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第3話
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ある日のこと。
「森野は明日、一日空いてるって言ってたよね?」
上質な封筒に入れられた誕生日の招待状を俺に差し出しながら湊はそう言った。
「明日、湊の誕生日なのか」
俺は浮かれて招待状の封を受け取り、開けて、困惑した。
開催される場所は都市にある外資系の超高級ホテルで、ドレスコードやら、遊び心で色も青と白とか、よく分からないことが書いてある。
誕生日会でドレスコードって何だよ。しかもスマートエレガンス。俺,スーツとか持ってない。最上級の礼装って言われるこの学校の制服で行ってもいいのか。検索すれば分かるんだろうけど。
「俺、人混みが苦手で、明日はずっと座ったままでいるけど、森野が来てくれると嬉しい」
そうだ。湊は目が見えない。だから明日は湊が怪我しないように配慮された席にずっと座っているんだろう。パーティーに参加する人は湊の目が見えないこと、みんな知っているんだろうか。
湊は俺に目が見えないこと、隠してるくせに。
「俺、森野に祝ってもらいたい…あ、プレゼント欲しいとか、催促してるんじゃなくて、何て言うか…森野におめでとう、って、直接祝って欲しいと言うか」
俺だって湊におめでとうって直接言って祝ってやりたい。だけど。
初めて行くセレブっぽい誕生会にひとりで行ける自信が俺にはない。湊の目は見えないし、俺をフォローしてくれる大人もいない。完全アウェーな状態で格式高いホテルのパーティーなんか失敗が怖くて行けない。
「ごめん、湊。本当にごめん」
「謝らなくていいよ。急にごめん。明日空いてるならどうかと思っただけだから」
湊はいつもいつも見惚れるほど完璧にコーディネートされた服や髪型をしている。最近はもうお抱えスタイリストがついていると思っている。お抱えの運転手がいつもお迎えに来るし、誕生日パーティーは高級ホテルでやるし、湊は俺と住む世界の違う人間なんだなと、ぼんやり湊を見れば、湊は悲しそうにピアノを奏で始め、俺の胸はえぐれた。
俺だって湊の誕生日、祝ってやりたいんだって!
次の日。
俺は学校帰りにこづかいをはたいてホールケーキを買って、平屋に向かった。湊が平家に来ないことなら聞いている。湊が今日、行くのは超高級ホテルの誕生日パーティーだ。俺の知らない人達に祝われる。
俺はケーキ屋で明日もホールケーキの予約をしてきた。明日は湊とふたりできちんと湊の誕生日を祝うつもりだ。今日はただのヤケ喰い。湊が来て欲しいと言ったのに、超高級ホテルへ行く根性のない俺のためのヤケ喰い。
俺だって湊の誕生日を一緒に祝ってやりたいと思ってる。でも俺が失敗すれば、湊だって恥をかく。
「友達は選びなさい」とか言われて、湊に縁切られたら、俺、地の底までめり込む。
ホールケーキを見てため息が出た。湊のいない平屋でひとりで食べるケーキはうまいんだろうか…。
空を見上げれば青空が広がり、太陽も湊の誕生日を祝っているようで少し気分が浮上した。
湊が生まれてきてくれて良かった。
置き鍵を使い、平屋の玄関を開けば、奥からピアノの音がかすかに聴こえてきた。
靴を飛ばす勢いで玄関を上がり、廊下を走り、部屋の扉を強くノックした。返事を待たずに扉を開けば、湊が驚いたように振り返った。
「湊!」
「森野?」
「今日来れないって言ってたのに、どうしてここに?」
「ふけてきた」
「ふけてきたって…何で?」
「タクシーで」
「そうじゃない。理由」
「森野がいないから」
「な……!何、言って…」
「いいんだよ。誕生日くらい意味の分からないこと言っても」
「親となんかあったのか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どうしたんだ。本当に大丈夫なのか、パーティーの方」
「主役は俺だから、大丈夫なはずない。向こうはきっと無茶苦茶だよ。でもちょっと待って、俺も今、パニック起こしてて、気持ち落ち着かせるから………こほん、森野は何でここに来たの?」
「湊を祝いたかったから」
「な…!じゃあ森野がパーティーに来れば良かったじゃないか」
「だから敷居が高いんだって。もういいじゃん。パーティーに行かないならホールケーキ買ってきたから一緒に食べよ?」
「……!息ができない」
「え?」
湊が胸を押さえて椅子から転げ落ちた。
「湊!」
慌てて支え起こせば、肌がざわりと泡立った。引き締まっていて、俺より大きい体。想像以上に男らしくて……いい匂いがして……頭がクラクラしてくる。
湊はいつも俺の前だからかっこつけてるとか言うけど、実体が同じ男だと思えないほど、どこも、かしこも、かっこよすぎて嫌になる。心臓がうるさい。顔が熱い。
「森野、大丈夫だから。それより聞かせて欲しい。どうして俺が今日ここに来ないと分かってて森野はケーキなんか買ってきたんだ。しかもホールで」
「食べるために?」
「ひとりで?」
「まぁ…アレだ」
「どれだよ」
「えーっと、あ、そうだ。ケーキと言えば、明日は湊とふたりで食べようと思って、チョコのホールケーキ予約してるんだった。湊チョコ好きだろ?明日もケーキ食べよ!」
「〜〜〜〜〜!何で、そんなこと!」
湊のことが好きだから。これが今できる俺の精一杯だから。
何て、言えるはずない。
「森野、甘いのそこまで好きじゃないよな?」
「まぁそうかも。たくさんは食べれない」
「じゃあ何でホールケーキなんか、今日も明日も予約して……!俺の、その、誕生日に、俺がこの家にいないの分かってて、買ってきたんだって聞いてるんだよ!」
「い」
「い?」
祝いたかったから。
そう言えば、またパーティーに来れば良かったじゃないかって湊に言われて、話を繰り返す羽目になりそうだ。
湊の体を支えて椅子に座らせようとすれば、湊の体がかすかに強張った。椅子がどこにあるか見えないからだ。俺のこと信用してない訳じゃないと思う。無意識に反応してしまうんだろう。
「湊、隠し事をする理由って何だと思う?」
「嫌われたくないから、かな?」
「俺は湊が好きだよ。だから隠さないで欲しい。目が見えないこと」
湊の一瞬、体がこわばって、それから柔らかく解けた。
「森野……誕生日プレゼントに、森野の顔、触らせて欲しいって…言ったら怒る?」
どうしよう。すごい嬉しい。湊は俺の顔が知りたいってことだよな?
「別に怒らないよ。ほら」
椅子に座った湊の前に膝をつき、湊の両手をすくいあげて、俺の両頬に触れさせた。
「すべすべしてる」
「母さんが美容部員してるから」
「手入れされてるんだ」
「手入れまではされてない。なんか色々注意されるのと、あと、遺伝子がいい仕事してる」
それが今日ほど良かったと思う日はない。
滑らかな湊の指が顔の上をあちこち動いている。こそばゆくて、気恥ずかしくて、部屋の静けさがものすごく嫌になった。
俺の心臓の音、湊に聞こえてやしないだろうか。呼吸音が気になる。息、止めてしまおうか。微かに喉仏を上下させると、湊が小さく俺の名前を呼んだ。
「何?」
「森野の顔、熱くなってる」
「……! 相当恥ずかしいからね!」
「………これって夢じゃないよね?」
「つねってみる?」
「森野の頬を?」
笑いながら、服越し、胸を押さえた。湊が好き過ぎて辛い。苦しい。この時間が永遠に続けばいいのに。
湊の形のいい唇が微かに震えた。切なげに寄せられた眉。どうしてそんな表情で ORE を見るのか。まるで俺に恋してるみたいだと錯覚しそうになる。
そんなはずないのに。
俺は男で湊も男だ。
男同士両思いになる確率なんか果たしてあるのか。
顔中に這う湊の優しくて長い指が気持ちよ過ぎて、脳が沸騰して頭がおかしくなりそうになる。
乱れる息を抑えて、抑えて、ゆっくり目を閉じれば、俺の顔の上をあっちこちさまよっていた湊の指が、すっと、止まった。
「目、閉じた?」
「うん、分かる?」
「触れば、ね、森野、誕生日プレゼント、もうひとつ欲しいものがあるんだけど、催促していい?」
掠れてわずかに熱を含んだような湊の声。妙に色っぽい。薄目を開けて湊を見た。超絶にかっこいいのはいつものこと。そこに色気が混じってて、一目見ただけで背中がゾクゾクした。
「いいよ」
「そんなに簡単に返事していいの?」
「ああ」
「俺が何欲しがってるか分かってる返事した?」
「何が欲しいの?」
しっかりと目を開ければ、困ったように微笑む湊がいた。
「森野はキスしたこと、ある?俺はない」
「俺もない」
「しても、いい?」
「いいよ」
平静な声を保てているのか、分からなかった。
湊が何を考えているのか分からない。興味本意で相手が誰でもいいからキスしたいと思っているのか、それとも、俺と同じ気持ちで俺とキスしたいと思ってるのか。
俺が分かるのは、湊にキスして欲しいと思う欲望が胸に渦巻いていて、自分の頭がおかしくなりそうになってることだった。
「もう…限界かもしれない」
「湊?」
「森野、気持ちが悪いなら逃げて。それで もうここには来なくていい。森野は俺のこと好きだとさっき言ってくれた。俺だって森野のことが好きだ。でも俺の好きと、森野の好きは違う」
湊の両手が俺の頬を優しくすくい、やんわりと唇に柔らかいものが触れた。
それは微かに震えて乾いてる。じんと脳天まで痺れて、どうしようもなくたまらない気持ちになって、かがみ込む湊の背中に俺の腕をそっと回した。
湊の震える唇が俺の唇に触れるか触れないかの位置まで離れる。
「森野に恋してる。好きだ。どうしようもなく、好きなんだ」
俺からそっと湊の唇に唇を押し当てた。
「俺も、好きだ。湊に恋してる」
うなじに湊の手が回り、湊の唇が雨あられのように俺の顔にふってきた。
「これって、夢じゃない?」
立ち上がって湊の顎をすくって、俺の唇を雨あられように降らせた。
「夢じゃない」
ふたりで笑った。
「幸せ過ぎて死にそう」
胸がいっぱいで、ケーキなんかとてもじゃないけど食べれそうになかった。でも湊が「せっかく買ってきてくれたんだから」と、ふたりで食べさせ合った。
「今まで生きてて、こんなに幸せな日は初めてかもしれない」
俺がぽつりとそう漏らせば、湊が笑った。
「明日は今日よりも、もっと幸せにしてあげるから、期待して」
平屋で湊のピアノを聴き続け、俺たちは甘酸っぱい日々を、春を、夏を越していった。
「森野、毎日俺のピアノばっかり聴いてて飽きない?」
「飽きない」
湊は自宅でピアノが弾けない環境にありそうだ。そうじゃなければ、母親が防音改装までしたこの家を湊に与えないはずだから。
「聴かせて、湊のピアノ」
湊は色んな曲を弾いてくれた。即興で躍動感のある曲も、おそろしく長い曲も、超絶的な技巧練習曲までも。
「森野も一緒に弾く?」
「俺には無理かな」
立ち上がって、窓際。火鉢で出来た風鈴を鳴らした。
「これなら演奏できそうだけど」
「楽しそうだね」
音の世界に生きる湊は楽しそうだった。湊に気に入ってもらえるように、ピアノの音楽に合わせて、風鈴を鳴らした。音の風合いが溶け込む。風が吹けばピアノの音に合う風鈴を、湊の母親が選んだんだろうか。
その日から二人だけの即興曲が平屋に鳴り響くようになった。
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