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第52話
パラレルルート 11
それから僕は吐いた。吐いて吐いて吐き戻した。ルイの大事なものを吐いて、ルイの元に戻そうとした。
そんなこと、できるはずないのに。
医者が呼ばれて診てもらっている間にも吐いた。医者の見立てに僕の身体に異常はなく、精神的なものだろうと診断された。
精神安定剤を処方されて落ち着いてくると、半狂乱になりレイモンドに取り押さえられているリアムが目についた。
「リアム」
ベッドから手を伸ばせば、リアムが慌てて駆け込んできて僕の手を取った。緊張の為に歪んでいた神授の美貌が、ふ、と和む。陶然と見惚れ、リアムも僕と一緒だと思った。運命の番同士、触れ合うだけで心が緩む。
リアムは僕の手を額に押し当て、低く呻くと、喉元に真っ赤に熟した果実のような竜の逆鱗が浮かび上がらせた。
「始祖竜と私の話を聞いていたのか。大丈夫だ。私の竜の逆鱗はまだここにある」
何をどう勘違いしたのか。
始祖竜とリアムの話の後、僕がリアムの竜の逆鱗を食べる時間なんてなかったのに。
リアムの早とちりに、ほんのりとかすな笑い声が漏れた。大切なものを見つけたような気持ちになって、リアムの陶器のように滑らかな頬に指先を触れさせた。
リアムは僕のこぼした笑みの意味が理解できなかったんだろう。神授の美貌に強張った表情を浮かべて僕を見返している。
「悪かった。笑ったりして。リアムは僕の尊厳を侵さないこと、知っている」
リアムはそんな狡いことしない。そんな狡いことが出来れば、何らかの形で僕とのこの関係はとうの昔に崩れ去っている。リアムはこの奇妙な関係を続けた時から意外にも僕に誠実であり続けた。
指先でリアムの頬を撫でれば、リアムがぎこちなく目を伏せ、ふいに僕の身体を抱き寄せた。
「リアム?」
僕の身体に覆いかぶさるリアムが僕の耳元、掠れた声で囁いた。
「永遠、離さないと、約束する。大切にする。だからどうか、許して」
リアムの凄まじい美貌が傾き、僕の唇に唇を重ねようとしてきた。それを後からレイモンドが阻んだ。
「リアム、今はヴォルフを休ませてやれ」
精神安定剤が効いているのか、頭がぼんやりしている。薬の効果か、ここが夢か現(うつつ)か。よく分からなくなってきた。
「ヴォルフ」
この世のものとは思えない美しい呼び声を最後に僕は眠りへと堕ちた。
目が覚めれば、リアムはリアムの故郷、シャヴァンヴィルの意趣(いしゅ)ある衣装を既に纏(まと)い、僕の眠るベッドの傍らに立っていた。闇よりさらに濃い闇色の衣装はリアムの精妙な美しさを引き立てている。
「リアム? その格好はどうした?」
僕の問いにリアムは戸惑った表情を浮かべた。無言で冷たい水を差し出されて、喉を潤した。窓が開いているのかカーテンが大きく揺れた。
ふいにリアムの腕に抱き寄せられた。リアムの胸元に僕の頭が押し付けられ、僕の髪の中にリアムの鼻先が埋まったのが分かり、そっと目を伏せた。
「気分は?」
「もう大丈夫だ。心配かけて悪かった」
リアムを見上げると、僕のうなじにリアムの手が回り、気が付いた時には唇に唇を押し当てられていた。驚いて、目を、見開く。
痛みがない。上書きされる痛みが、まったく、ない。
唇に触れるリアムの熱い吐息がゆっくりと離れていく。そんな刺激に身を震わせれば、リアムが僕の頬を名残惜しげに撫でた。
「痛くない、どうして……?」
「すまない。私は知らず貴方の尊厳を侵していた。貴方はその気の有る竜人と暮らしていた。食事に、入浴、私はそうとは知らず、貴方にマーキングしていた」
衣擦れの音。リアムが腕を伸ばし、すがるように僕を抱きしめた。
「一生、あの男にマーキングされたまま死にたいと貴方は言っていた。私は、私は、おもしろく思わなかったまでも、貴方の気持ちを尊重したくなかった訳ではない。信じて欲しい。知らなかったんだ。そんな話、聞いたこともなかった。気が付いた時には、貴方はもう、私に完全にマーキングされていて、あの、男の影はなくなっていた……!」
悲痛な声が耳に残響する。
「私は貴方を困らせてばかりだ。迷惑がられても気持ちを押しつけて。これでも諦めようと思った時が、何度も、あった。でも貴方はその時既に私にすべてマーキングされていて」
リアムは、義務で、僕といたのか。
「……で、だから……」
リアムの話がうまく頭に入ってこない。両手で両耳を覆った。
竜人戦の武闘会、優勝者と闘った後、僕は様子のおかしいリアムに上書きされてしまった。
ルイはその上書きを消すためにひとつしかない自分の竜の逆鱗を僕に食べさせた。
それなのに僕はリアムとのうのうと暮らし、ルイの大事な竜の逆鱗をないがしろにしてしまっていた。
僕はリアムと生きることを選んだ。
でも竜の逆鱗を失ったルイは? もう人間や竜と番い子を成すことができない。
息を殺したリアムに見つめられた。万物をかすませる美貌。戦慄し引き込まれそうな海の色した瞳。
何をどうリアムに言えばいいのか分かっていなくて、瞬きすれば僕の目尻から雫が溢れた。
リアムの震える指先が僕の頬まで伸びて、カランッと小気味のよい音と蜂蜜色の光が僕とリアムを包んだ。
その昔、リアムと僕、どちらかが、嫌になったり、辛くなったりすれば、二度とそばにいられなくなる契約が履行された音と光だった。
海を思わせるリアムの碧い双眸(そうぼう)に深い絶望が暗く沈んだ。その瞬間。
ぱちん。
泡が弾けるようにリアムがその場から消え、続いて、カラン、と軽い音を立てて緊箍児が床に落ちた。
窓から風が吹き込んで、カーテンがはためく。
部屋には僕がひとりきり。
他には誰もいなくなった。
リアムを探した。頭がぐちゃぐちゃに混乱していて、何がどうなったのかよく分からなかった。ただそばにいるだけで心が安らぐリアムが僕のそばにいないことだけ、分かった。
いつの間にかリアムに上書きマーキングされていたことは、全然、気にならなかった。僕はリアムのものになろうと思っていた。リアムにマーキングされたのが早いか遅いかだけの違いで、何の問題もない。
寝衣のまま神経を張り巡らせてレイモンドの屋敷内、リアムを探せば、リアムの気配はどこにも見つからなかった。
リアムが僕の近くにいれば僕はすぐに気付くことができる。身体が信号のようなものを受け取るからだ。リアムが近くにいると何とも言えない安心感や、高揚感、それからざわざわと騒ぐような感覚が胸を締め付ける。それらを頼りに探せばリアムはいつものようにすぐに見つかるはずだった。でも見つからなかった。
転移して自宅に戻ればリアムの荷物はそのままで、リアムだけが消えていた。
リアムはリアムの故郷、シャヴァンヴィルの意趣(いしゅ)ある衣装を既に纏(まと)っていた。服を手早く着替えて、シャヴァンヴィルに異世界転移し、ジュリアンを、探し出し、リアムの居場所を聞けば、ジュリアンにリアムは戻ってきていないと言われた。
シャヴァンヴィルをくまなく探してもリアムはどこにもいなかった。
ヴィルトリアにも異世界転移して探した。リアムの気配はどこにも見つからなかった。
リアムのいそうな場所、徹底的に探した。探して探してどこまでも探して、額に汗流すレイモンドに捕まって、何があったのかを聞かれた。
うまく説明できたかどうか分からない。僕は異世界転移のし過ぎで疲弊しきっていた。汗だくで荒呼吸を繰り返し、立っていることさえままならなくなっていた。
リアムを探すことしか考えていない間は脳が興奮していて、気が付かなかったが、これ以上異世界転移すれば危険な状態に陥っていた。レイモンドが捕まえてくれなければ僕は途中ブラックアウトして世界の狭間に堕ちていたかもしれない。
レイモンドは僕の話を聞いて、まず、僕がルイの逆鱗を食べていないことを教えてくれた。
竜の逆鱗を食べれば相手の特性を受け継ぐはずで、そうなれば僕の色も竜気もルイと混じりあったものになったはずだからと。
安心した僕にレイモンドは続けて言った。
「それから冷静に聞いてくれ。お前とリアムが一緒にいるためのあの契約、罰則はない。解消条件があった時、音と色だけで知らせるだけのものだ。お前が罰則を喰らうのは割に合わないだろうとリアムの要望を密かに受けて俺がそうした」
リアムが消えたのは、リアムの意志か。そんな気はしていた。
崩れ落ちそうになる僕の身体をレイモンドが支えた。それが証拠に僕がこんな状況に陥っても、リアムは現れない。リアムは僕を隠れて見ていない。
リアムに、プロポーズしようと思っていた。
リアムは美しいものが好きだった。
だから美しいと思うもので囲んで、僕を番にして欲しいとおねだりしようと思っていた。
「お前の性格を踏まえた上で、あえて昔聞いたリアムからの伝言を、語弊のないようそのまま伝えておく。リアムは契約が解消されれば、もう二度とヴォルフを見守ることも会うこともしないそうだ。だが、今後、幸せなヴォルフの視界にリアムが入るようなことがあれば、一瞬で逝かせて欲しいと。それが慈悲だと、言っていた」
リアムの意志を尊重すれば、僕は、リアムに、二度と、会うことができない。
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