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第2話-2
死んだように静まり返っていた街を抜けると、ぽつぽつと小さな街の灯りが真宮達の行く道を照らしていた。
思わず口から溢れそうになる欠伸を噛み殺し、数時間前に通った道を引き返していく車の中で液晶画面に表示された時計に目をやる。
現在の時刻は午前一時、今日は警視庁に泊まり込みになりそうだ。
替えのスーツはまだロッカーにかけていただろうかと拙い記憶を手繰り寄せながらちらりと隣に目を向けてみれば、日野は疲れた様子ひとつ見せずパソコンを大事に抱えている。
慣れないことをして疲れているはずなのに大したものだと感心の目を向ける中、そういえばと真宮はバックボードを指差し日野に声をかけた。
「日野、そこにタブレットが入ってる。証拠品の写真を撮って四課に共有してくれ」
「分かりました。でも四課……って暴力団の犯罪を取り締まる課じゃ……」
「あの会社は大島組が関わってるんだよ」
大島組、その名を聞くと日野も流石に表情を固くした。
契約書にあった契約印、あれは国内最大の指定暴力団である大島組の代紋で間違いない。
爆発現場がPSIMの事件に関与しているということは、大島組もPSIMに一枚噛んでいるということ。
ただでさえ全国規模で警察を悩ませているPSIMに裏社会を牛耳る大島組まで絡んでいるのだとしたら正直胃が痛くなる事案だ。
だが何も知らずにいた頃よりは、こちらも幾分か動きやすくなる。
「わ、分かりました!じゃあ…失礼しますね!」
日野が膝に資料を乗せて写真を納めているのを横目で見ながらハンドルを切ると、車は住宅地に差し掛かる。
車は黄信号で緩やかにスピードを落とすと、久方ぶりに携帯が振動した。
相手は確認しなくとも分かる。
鳴り続ける携帯を取り出した真宮が前を向いたまま通話ボタンを押すと予想は的中したようで、電話口から斎藤が大きく息を吐いたのが分かった。
『繋がった……生きてるよな?』
「生きてます」
お前がしぶとくて助かったなんて、相変わらずの斎藤の軽口に真宮もまた小さく笑みを漏らす。
少なからず心配をかけてしまったのだろう。
斎藤の声音はどこか安心したように穏やかな色を滲ませていた。
どうだったと端的に問いかけられた言葉に答える前に信号が青に変わり、携帯をスピーカーにして日野に託す。
アクセルを踏み込んで動き出した車。
真宮は手短にと一言添えて一連の報告をすれば、電話口の斎藤は最後まで言葉を挟まずに話を聞いた後に分かったとだけ呟いた。
「お疲れさん。とりあえず後で詳しい話を聞かせてくれ……でもお前まさか、日野も一緒に連れてくる気か」
「そうですけど」
新人が早々に辞めたらどうするのだと言いたげな斎藤は、日野に気を使ってか全てを言葉にすることはなかった。
真宮だってそんなこと分かってはいるのだ。
だが真宮が仕事をしなければいけない以上、バディである日野は側にいてもらわなければいけない。
それにと真宮がちらりと日野を見れば、こちらを見ていた日野と目が合いにこりと微笑まれる。
正直真宮が帰れと言ったところで日野が大人しく帰宅するとは到底思えないのだ、致し方ない。
「運転中なので切ります。また後ほど」
「はいはい……全く……」
安全運転で来いよという言葉と共に通話は切れて、日野は両手で包み込んでいた携帯を真宮に手渡す。
携帯を受け取った真宮は、そのまま日野の姿を視界に捉えた。
上から下まで灰で薄汚れた日野本人は特に気にした様子はないが、このまま連れ出すのは流石に可哀想な気もしてきたと、真宮は少し悩んだ末に日野に声をかける。
「日野、家は近いか?」
「え?ここから十五分くらいのところですけど……」
「方向は?」
「……?そこの交差点を左です」
日野の答えに小さく頷いた真宮は、ウィンカーを出し左へとハンドルを切る。
寄り道しようかと呟く真宮に日野は困惑しながらどこにと言葉を返した。
どこに……など少し考えれば分かるだろう。
左の次はと問いかけた真宮に日野は、少し考えてやがて納得したように右と指を指す。
車はそのまま警視庁とは反対方向へと走り出すのだった。
――――――――――――――
「じゃあ俺急いで入ってきますね」
浴室に消えていった日野を見送り、真宮は通された部屋を見回した。
道案内を経てアパートに辿り着いたときには日野は不思議そうに理由を問いかけてきたが、風呂に入って着替えてこいと言葉をかければやっと真宮の意図を理解したようだった。
本当はすぐ警視庁に向かわなければいけないが、ここからしばらくはいつ自宅に帰れるかは分からない。
汚れた姿のままこの後も長時間拘束させてしまうのは気が引けたのだ。
車で待っているから大丈夫だと遠慮したというのにお茶くらい出させてくれとあれよあれよと家に引きずり込まれてしまって、差し出された日本茶を啜りながら真宮は一人畳の上で体育座りをしていた。
「それにしても……」
日野の部屋をぐるりと見渡してみる。
七畳一間の部屋は簡素というべきか、最早そんな言葉では表せないほどに何もない。
畳まれた布団と小さな冷蔵庫が一つ。
小さなラックには数着の洋服が掛けられているが、
あとは畳の上にノートが積み上げられているくらいで、他には何もない。
ミニマリストというやつだろうか。
にしても物が無さすぎる気もするが。
自分も物欲はそれほど無く部屋に物も無いが、自分以上の人間は初めて見たと眺めていれば浴室の扉が開き、すっきりとした表情の日野が出てきた。
「生き返りました、ありがとうございます!」
「それはよかった……けど」
もっとゆっくり入っていても良かったというのに、日野が風呂に入ってからまだ五分も経っていない。
いつも忙しない男だと真宮が立ち上がり水滴の落ちる髪をタオルで拭ってやれば、日野はすみませんと嬉しそうに微笑んだ。
ちゃんと乾かさなければこの外の寒さでは風邪をひいてしまう。
世話の焼けるやつだと甲斐甲斐しくタオルで髪を拭く真宮の視線はふと剥き出しの日野の背中に向けられた。
大きな背中に多く残された古傷。
痛々しげなその姿に真宮が目を離せずにいれば、真宮の視線に気がついたらしい日野は早々にシャツを羽織る。
古傷について言及することはなく真宮は濡れたタオルを受け取るも日野から離れない。
すぐ準備しますからと笑顔を見せる日野の腕を柔く掴む真宮は、その前にやることがあると日野の腕を持ち上げた。
「まず……手当てしよう。このままだと痛いだろ?……悪いが薬はあるか?」
「薬?」
「市販薬でいいんだけど……」
沈黙してしまった日野に無いのかと問いかけると日野は頷き、ならば包帯や絆創膏くらいはと粘ってみても答えは同じだった。
警視庁に戻れば救急箱位はあるが、火傷の痛みは他の怪我よりも痛むと聞く。
本人は平然としていてもやはり放っておくことはできず、少しだけ我慢してくれと真宮はハンカチを取り出した。
「え、あの……」
「手、出せ」
綺麗にアイロンをかけられた皺ひとつないそれを広げる。
汚れてしまうからとやんわり拒否を示す日野にも、真宮は構わずにハンカチを優しく巻いていけば日野は静かに口を閉じた。
真宮は知っている、人間は大切な時こそ嘘をつくものだ。
本当は痛いくせに痛くないと、大丈夫だと言って胸の内にその苦しみを抱え込んでしまうのだ。
日野に似た……あいつがそうだったように。
「……どうしてですか?」
「え?」
ハンカチを巻き終えた時、それまでじっと真宮の動向を見つめていた日野が呟いた。
まだ出会ったばかりで互いのことはほとんど知らない。
利益にもならないのに、何故。
日野の言葉から感じた少しの拒絶。
その表情は怒っているようにも、泣きそうにも見えて、真宮はハンカチ越しに傷を優しく撫でながら呟いた。
「放っておけないんだ……ただそれだけ」
「それは俺が部下で、仕事に必要だからですか?」
「お前が俺のバディで、日野だからだよ」
日野はぴくりと指先を震わせた。
刑事は心身ともに辛い仕事だ、やる気に満ち溢れていた刑事もいつの日か心を病み消えていってしまうのを自分は何度も見ている。
だからこそ前向きに頑張ろうとする日野を支えてやりたいし、何より自分は日野のことをもうすっかり気に入ってしまっている。
真宮の真っ直ぐな言葉に日野は視線の置き場を失い、口を閉ざしてしまった。
つい相手の為にと世話を焼いてしまうのは自分の悪い癖だが、今回は許して欲しいと笑いかけ真宮はそっと日野から離れる。
「さあ、荷物を纏めてそろそろ行こう。斎藤さんは怒らせると本当に怖いからな」
視線だけで殺されかねないと、以前一度だけ斎藤が怒り狂った時を思い出し肩をすくませる真宮はラックにタオルを掛けた。
今のうちに日野が準備をしている間に車を温めておこう。
玄関へと向かう真宮の後ろで日野は小さく握りこんでいた手を解く。
そしてその手はキーを取り出した真宮の腕を強く引き寄せた。
「?」
「あ……あの……」
後ろを振り返れば視線を下に落としたままの日野のつむじが見えた。
巻いたばかりだというのに強く掴んだせいかハンカチには血がうっすらと滲んでいる。
真宮が日野の手首を掴めば、日野は申し訳なさそうな顔をしてすみませんと手を引っ込めようとした。
恐らく何か勘違いをしているのだろう。
真宮の手はそのまま日野の頬を包み込みその顔を上へと向かせると、日野は困惑を表情に滲ませていた。
「手、使ったら痛いだろ」
「え……」
「お前は自分のことには鈍感なんだな」
いくら上からハンカチを巻いているとはいえ傷は深いのだからあまり無理をさせてやるなと呟けば、日野は眉を下げて頷いた。
これから沢山のものを守る大きな手は大切にしてほしい。
真宮の思いは日野に伝わったらしく、気を付けますと呟いて日野は口元を緩める。
そんな日野にそれでどうしたのだと問いかけると、日野は瞬きを数回して真宮の顔を見た。
「え、と……」
「何か俺に言いたかったんだろ?」
後ろに引っ込めてしまった手はきっと、真宮に何かを伝えたかった証だ。
なんだとまるで子供にかけるような声音に日野は視線を少し狼狽させた。
だがまっすぐに自分を見つめる真宮の視線に、少しの間の開けて口を開く。
「あ…ありがとうございます…心配してくれて…」
「……ふふ」
「え…っどうして笑うんですか…!」
「いや……別に?」
焦る日野を横目に笑いを抑えきれず、柔く噛んだ下唇の隙間から笑い声が零れる。
怪我を心配するだなんて、そんなことは真宮にとっては当たり前のことだ。
たったそれだけ、気にすらしなくていいことを随分と勿体ぶるものだから。
つい可愛いなと思ってしまったことは日野には言わないでおこうと、代わりにどういたしましてと真宮が言葉を返す。
日野はほんの少しの困惑を残しながらも真宮の言葉を聞き安心したように頬を緩ませた。
「ちゃんとした治療は警視庁でするからな、言うこと聞けよ」
「分かりましたよ」
根負けですと笑う日野の朗らかな笑顔に、真宮もまた口元を緩ませる。
明るさを取り戻した日野は手早くリュックに必要なものを詰め込むと、ラックからまだビニールにかけられたままの新品のスーツを取り背広を羽織った。
似合うぞと真宮の素直な褒め言葉に、日野は照れくさそうに笑って右手で拳を作り天に突き上げる。
「俺、頑張ります。目指せ首謀者逮捕です!」
「そうだな、その調子だ」
明るさを取り戻した日野に胸を撫で下ろし、真宮は肩の力を抜く。
真宮さんもと急かされ同じように拳を突き上げると、何だか自分も元気が湧いてくる気がした。
大丈夫、きっと日野となら……この先何があっても。
決意を固める真宮達が盛り上がる中隣から壁を叩く音がして、二人は口を押さえ静かに部屋を出るのだった。
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