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第2話-1
「日野……もう、いいよ」
ガラスの雨が降り止み静寂が訪れた空間で、真宮は自分を抱きしめる大きな背中に触れる。
日野は未だ真宮の体を強く抱き締めていた。
もう大丈夫だからと真宮の体に巻かれている太い腕に触れもう一度名を呼べば、日野はやっと我に返ったらしい。
勢いよく真宮の体を離した日野は再び美しい九十度で頭を下げた。
「すみません。出過ぎた真似をしてしまいまして……」
「いや、ありがとう。お陰で無傷だ」
体の大きな日野のお陰で真宮には擦り傷ひとつ無い。
頭に積もった細かなガラス片を手で払ってやれば、日野は安心した表情を見せて良かったと嬉しげに呟く。
早速日野に助けられてしまった、まともにガラス片を浴びていたら今頃無数の細かな切り傷に苦しんでいただろう。
真宮も軽く手を払い日野の瞬発力に思わず感心していれば、頭を上げた日野が眉を寄せる。
「いて…っ」
「あ……どこか切ったか?」
大丈夫だと笑う日野がふいに首元に触れたのを真宮は見逃さない。
屈んでくれと言葉をかけるも日野は大丈夫の一点張りだ。
少々強引に腕を引き日野を屈ませると、真宮は後ろに回りこみパーカーの首元を指でくいと引き下げ日野が手を当てていた部分を確認する。
うなじに見えたのは小さな切り傷、恐らく首を動かしたときに棘のようにくい込んでしまったのだろう。
なんとか取れないかと爪先で弾いてみるも、奥に入り込んでしまっているようで中々取れない。
ならば仕方ない。
真宮は先に謝罪の言葉をかける。
そしてそのまま傷口に唇を寄せれば、日野は目を丸くして真宮を見た。
「え?あ、ま、ちょ……真宮さ……」
小さく音を立てて触れた唇はそのまま傷口を吸い上げる。
口内に小さな欠片が入ってきたのを感じ、真宮はそのままその欠片を地面に吐き捨てると小さなガラス片がコンクリートの上に転がった。
傷口を指で拭いこれで大丈夫だと声をかければ、至近距離で驚きの表情を浮かべた日野と目が合う。
やむをえない状況だったとはいえ、気持ち悪かっただろうか。
もう一度謝罪の言葉をかければ日野は顔を逸らし、口元をまごつかせる。
何か言いたげの日野の態度に真宮は首を傾げていたが、やがて日野は意を決したように真宮を見るとうっすらと頬を赤くして口を開いた。
「真宮さんって……変わってるって言われません?」
「……えっ」
日野の的確な指摘に、真宮は口を閉じそっと視線を逸らす。
自分では特に変なことをしているつもりは無いのだが、その言葉には身に覚えがありすぎる。
不本意さを感じながらどうなのかとこちらに向けられたままの日野の視線に、迷った末に真宮はたまになんて謙遜した答えを口にした。
……そんなに自分の行動は変わっているだろうか。
やっぱりと眉を下げて笑う日野に口を尖らせていれば、真宮の髪を熱風が撫でる。
その瞬間場の空気が一気に張り詰め、二人は表情を引き締めた。
「……そろそろ行かないとな」
ここが工業地域であることや時間帯を加味しても周りに民間人はいない。
殺人現場を放置するのは気が引けるが、今はこの状況だ。
優先すべきは、そう真宮が顔を上げれば視線の先で煌々とした炎が大きく風に揺らいでいた。
「……急ごう」
真宮の言葉に日野は頷き、二人は走り出した。
火事というのは一刻を争う。
晴れているか、風はあるか、状況次第ですぐに炎は辺り全体を覆い尽くしてしまうのだ。
不運なことに今日は風が強く空気も乾燥している。
厄介な状況になりそうだと火事が起こっているビルへと駆け足で向かい正面玄関に辿り着くと、停電のせいか自動ドアに反応は無かった。
迷う暇も無く真宮と日野は自動ドアの隙間に手を差し込みこじ開けて中に入る。
非常ベルは作動していない。
上の階とは対照的に一階は不気味なほどしんと静まり返っていた。
「……とりあえず上に向かうぞ」
「はい」
爆発のあったのは八階。
急ぎ足で階段を駆け上がり、真宮は八階のフロアへと続く扉に手をかける。
閉じられていた扉を押し開ければ閉じ込められていた熱風と共に黒煙が押し寄せ、二人は思わず顔を腕で覆った。
「煙すごいですね……ゲホッ……」
「ああ、それに……炎の周りが……」
爆発のあった部屋は現場から見た位置から考えて一番奥の部屋のはずだが、爆発から十分も経っていないというのに思っていた以上に火の回りが早い。
まだ完全に回り切っていないものの八階全体に広がる炎に、焦りそうになる気持ちを抑えながら真宮は声を張り上げた。
「警察です、誰かいますか!」
吸い込んでしまった煙に大きく咳をしながら応答を待つ。
炎の中から反応は無い。
幸いにも救助が必要な人間はいないようで、ならば消火に遠慮は要らないと真宮は非常ベルの下の扉を開けば、中には封の閉じられた消火器が四本並んでいた。
停電と通信障害の影響で早々の消防車の到着は見込めない。
他の階に炎が拡がっては終わりだ。
だからその前に鎮火しなければと手を伸ばしたその時、後ろから伸びた手が真宮より先に消火器を掴んだ。
「真宮さん、俺先導します」
「でも」
「小学校での防災訓練に呼ばれて何度もやりましたから!」
「……分かった、頼む!」
慣れた手つきでロックを解除した日野は、もう二つの器を小脇に抱え炎に消火器を向ける。
白い液体とぶつかり消えていく炎を前に真宮もロックを解除すると、日野の後に続くように消火器を噴射した。
部屋は四つ、一番炎の勢いが強いのは火元である最奥の部屋だ。
退路を無くさぬよう廊下の消火と同時進行してまだ幾分か炎の勢いが弱い入口付近の部屋の消火をしながら二人は最奥の部屋を目指す。
他の部屋の消火を続けながら辿り着いた最奥の部屋。
唾を飲み込み、消火器を抱え直した真宮が扉を開こうとドアノブに手を伸ばす。
だが指先が触れたその瞬間、真宮の手が短い悲鳴と共に小さく跳ねた。
「あつっ……!」
痛みを逃がすように手を振り、真宮は短く舌打ちを漏らす。
炎に熱された鉄は気安く触れられる熱さではなさそうだ。
幸い鍵はかかってはいなさそうだがどうしたものかと、扉を前に顔を顰める真宮を押し退けるように日野が前へ出る。
そして真宮が言葉を挟む間もなく、そのまま日野はドアノブを握った。
「あ、おい……っ!」
「……っ」
熱さに顔を歪ませながらも日野の手はドアノブを回し、爆発で歪んだ扉を無理やりに開いた。
炎は既に部屋の半分を焼いてしまっているようだが、ビルの下から見上げた時よりも炎の勢いは幾分か弱まっている。
思い描いていた最悪の光景ではないことに心の底で安堵しながら、真宮達はすぐに二手に分かれると消火器を構える。
窓から吹き込んでくる強風に消火剤が流されないよう角度を調節しながら、二人は同時に消火器を噴射した。
「こちらはもう少しです!そちらはどうですか」
「ぎりぎり……くそ、空か……」
構えていた消火器が空気だけを吐き出すのを見て真宮は顔を顰める。
他の階にはまだ予備の消火器があるだろうか。
少々リスクのある行動だが消火が最優先だと下の階へと向かおうとした真宮を日野が呼び止める。
大丈夫、一言呟いた日野に真宮はそのままその場に待機していれば、最後の一本が空になる頃炎が静かに収まる。
火災の爪痕を残したまま静寂を取り戻した空間に、二人はやっと肩の力を抜いた。
「良かった……」
「何とかなったな。……そういえばお前、手は……」
「え?」
不思議そうに首を傾げる日野の右手を取ってみれば、掌は赤く爛れ痛々しく皮が剥けていた。
さぞ痛かっただろうに平気な顔をしている日野に悪かったと謝罪をすれば、心底不思議そうな顔でこちらを見る日野に真宮が表情を曇らせる。
あの時、自分は一刻を争う状況であったにも関わらず躊躇してしまった。
どんな状況であろうとも上司である自分が率先して行動しなければいけないというのに新人の日野に助けられてあまつさえ怪我までさせたのだ、申し訳なさを感じて当たり前だろう。
あとで病院に行こうと真宮が声をかけても日野は大丈夫との一点張りで、手の怪我など気にすらしていない。
自分を顧みない日野の姿にどうするべきかと考えている真宮に構わず、日野は真宮から手を引くと何かに気がついたかのように後ろを指差した。
「真宮さん、見てください。壁に何か……」
「え?」
長い指先を辿って後ろへ体を反転させれば、黒く焼け焦げた壁には赤く殴り書かれた『10』の数字。
この数字の意味を理解していない日野はただ首を傾げるだけ。
だがその隣で真宮は少しずつ背筋が冷えていくのを感じていた。
警視庁に届いたメッセージ、そして不可解な停電と通信障害。
その後に見つかったPSIMの死体。
突如起こった爆発とガラスの雨。
あまりにも全てが密接に繋がりすぎている。
全てはPSIM首謀者によって仕組まれたものなのだ。
そして恐らくこの状況なら……この数字も。
だってタイミングが良すぎる、10という数字は。
真宮が思い出すのはカーラジオから聞こえた無機質なアナウンサーの声。
先程の死体で、PSIMの被害者は九百九十人目だ。
「……」
静かに携帯を取り出し、証拠の為にシャッターを切る。
画面に映し出された写真はぶれていた。
恐怖か、武者震いか。
情けないと自嘲しつつ、真宮は自分の頬を叩きもう一度写真を撮り直す。
今度はちゃんと撮れていることを確認して、改めて真宮は荒れ果てた室内を見渡した。
構造や残された家具などからして、ここは何かの事務所なのだろう。
散乱するまだ封の開けられていない事務用品を眺めていれば、一足先に室内を物色していた日野が真宮を呼ぶ。
何かの証拠かもしれないと指を差す先には、長方形の箱が転がっていた。
「……それは、不用意に触るなよ」
「これなんですか?」
「爆弾」
日野は肩を揺らし、三歩後ろに下がる。
爆発の原因がこれだとしたら、他の階に同じものが仕掛けられている可能性もあった。
他の階に降りようとしたのは軽率だったと真宮は静かに残骸に近付く。
焼き切れたビニールテープとカラーコード。
焦げた箱からは独特の香りがして、鼻先で手を仰いだ真宮は静かに口を開いた。
「……多分C―4だな」
オウムのように同じ言葉を日野が繰り返す。
C―4とは別名プラスチック爆弾、爆弾が使用される事件で最も使用される爆弾の名称だ。
独特のアーモンド臭と爆破時の橙色の閃光が特徴で、素人でも見分けがつけやすい爆弾と言われている。
「C─4はある程度の知識があれば誰でも作れる、被害が今のところこのフロアだけなのも何らかの意図があって強度を調節したかもな……」
そもそも、この場所がPSIMに関わりのあると仮定して、何故爆破などしたのだろう。
何か都合の悪いものでもあったのかと、真宮は床に膝をつき散らばったファイルのひとつを拾いあげる。
中身は不動産の売買契約書のようで、よく見れば重要書類がそこらかしこに散らばっていた。
「合同会社ハウスリサイクルか……」
所々破けてしまっている会社案内のパンフレットを拾い上げページを捲ってみれば、ここのテナントを所有している会社の詳細が記されていた。
『合同会社ハウスリサイクル』
爆発があったこのビル……第三藤ビルを本社としていた不動産会社。
創業は四十年以上前と随分息の長い会社だ。
PSIMのせいでどの企業も不景気だろうに儲かっていたのかとパンフレットを流し見てデスクに置くと、中途半端に開いた引き出しの中の資料に目が止まる。
「……おかしいな」
引き出しを開き資料を確認する真宮の視線はある一点に集中している。
床に散らばる他の売買契約書を見比べてみてもその違和感は拭えず、真宮が思索にふけっていると近くで金属がひしゃげた音が聞こえた。
音につられた真宮が顔を上げると、そこには無残にもくの字に曲げられたロッカーの扉がゆらゆらと風に揺れている。
まさか、視線を少し横にずらしてみればロッカーの中を物色する日野がいた。
「やっぱり。中に何かあると思ったら……パソコンありましたよ、真宮さん。これって何かの証拠になりますよね?」
「ああ……」
パソコンを胸に嬉しげに声を弾ませる日野にそうだなと返事はしたが、真宮の視線はロッカーの扉に向けられている。
真宮の視線にもう壊れかけていたのだと慌てた様子で言い訳をする日野に、叱るべきか一瞬迷いが生じたが真宮はそっと口を閉ざす。
まあ、証拠を見つけたという点で今回はお咎めなしにしよう。
「こっちも証拠らしきものを見つけたぞ、ほら」
手招きをすれば大人しく日野はパソコンを抱えたまま歩み寄り真宮の隣に並んだ。
デスクの上に集めた売買契約書を並べてみると真宮の疑問は確信へと変わり、おかしいだろうと日野に問いかける。
細かい文字がずらりと並んだそれに一通り目の通した日野は首を傾げ、真宮に視線を移した。
「何かおかしな点でも……?」
「ここ、売却金額がおかしい。買取金額と釣り合ってないんだ」
「そう……なんですか?」
地価総額は日々変わるものだとは理解しているが、それにしても比較したときに金額が明らかにおかしい。
理解をしているような、していないような日野が並べられた資料を交互に見つめる中、真宮はその下の赤く記された印に目付きが鋭くなる。
契約時に押されたであろう虎柄の契約印。
特にこの柄には見覚えがあるのだ、それはもう嫌な程に。
「いつまたこのビルが爆発するかも分からないし、他は専門の人間に任せて俺達は警視庁に戻ろう」
「分かりました……それにしても証拠になりそうなものはこれくらいか」
もう少し見つけて役に立ちたかったのにとぼやく日野に真宮は上出来だと肩を叩く。
真宮からすれば数時間前まで報告書の一文足らずの証拠すら喉から手が出るほど欲していたのだから十分過ぎるほどだ。
これが少しでも首謀者の手がかりになればいいと一縷の希望を抱いていれば、誰もいないはずの廊下に人の気配を感じた気がして真宮は後ろを振り返る。
「どうかしましたか?」
「……?いや、何でもない」
考えすぎだろうか、じっと歪んだ扉の先を見つめてみても特に人影は見えない。
視線を日野に戻した真宮は何枚かの売買契約書とパンフレットを抱え部屋を後にする。
これから忙しくなると呟く真宮に向けられる視線には、真宮も日野も気付くことは無かった。
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