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『その後の先生の陥没乳首』act.6
碧が食後のコーヒーを淹れてくれる。赤峰はブラックコーヒーが苦手なため、ミルクがたっぷり入ったカフェオレにしてもらった。
赤峰は、上目遣いで向かいに座った碧をちらちらと盗み見る。
二人で後片付けをしている間も、ずっと落ち着かなかった。肩が少し触れたくらいで跳び上がるほどだった。
(コーヒー飲んで、はい、さよなら……とか、ないよな。付き合ってるんだし。夜に家に行っといて、何もないと思うほうがどうかしてるよな。俺たちもう、一線越えちゃってるし)
「ん?」
目が合うと、碧は微笑を浮かべる。わざとらしく見えないところが、碧は役者だなと思う。
「あ、えっと……そうだ。碧に、渡したいものがあったんだ。忘れないうちに、渡しておこうと思って」
ずっと見ていたことがばれたくなくて、赤峰はとっさに思い付いたことを言った。
「それなら、俺も太陽さんに渡すものがあるんだ。取ってくるから、待ってて」
碧がリビングから出て行く。
赤峰は自分を落ち着かせるために深呼吸した。椅子にかけていたショルダーバッグから、アクセサリーケースを取り出す。碧のために用意した誕生日プレゼントだ。
「太陽さん、誕生日おめでとう」
碧がいつの間にか戻ってきていた。目の前にアクセサリーケースが差し出される。赤峰は急いで立ち上がって、ケースを受け取った。
「ああ、ありがとう」
もらったケースをテーブルに置き、自分が用意したケースを手に取る。よく見ると、ふたつは大きさも色も全く同じだった。
(もしかして、かぶったのかな)
「俺からもプレゼントがあるんだ。誕生日おめでとう」
碧は噛み締めるように「ありがとう」と言いながら、両手でアクセサリーケースを受け取ってくれた。
「開けていい?」
「もちろん。俺も開けさせてもらうぞ」
二人で同時にケースを開く。中から出てきたのは、チェーンと装飾が全く同じのイニシャルネックレスだった。どうやら、同じシリーズのネックレスを選んでしまったらしい。
「おそろいだね」
碧が、『A』のネックレスを胸の高さに持ち上げた。
「俺たち気が合うな」
赤峰は自然な笑みを浮かべていた。
碧がネックレスを見比べ、思い付いたように言う。
「どうせなら交換しようよ」
赤峰には、碧の意図が呑み込めなかった。
「そしたら、自分で買ったものを身に着けることになるぞ」
碧は意志の強い瞳で熱弁を振るう。
「太陽さんが一緒にいてくれるみたいで、心強いんだ。太陽さんといつも一緒にいられるわけじゃないから、お守りみたいなものかな。プライベートの時は、できるだけ身に着けるようにするから」
碧は顔の前で両手を合わせて哀願した。
(なんでそこまで、必死になるんだろう)
ちらりと、先程震えていた碧の姿が脳裏をかすめた。
「わかった。交換な」
碧は見るからに嬉しそうな顔で、『A』のペンダントをケースから取り出した。
「着けてあげるね」
赤峰は後ろを向いて応じる。碧の指先が首筋に触れる。どきりと、心臓が跳ね上がった。
「できたよ」
視線を下げると、『A』のイニシャルが胸元で輝いていた。
「今度は俺が着ける番だな」
赤峰は気を取り直して、『T』のネックレスを手に取った。金具を外して碧に向き直ると、すぐにある事実に気付いた。
赤峰は溜息交じりに言う。
「悪いが座ってくれないか? 身長差がありすぎて、立ったままじゃ無理だ」
碧は素直に頷いて椅子に座ってくれた。
赤峰は碧の斜め後ろに移動する。碧は、赤峰がネックレスをかけやすいように、長めの髪の毛を横に流してくれた。白いうなじが目に飛び込んできて、体温と心拍数が一気に上がった。夢で見た裸の碧を思い浮かべそうになり、ぶんぶんと首を振る。
緊張のためか、指先がうまく動かない。もたつきながらも、なんとか金具をはめることができた。
「太陽さん」
ほっとしたのもつかの間、碧に両手で右手首を掴まれて、口から心臓が飛び出しそうになった。
「俺ずっと、太陽さんに、謝らなきゃって、思ってたことがあるんだ」
碧の声が震えていることに気付き、赤峰は一気に冷静さを取り戻した。教師スイッチが入ったのだ。
赤峰は先を促すことなく、ただ黙って、碧の言葉に備えていた。
「せっかく合格させてもらえたのに、学校辞めちゃって、ごめん」
(……え?)
思わず頓狂な声を上げそうになった。赤峰にとって、碧の謝罪は予想外だった。
「そんなこと気にしなくていい」と言うことは簡単だったが、教育者として、それではいけないと思った。
赤峰は、碧の手が放れていることを確認し、向かいの席に移動した。
碧に誤解を与えないように、慎重に切り出す。
「なあ、碧。海鋒学園に編入する前に何があったのか、ゆっくりでいいから話してくれないか」
碧はテーブルの上で指を硬く組んでいる。ブラックコーヒーから立ち上る湯気が、碧の呼吸に合わせて揺れていた。
「体育館の横を通りたくなくて、いつも裏門から帰ってたような気がする」
碧の声はかすれて震えていた。
無理を強いてしまったのではないかと、赤峰はすぐに後悔した。
体育館から漏れる音や掛け声に顔を背けて、足早に立ち去る碧の姿が容易に想像できた。考えてみれば、碧がバレーボールを失ってから、まだ二年経っていないのだ。
「言わなくてもいい」と言おうとしたが、碧は言葉を紡ぎ続ける。
「視界に入れないように気を付けてても、『春高出場』の横断幕が、どうしても目に入っちゃうんだ。悔しくて悔しくて、どうしようもなかったけど、他人には絶対悟られたくなくて、家に帰ってから、枕に顔に埋めて、叫びながら泣いたこともあったかな」
碧の組んだ手の関節が、白く浮き出ていた。
「春高の中継とか論外だし、試合は絶対に観ないようにしてたんだけど、スポーツニュースで、うっかりバレーの映像が流れちゃった時は、リモコンをテレビに思いっきり投げつけて、テレビもリモコンも壊しちゃったんだ。さすがに怒られるかなと思ったんだけど、お父さん、『ちょうど買い替え時だった』とか言って、怒らなかったんだよね。お父さんに心配かけてたってわかって、このままじゃダメだと思ったんだ」
碧の表情が、いくらかやわらいだ。
「ちょうどその頃だったかな。中学の友達が映画に誘ってくれたんだ。映画観た後、どっかでランチにしようって話になって、ファミレス探してる時に声かけられて、写真撮られたんだ」
碧の写真が最初に掲載された雑誌だと、すぐに察しがついた。
「街角イケメンのスナップ写真コーナーだったよな」
碧は少し驚いた様子だった。
「太陽さん知ってたんだ。スナップ写真を見た関係者の人が、たまたま社長の知り合いだったとかで、結果的に社長の目に留まって、今の事務所に入ることになったんだ」
「知ってて当たり前なんだよ。俺は碧のファンだからな。碧が載った雑誌は、全部持ってるんだ」
赤峰は間を置いて、心を込めて言う。
「碧が世界で活躍する日を、俺は夢見てるんだ」
喜んでくれると思ったのに、期待した反応は得られなかった。碧は表情を曇らせ、黙ったままだ。
(どうしたんだろうな)
気持ちが伝わらなかったのは残念だが、赤峰は気を取り直して、自分の過去について話すことにする。
「俺もなあ、前の学校ではいろいろあったんだ」
赤峰は、海鋒に世話になったことは伏せて、聖ルチアナ女子大学付属を依願退職するまでの経緯を、話して聞かせた。
碧の顔を見ているうちに感情が昂って、目頭が熱くなった。声が震える。今この瞬間、碧と向かい合わせで座っていることが、奇跡のように思えてならなかった。
「俺たち、二人して壁にぶつかったわけだけど、方向転換したおかげで、またこうして巡り会えたんだ。だから、もう、気にするな」
碧は一瞬、何かをこらえるように唇を噛み締めた後、赤峰を見詰めたまま無言で頷いた。碧の香色の瞳に、涙の淵ができていた。
碧は泣き笑いの表情を浮かべる。
「うん。太陽さん、ありがとう」
大きな音がリビングに響く。赤峰と碧が立ち上がったのは、ほぼ同時だった。速足で距離を詰め、猛烈な勢いで抱き締め合う。
「大好き」
「ああ、俺もだ」
碧の愛情がひしひしと感じられた。
歯が当たるのも構わず、ぶつけるように唇を重ねる。すぐに口付けは深くなり、互いの舌をまさぐり合う。碧の口腔を舐め回しているうちに、身長が低い赤峰の口内にどちらのものともわからない唾液が溜まってくる。
二人の唇を、銀糸が繋いでいる。碧は紅い舌で銀糸を舐め取り、赤峰は口内に溜まった唾液を、美味しそうに飲み干した。
キスの余韻で、息が上がっている。二人で抱き合ったまま、その場にくずおれた。
赤峰は碧から離れたくなくて、碧の胸に顔を埋めていた。
碧がぎゅっと抱き締めてくれる。
「太陽さんに、見せたいものがあるんだけど」
碧の声は、いつかのように弾んでいた。
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