  そっと顎(おとがい)を引き寄せられる。目を合わせづらくて目を伏せた。強引に視線を繋がれて、息を詰める。リアムが僕を渇望してる。匂いを遮断しているのにそれが分かる。リアムはやはり僕の運命の番(つが)いだ。リアムの触れたところ、妙に熱い。言葉が出ない。リアムに身体ごと引き寄せられる。 「私に気を許し過ぎだ。隙が……ありすぎる」 「リアムは僕が何を言っても、したいことをする。そうだろう?」 「私が本当にしたいこと、分かって言っているのか?」  一瞬、襲われるのかと、身を固くした。匂いを遮断している僕の結界をリアムは一瞬で解くことができるだろう。そうなれば、僕は、もう、リアムに逆らえない。  そう自覚すると、身体がふるりと震えた。リアムが空いた手で耳朶を包んできた。 「ヴォルフ、その気がないなら、そんな顔を私に見せるべきではない」  リアムの手を振り解いて、後じされば、リアムが苦笑して僕の髪を指で梳いた。 「寝癖がついてる。おいで。私が直してあげよう」 「余計なお世話だ。自分のことは自分でできる」  足音高くバチュラーチェストに向かった。リアムの顔は見れなかった。    時間はぐんぐん流れても、僕はルイにマーキングされたまま、リアムとの奇妙な共同生活を続けていた。    ある日のこと。  リアムの永遠続きそうな献身さに僕がいたたまれなくなり、ひどい暴言を吐いてしまった。ただの八つ当たりだ。  リアムは僕が何を言おうと気持ちを揺らがせることなく、すべて受け入れ、それから暴言を吐いたはずの僕を慰めた。  あまりふたりきりで居ない方がいいような気がした。このままではまずい。囲い込まれる。    久々レイモンドのところに遊びに行けば、リアムとの距離の近さに驚かれた。そういえばリアムとの単純な触れ合いに違和感がまったくない。  それでもリアムは男である僕をエスコートするほど愚かなことをしていない。リアムはただ僕の後ろ控えるように立っているだけだ。  それなのに何故「ふたり番(つが)ったのか?」とまで聞かれるのかが分からない。  ただ空気を伝わってリアムの吐息が聞こえるほど近い距離にリアムが居るのは分かる。  身上げれば、リアムがいつのように大切なものを見るような目で僕を見ていた。リアムを見ると胸にわだかまった不安が解消され身体の力が抜けていく。自然と寄り添えば、レイモンドがため息を吐いた。 「潮時だろう。そんな奇妙な関係を続けるのも。ヴォルフ、リアムがある日突然、お前の家からいなくなったら、どうする気だ」  リアムが僕のそばから離れるはずがない。むっとして、それからリアムが僕のそばから離れることを想像した。血の気がひいた。リアムが僕のそばから離れることがまったく想像できない。したくない。つまり僕はそれだけリアムに依存してしまっている。 「私はヴォルフから永遠、離れる気はありませんが」 「リアムは黙って聞いていろ。ヴォルフ、どうする気だ」 「……想像、できない」  リアムは生活の一部で僕の一部になっている。 「そうなってからでは遅いぞ」  レイモンドの言葉に顔を青ざめさせてリアムを見上げれば、リアムが僕の背をそっと撫ぜた。 「どうあっても私は貴方から離れられない。そんな不安そうな顔しなくていい」  その言葉を聞いて安心すると同時に強い感情が身体を貫いた。それはとてつもなく前向きな発想だった。  永遠にルイにマーキングされたまま終えるよりも、このままリアムと同じ時間を過ごしたい。つまり、僕はリアムと番(つが)いたがっている。  こんな発想が自分の中で生まれるとは思わなかった。いや、長い時間をかけてじわじわと根付いて、今、芽吹いただけのような気もする。  リアムを愛しているのかと聞かれれば、分からないとしか答えようがない。ただ依存しているだけかもしれない。それでもリアムが僕のそばからいなくなるのは、どうしたって、耐えがたい。  ちょいちょいとリアムの袖をひき、今すべて思ったことを伝えようとして、リアムがその場にへたり込んだ。 「リアム?」  柳眉を逆立てて僕を睨(ね)め、神授の美貌を赤く染めている。 「何の、おねだりですか?」  僕と番(つが)ってくれないか?  勢いで口にしようとしたことが、勢いを失い、口の中で萎(しぼ)んで消えた。おねだり。軽い響きだ。 「……家に帰ってから、伝える」  そうだ。そもそも勢いでプロポーズを口でするものじゃない。きちんと準備を整えてからするものだ。  どう整えよう……リアムは美しいものが好きだ。  家の中には、美しいと思うもの以外は置くべきでないという考えも持っている。でも僕は孤児だった経験からか身にそぐわない妙に豪華なものは苦手だ。だからリアムは素朴な美しいものを家の中で飾り立てる。  目が覚めればカーテンを開けて、窓辺に朝日を飾る。それから朝露に濡れた草木、窓辺に寄ってくるスラリとしたスタイルの白と黒の鳥の鳴き声、麦の穂を揺らす風の音。  明日の朝は僕が早起きしてそれらを飾り、それからリアムの袖を軽く引いて、僕を番(つが)いにして欲しいとプロポーズしよう。  リアムは僕のおねだりを喜んで……くれるだろうか。喜んでくれるだろう。その姿を想像するだけで心が躍る。  不思議そうにするリアムに、僕はどこか得意そうに微笑んだ。  その後、庭でレイモンドと剣を交わして遊んでいると、始祖竜とリアムが庭の端っこ、ひそひそと何か話し合っているのが見えた。 「ヴォルフ」  そのワードを始祖竜の口から発せられたのを聞いて、僕はレイモンドと剣を交わしながら二人の会話に耳を澄ませた。  レイモンドの綺麗な形した片方の眉が上がる。レイモンドは僕が聞き耳を立てていること気が付いたようだ。それでも趣味が悪い、と僕を諌(いさ)めることなく、僕と剣を交わしてくれた。 「ヴォルフからその昔、相談されたことがある。マーキングを消す方法だ」  始祖竜の声だ。  蜂蜜色の閃光の中、レイモンドの蜂蜜色の目がすがめられた。レイモンドもふたりの話に興味を持ったのか。いや剣技のスピードとパワーが上がった。僕にこれ以上、ふたりの会話を聞かせたくないようだ。一体何なのか。レイモンドの剣を避けながら、ふたりの話に聞き耳を立てる。 「私はない、とその時答えた。が、あれから調べた。リアム、そなたに覚悟があるのなら、そなたの竜の逆鱗を砕き、ヴォルフに食べさせるといい。それでヴォルフは痛みなく、そなたに上書きされることになる。ただその際、ヴォルフは貴様の竜の逆鱗を辛い、いや、痛いと感じるだろう。だから香辛料を大量に使った料理に混ぜるがいい。それから匂いを遮断する結界を外し、ヴォルフを犯せば」    ろくでもない会話を遮るように、レイモンドの長い足がざりざりと音を立てて地面を滑った。僕の足払いを狙っている。垂直に跳躍すれば、蜂蜜色の閃光が恫喝(どうかつ)も気合もなく、垂直に落ちてきた。殺気のさの字もない。でも容赦ない。頭上に降ろされる剣の凄まじさに恐れ慄(おのの)き、始祖竜とリアムの話に聞き耳を立てている余裕がなくなる。僕が弾いたのは火花なのか、剣なのか。  左に大きく跳躍し、裾(すそ)を羽根のように翻(ひるがえ)し、埃ひとつ舞わないよう、静謐(せいひつ)とした着地をすれば、レイモンドの刀身が、がっとリアムの剣と噛み合っていた。 「追撃まではやりすぎです。それではヴォルフが怪我をする」 「過保護だな。ヴォルフはそんなに弱くない」 「……! 知己(ちこ)だか何だか知りませんが、私の前でヴォルフを知ったような口のききかたは控えていただきたい……!」  ふたりの姿は突き放つ刀身の形をとって溶け合ったかのように見えた。  庭の隅、始祖竜の姿はもうなく、喉が渇いてもいないのに、喉が大きく上下した。    その昔、ルイと過ごした桃源郷。僕はルイに麝香(じゃこう)のような、くさい臭いのする竜人の鱗を食べさせられた。意識が朦朧(もうろう)としていたため、色は覚えていない。ただ怖気の立つ避妊対策の鱗、だと思っていた。  あの鱗を食べさせられた後、気が付けばリアムにつけられたマーキングはルイによってすべて上書きされていた。痛みは感じなかった。  あれは怖気の立つ避妊対策の鱗ではなく、ルイの竜の逆鱗だった、のか?    まさか。そんなはずない。  竜の逆鱗は生涯に一枚しか生まれない。最大級の求愛方法として使われたり、竜か人間と違う時、仮竜人化させるために使われる。そんな大切な自分の竜の逆鱗を、金で買っただけの僕にルイが与えるはずがない。  いや、でも、まさか。  ルイに中で吐精された生々しい暖かさを思い出して、ぶるりと震えた。ルイの優しい眼差しも、口付けも。 「ヴォルフ、どうした? 顔色が悪い。どこか痛むのか?」 「……帰りたい」  桃源郷に帰りたい。僕はとんでもない思い違いをしていた。  ルイはいつでも僕のことを優先していた。壁に積まれた金、あれはルイの意地悪だ。  僕はルイの子種を体内に注ぎ込まれ、ルイの番(つが)いにされている。  リアムに縋(すが)りつけば、ふいにリアムの手がうなじに回り、引き寄せられていた。リアムを見上げると隙間もないほど身体が密着している。   「ヴォルフ……! 何があった!?」 「帰りたい」  でも帰れない。  僕は、リアムと生きる未来をもう自分自身で選んでしまった。  過去には、帰れない。 「僕は、大事な、逆鱗を、食べてしまったのに」

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