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第1話-3
『本日新たにPSIMが発生しました。現在、PSIMの被害件数は九百八十九人に達し……』
カーラジオのニュースを聞き流し、ぽつりぽつりと夜道を照らす街灯の下を車で走る。
夜も絶えず賑やかだった繁華街は、今は薄暗く活気を失っていた。
PSIMの被害が増えニュースで不要な外出は危険だと騒ぎ立てられれば、市民は自主的に外に出なくなった。
何とかしてくれと警視庁に苦情が入り電話窓口がパンクしたことだってある。
そんな中いつも風当りが強いのは警察官ばかり、まともに休んだのはいつだったかもう覚えていない。
市民にとって生きる悪と戦えるのは警察だけ、自分達だけなのだ。
いつ命の危機が自分に降りかかるかも分からない状況では、冷静でいられないのも重々承知している。
『だけど……』
心の内でそのまま続けそうになってしまった文句を飲み込んで、ハンドルを握る手はそのままに凝り固まった肩を回す。
きっと嫌な思い出ばかり思い出すのは疲れているせいだ、今日はさっさと寝てしまおう。
そうすればまた明日も刑事で居られる。
そうしなければ、俺は……
「……!……今の、は」
思考の海に沈んでいた真宮が視界の端に捉えたのは、暗がりに立ち尽くす人影だった。
体格的に恐らくは男。
近くに誰かいた様子は無く、男はうろうろとその場を徘徊しているように見える。
横目でそれを捉えた真宮は静かにブレーキを踏み路肩に車を止めた。
車を出て、相手に警戒されぬよう静かに男に近付く。
一歩、また一歩と歩を進め男との距離が十メートルのところでぴたりと足を止めると、腰に付けているホルスターに拳銃があることを後ろ手に確認して真宮は口を開いた。
「すみま……あ、おい!」
声をかけようとしたところで、男は伏せていた顔を上げて走り出す。
その瞬間、真宮もまた何かを考える暇も無く男の後を追うように走り出した。
運動神経は悪くない方だが男は体格の割に足が早く、二人の距離は開くことも縮まることもない。
だがこの先は行き止まりだったはず。
そこまで追い込んでしまえばこちらのものだと真宮が後を追い続けると、行き止まりに差し掛かったところで男がゆっくりと足を止めた。
「はあ、なんなんだ……っ」
男は立ち止まったまま顔を俯かせている。
こちらに気が付いているのかいないのか、言葉すら発しない男に自然と緊張が高まっていくのを感じていた。
また逃げられても困る、早く片をつけてしまおうと荒くなった息を落ち着かせた真宮は足早に男に近付く。
強く腕を掴むと、それまで反応を示さなかった男は勢いよく体をこちらへと向けた。
「……っ!」
反撃、頭に過ぎった警告に拳銃をホルスターから引き抜くも男に右腕を弾かれ、落ちた拳銃が音を立ててコンクリートを滑っていく。
拳銃を拾う暇もないまま真宮はあっという間に両腕を捕まれ、強く壁に体を押し付けられた。
「いっ……」
背中に伝わってくる強い衝撃に一瞬息が詰まる。
切れかけた蛍光灯が、頭上で不安定に二人を照らしていた。
頭の上で一纏めにされた真宮の腕はどれだけもがこうともびくともしない。
少しの焦りを感じながら真宮が拘束から逃れようとしていれば、顔を上げた男の顔が白い光に断続的に照らされた。
「なんで、俺の後を追いかけてきた」
見えたのは深い濃灰色の瞳。
冷たさを感じるその瞳に射抜かれ、ぐっと体温が下がる。
……似ている、あの時の、あいつの瞳と。
「……っ」
何か言葉を発したいのに、喉が震えて上手く声が出なかった。
骨が軋むほと強い力で押さえつけられた腕が痛む。
顔を歪ませる真宮に冷たい視線を向ける男は、真宮を品定めするように見つめるとゆっくりと言葉を連ねた。
「お前、まさか……」
男の顔が近付くと唾を飲みこんだ喉仏がゆっくりと上下する。
目を逸らしたいのに視線すら拘束されているようだ。
まるで蛇に睨まれた蛙のように硬直する真宮は、ただ男のことを見つめることしかできない。
眼球すら動かせずその濃灰色の瞳を見つめ唇を震わせた真宮が息を飲んだ、そのときだった。
「……!」
男は動きを止め、口を大きく開いた。
拘束されていた腕の力は突如弱まり、見開いた目が三度素早く瞬く。
持ち上げられた瞼の先に見えた瞳からは先程の冷たさは消え、ただただ真宮を信じられないというような瞳で見つめていた。
「す、すみません!俺、勘違いを……!」
男はそう叫ぶとすぐに飛び退いて深く頭を下げた。
見事な九十度の角度で下げられた頭に、状況を飲み込めずいる真宮はただ困惑した表情のまま見つめるだけ。
警戒は怠らないままそっと距離を取り拳銃を回収するも、男は申し訳なさそうな表情をしたまま何度も頭を下げていた。
「すみません、俺、不審者かと思ってつい……」
「いや……」
それはこちらの台詞だと言いかけたのを飲み込んで真宮が頷く。
どちらにせよ驚かせてしまったのは事実だ。
こちらも謝罪をしながらも一連の行動の理由を問えば男は頬をかく。
人を探しているのだと呟いた言葉に、真宮はホルスターに拳銃を戻しながら短く声を返した。
「そうでしたか、宜しければ一緒に探しますが」
「いえ、そんな……申し訳ないですから」
探し人ならば警察の得意分野だ。
特徴を聞かせてほしいと真宮が問いかければ、男は申し訳なさそうに眉を下げる。
それが分からなくて。
予想外の返事に真宮は間の抜けた言葉を漏らした。
探し人が分からないとはどういうことなのか。
まさか何か後ろめたいことを隠しているのではと疑いの目を向ければ、男は体の前で手を遊ばせながら悲しげに言葉を続ける。
「とても会いたい人なんです。この辺にいるって知って、探しに来たんですけど…伝えられる特徴がなくて……」
「はあ……?」
「それに俺なんかのために、貴方の手を煩わせる訳にはいかないですし……」
なんとも不可解なことを言うものだ。
だが男の態度を見るに何かを隠している様子はない。
男も見知らぬ人間に個人的な話をしたくないのかもしれないと、自身を納得させて真宮は静かに頷く。
今回は杞憂だろうと乱れたスーツの襟を正すと、真宮は男に向き直り表情を引き締めた。
「分かりました、でも今は男性も危険な時代です。早めに帰宅してくださいね」
「ありがとうございます!あ……でも、俺は絶対狙われませんよ」
だってと何かを言いかけた男はそこで言葉を失い、にっこりと微笑んだ。
だがその後に言葉は続かない。
何故、そう問いかけたい気持ちはあるのに、男が一瞬だけ見せた寂しげな表情に真宮は疑問を飲み込み胸元に手を差し込んだ。
「ああ、そういえば色々と聞いてしまいましたがこちらも怪しいものではないので一応身分を……俺は警視庁捜査一課所属PSIM特殊捜査班警部補の真宮と言います」
目の前にかざした警察手帳に男は頷き、存じていますと微笑んだタイミングで首を傾げる真宮の携帯が着信を知らせた。
今日は変なタイミングで電話が鳴ると携帯を取り出せば、画面には斎藤の名前が表示されている。
失礼と一言告げ通話ボタンを押した真宮の耳元から聞こえてきた斎藤の声は緊張を孕んでいた。
「お疲れ様です。どうかしましたか、引き継ぎに何か問題でも……」
『いや……』
斎藤にしては珍しく言葉の歯切れが悪い。
特殊捜査班は二十四時間稼働している為、深夜でも交代で刑事が常駐している。
何か余程のことがない限り業務時間外に電話などかけて来ることは無い。
……ならばつまり、余程のことがあったということだろうか。
一気に緊張が体に走る真宮は、どうかこれも杞憂であってくれと願う。
だがその願いも虚しく斎藤から告げられたのは、今日一番の不穏な知らせだった。
『実はな、警視庁にメールが送られてきた。送り主はPSIMの首謀者…を名乗る奴からだ』
「そう……ですか」
やはり、嫌な予感ほど的中する。
斎藤の言葉に真宮は思わず携帯を持つ手に力が入る。
大きく一度息を吐き心を落ち着かせると、真宮は静かに口を開いた。
「現在の動きはどうですか」
『メールの解析は情報分析専門のSSBCに頼んである、お前にも送っておく』
通話を繋げたまま斎藤から送られてきた一通のメール。
つい五分ほど前に送られてきたばかりだというそのメールには、たった一言だけ記されていた。
『傘の用意を忘れずに』
不可解なメールに真宮は画面から目を離し空を見上げた。
今日は雲一つない晴天だ。
一日中雨の予報などないというのに、何故。
謎の多いメッセージに返す言葉を失う真宮に斎藤は言葉を続ける。
『ああ……それともう一つ。今東京で局所的に通信障害と停電が起こっている』
どちらも原因は不明。
停電は地域を管轄する一般送配電事業者に確認中。
通信障害に関してはキャリアは関係無く、ただ特定のエリアだけに起こっている状態だ。
どちらも危惧する程でもない、だが停電も通信障害も警視庁にメールが届いた直後に発生したのだとか。
「少し、気になるんだよな」
ぽつりと呟いた斎藤の言葉に真宮は自然と唾を飲みこんだ。
「……対象のエリアはどこですか」
斎藤から聞かされた問題のエリアはここからそう遠くはない。
続報が入り次第共有を頼み携帯を仕舞い込むと、後ろで真宮の動向を見守っていた男が困惑した表情で真宮を見つめていた。
何かありましたかと問いかける男になんでもないと言いかけて、真宮ははたと動きを止める。
男の手に握られているのは自分と同じ、黒い革の手帳。
もしやとそれを指差すと、男は真宮の意図を察したのかおずおずとそれを開く。
真宮のものよりも擦りきれの少ない手帳に記された名は、日野翔太。
幸か不幸か、今日の自分は本当に偶然が重なるらしい。
「……君、少し付き合ってくれ」
真宮は日野の手を握り込む。
握られた手と真宮の顔を交互に見た男……もとい新しいバディである日野は、真宮が返事を急かせばお供しますと夜道に声を響かせるのだった。
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