5 / 34

『先生の陥没乳首が狙われているようです』三時限目

 翌日になっても、碧とファーストキスを交わした興奮が治まらなかった。  赤峰は英語準備室の掛け時計を見上げる。そろそろ碧がやってくる。 (二十三歳にもなって、キスで動揺してるなんて、思われたくない)  ファーストキスだったことも、碧には知られたくなかった。なんとしても、教師としての威厳を保たなければならない。  扉が控えめに開かれる。必要最低限の隙間を開けて、碧が音もなく入ってきた。後ろ手ではなく、碧は振り向いてドアを閉めた。いつもと様子が違う。 (どうしたんだ?)  こちらを向いた碧は、目が合うと、一瞬だけ視線を反らし、すぐに元に戻した。恥じらう乙女のように、頬を少し染めながら、口元に笑みを浮かべている。  どきんどきんと、胸が躍ったのは言うまでもない。赤峰は顔を伏せて、呼吸を落ち着かせた。 (反則だ。モデルで俳優でもあるくせに、昨日俺とキスしたってだけで、そんな反応するなんて! 思春期だな! おまえ、俳優だろ! ドラマで大物女優とキスシーンしてんの見たぞ! そうだ、キスしてたんだ!)  心の中に嫉妬の炎が燃え上がったことで、赤峰は少し冷静になれた。  空咳をひとつしてから、赤峰は険しい表情でソファーに手を置いた。 「碧。話がある。ここに座って」 「太陽さん、怒ってる? 今度こそ出禁とか?」 「怒ってないから、とにかく座りなさい」 「え? 怒ってないの?」と言いながらも、碧は素直に腰を下ろした。 (怒ってるって言ったほうがよかったのか?)  碧は座ったまま赤峰を見上げてにこにこしている。 (このアングル懐かしい! 碧、かわいい!)  上目遣いで小首をかしげる動作は、中学生の頃から変わっていなかった。 「太陽さん」  碧の吐息には、熱が混じっていた。指先を絡められ、腰を引き寄せられる。碧のハシバミ色の瞳は、まっすぐに赤峰に向けられていた。  触れ合った皮膚が、布越しに熱を持つ。時が止まったかのように、なんの音もしない。  極度の緊張のため、赤峰は碧の顔を見ることができなかった。碧から顔を背けて、あらぬ方向を見詰める。碧の声だけが、耳元で響く。 「俺、真剣なんだ。真剣に、一人の男として、太陽さんを愛してる」 「あ……あ、お………や、め……」  頭を抱え込まれ、強制的に下を向かされる。 「あ……! んっ……!」  唇をふさがれると同時に、体が一瞬宙に浮く。腰を支えられ、ソファーに座る碧の膝の上に乗せられたのだ。 (二回目でも、舌は入れて来ないんだ)  碧の唇は弾力があり、それでいて柔らかかった。  赤峰は足を大きく広げて、碧の股間をまたいだ状態だ。 (こ、これって、俺が入れられる体勢じゃないか!)  赤峰は内心で慌てふためいていた。学生時代、友人の部屋で観たAVで、巨乳の女優が正面座位で挿入されていたのだ。  碧は真面目な顔で、赤峰を見詰めている。 「昨日不意打ちみたいにキスしたのは、悪かったと思ってる。けど、聞いて。話くらい、聞いてくれたっていいでしょ?」  頭の中で警鐘が鳴り響く。目蓋の裏に浮かんだのは、やはり正美の顔だった。 (この流れは、やばい……!)  早く碧から離れなければと思うのに、腰が抜けたみたいに、指先ひとつ、動かすことができなかった。 「あなたが初めてうちの玄関に立っていた時、俺は、土弩(どきゅう)の矢で射抜かれたんだ。今ならわかる。あれは、キューピッドが放った恋の矢だった。ほとんど一目惚れだったと思う。この人に会うために、俺は生まれてきたんだと思った」  少し掠れた、変声期を経た大人の声で、碧はなおも愛の告白を続ける。 「好きになったきっかけは――四歳の時、目の前で倒れたお母さんに、顔が似ていることだったかもしれない。けど、太陽さんのことを知れば知るほど、もっと太陽さんのことが知りたくてたまらなくなった」  綺麗な顔をしているのに、碧は策士だと切に思う。亡くなった母親に似ていると言われれば、邪険にできるわけがない。 「気付いた時には、もう手遅れで、好きになればなるほど、お母さんみたいに、突然会えなくなっちゃうんじゃないかって……喪うことが怖くなった」  赤峰は、眉間の皺を深くする。何を言うのが正解なのか、とっさに判断ができなかった。 「太陽さんの、困ってる人をほうっておけない、優しいところが好き。だからこそ、不安になる。俺にだけ優しいわけじゃないから、俺だけのものになってほしい」  真剣な瞳で告げられ、どきりと心臓が跳ねる。  碧は情熱的に、なおも告白を続ける。 「天然ボケで、馬鹿がつくほど正直で、生徒の俺の前では強がってて、弱ってるところを全然見せてくれないところも、ひっくるめて、全部好き。熱血漢なのに、見た目は小動物みたいにかわいくて、そのギャップが超萌えるんだ」  碧は上目遣いに赤峰を見詰めながら、赤峰の右手を取って、手の甲に弾力のある唇を押し当てた。  顔から火を噴きそうだ。ドキドキしすぎて、心臓が悲鳴を上げている。  気障(きざ)な動作だが、碧がすると王子様のようにかっこいい。 「俺を、太陽さんだけのナイトにして」  ねだるように囁かれ、うっかり頷いてしまいそうになった。 「かっこいい太陽さんに並び立てる、強くてかっこいい男になりたい」 (ってことは、碧の中で俺は、碧よりもかっこいいってことか? そんなわけないだろ!)  再び顎を掴まれ、目の焦点が合わないくらい間近から見詰められる。  熱く濡れた感触が、唇の合わせ目をなぞる。  驚きすぎて、頭の中が真っ白になった。 (碧のやつ、舌入れてきた!)  熱い舌先は上唇と下唇を交互になぞり、奥で縮こまっていた赤峰の舌を、誘うように優しく舐めた。 「あっ……んぅ……」  口が大きく開いた刹那、碧は赤峰の後頭部を固定し、根元から舌を絡めてきた。  赤峰にとって、初めて経験するディープキスだった。触れ合っている舌だけではなく、顔がほてり、密着した下肢にまで、(おり)のように熱がこもっていく。 「は……あ……」  二人の唇を、銀糸がつないでいる。碧は赤い舌を伸ばして、銀糸を舐め取った。 (あの舌が、俺の口の中に入ったんだ)  赤峰はほてった体を、無防備に碧の厚い胸板に預けた。碧は優しく赤峰を受け止めてくれる。 「見てて。太陽さんに相応しい男に、なってみせるから」  ディープキスの余韻で、碧の呼気も熱く乱れていた。

ともだちにシェアしよう!