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『先生の陥没乳首が狙われているようです』一時限目②

※  碧との出会いは三年前――赤峰が大学三年生の時だった。  碧の父親と赤峰の父親は、高校のバレーボール部の先輩後輩の間柄だ。父親同士の仲がよく、碧の高校受験の家庭教師を頼まれた。  碧は中学三年生で、バレーボール部のエーススパイカーを務めていた。  当時、碧の身長は一六〇センチ未満だったが、誰よりも高く跳ぶことができる小さな巨人だった。優れたジャンプ力を誇っていたが、それでも高さの壁を感じていた。小さくても闘える選手になりたいと切望していた。 「どうしても、バレーボールの指導をしてもらいたい監督がいる」  それが、互いの父親を通して家庭教師を依頼された理由だった。  赤峰は、碧の応援がしたいと思った。  赤峰自身、小学校から大学までバレーボールを続けていたが、ポジションはリベロであることが多かった。  赤峰は一度だけ、碧の父親に連れられて、碧のバレーボールの試合を観に行ったことがある。 「あれが息子だ」  体育館の二階にある通路から、赤峰は碧を初めて見た。 (翼があるみたいだ)  背中に羽が生えたかのように真上に跳躍する姿に、赤峰は心を奪われてしまった。  赤峰よりも小さかった碧が、果敢に空中戦に挑む姿は、赤峰には眩しく映った。 (碧のお母さんは、きっと美人だったんだろうな)  十五歳の碧は母親似で、背も低かったことから、女の子にしか見えなかった。碧は赤峰の前では微笑みを絶やさず、いつも明るく振る舞っていた。笑顔の仮面の下に悲しみをたたえていることを、赤峰は知っていた。  碧は四歳の頃、くも膜下出血で母親を喪っている。しかも、碧の目の前で倒れたそうだ。  碧は年齢の割に落ち着いていて、子供らしくないところがあった。どこか無理しているように感じたのは、赤峰の気のせいではなかっただろう。  男手ひとつで二人の子供を育てた碧の父親は、大手ゼネコンに勤めている。九歳年上の姉は既に嫁いでいて、碧は大きな家で、独り父親の帰りを待っていた。  碧が週に一度だけ夕食を共にする相手が、家庭教師をしていた赤峰だった。驚いたことに、碧は赤峰の分まで手料理をふるまってくれた。碧の手料理は絶品で、赤峰は毎週楽しみにしていたものだ。  赤峰が美味しそうに食べている様子を、碧はいつも嬉しそうに見詰めていた。 「料理ってさ、自分でも上達したと思うけど、やっぱり、好きな人に食べてもらうのが、一番嬉しいよね。一人で食べても、美味しくないし」  碧はそう言って、朗らかに笑うのだ。赤峰はそんな碧を、不憫に思った。  ほうっておけない。赤峰はそう思った。  無自覚ではあったが、確実に、赤峰は碧に惹かれていった。  二人の関係の変化は、突然訪れた。  碧の部屋には、机と椅子が一セットしかない。そのため、フローリングの床の上にカーペットとローテーブルを置き、二人で並んで座る。  碧は赤峰のことを『先生』とは呼ばない。碧はいつも、『太陽さん』と呼ぶ。 「太陽さん」 「ん?」  二人っきりの食事を終え、碧の部屋でいつも通り勉強を見ている時、それは起こった。  碧は赤峰の腕を引っ張ると、体重をかけて床の上に押し倒した。 「あ、碧。何を……」  逆光になって、碧の表情がよく見えない。  碧は、赤峰の両手にそれぞれの指を絡めて、低く言う。 「太陽さん、俺のこと好きでしょう」  目が慣れてきて、碧の顔が見えるようになる。綺麗な顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。  赤峰はひどく狼狽する。 「な、なななな、なんで! 何がどうなったら、そういう考えになるんだ!」  対する碧は表情を変えずに、指に力を込める。 「慌てすぎ。そんなに驚くこと? だっていつも、俺のこと気にかけてくれてたでしょ?」 「それは、家庭教師だから……」  瞬間、碧が悲しそうな顔をした。  少し胸が痛んだが、いつまでも見詰め合っていることはできない。握られた手が熱を持っている。碧の熱い視線にあぶられ、火傷しそうだ。 「俺、太陽さんが好き。大好き。俺たち、両想いでしょ? だから、俺のものになってよ」 「会話が噛み合ってないぞ! いつ俺が好きって言った?」  赤峰は、碧が一瞬だけ傷付いた顔をしたのを見逃さなかった。  赤峰は小柄とはいえ、大学運動部に所属する成人男性だ。バレーボールで鍛えているとはいえ、自分よりも小さい十五歳の中学生を振り払うことくらいはできる。けれども、碧の寂しげな顔を見ていると、拒んではいけない気がした。  碧は眉を(ひそ)め、苦しげに言う。 「女の人じゃないから? 俺が男だからいけないの?」  嘘が吐けない性格の赤峰は、馬鹿正直に応えてしまう。 「いや。物心ついた頃から、気になるのは同性ばかりだった。多分、ゲイなんだと思う」  気になった同性のうちの一人が碧だということに、赤峰は気付いていなかった。  碧の表情がぱっと華やぐ。赤峰は一瞬見惚れてしまったが、すぐに我に返った。 「けど、ダメ!」 「どうして?」  碧の吐息が唇にかかる。女性のような綺麗な顔が間近に迫り、赤峰はうろたえた。  もし、今この瞬間、碧の父親がこの部屋の扉を開けば、責任を取らされるのは間違いなく赤峰だ。何かあってからでは、取り返しがつかない。  赤峰はたまらずに声を荒らげた。 「中学生は恋愛対象外だ! 犯罪者にする気か! 教師目指してんのに! 教職って単位取んの大変なんだぞ!」  碧はわかってくれたのか、手を放して体を起こした。  赤峰も体を起こす。腹の上に碧が乗っているため、至近距離で向かい合うことになる。 「俺、太陽さんの邪魔は絶対しない。けど、俺の気持ちが本気だってこともわかってほしい。中学生だからって、土俵にすら上がれないなんて、そんなの嫌だよ!」  赤峰は言葉をなくして、ただただ碧の香色(こういろ)の瞳を見詰めていた。  碧は切なげに問う。 「何年待てばいい? 俺、いつまでも待つから」 (「いつまでも待つ」って、そのセリフ、本来俺のセリフじゃねえかよ!)  碧は未だに腹の上に乗っている。密着した下肢が、どうにかなってしまいそうだった!  赤峰は壁掛け時計をちらりと見た。 (今帰宅されても、説明に困る!)  時刻は二十二時になろうとしている。そろそろ、碧の父親が帰ってくるだろう。  碧に視線を戻し、叫ぶように言う。 「三年! 三年早い! 十八歳になってから!」

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