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第3話-1

夢うつつの中、微かに鳥のさえずりが耳に届いた。 その声に導かれるようにうっすらと目を開けると、ぼやけた視界の向こうに日野の横顔が見える。 ああ、もう朝なのか。 何度か瞬きをして視界が鮮明になってくると、晴れやかな顔をした日野がこちらに微笑みかけた。 「おはようございます、真宮さん」 「……ああ」  おはようと続けた言葉は、寝起きのせいで随分と掠れていた。 凝り固まった肩を鳴らし、真宮はゆっくりとベッドから起き上がる。 久しぶりにベッドに横になって眠ったせいか体の節々が痛い。 もう自分も歳かと寂しさを覚えながら掛け時計に目を向けてみれば今は朝の八時半。 外はもうすっかり太陽が登っているようで空は明るかった。 「準備したら捜査室行くか……腹が減ってるなら何か食べていいからな」 「大丈夫です、もう準備もできてます!」  朝から眩しいくらいの明るさに、目を瞬かせながら相槌を打つ。 昨日あれほどのことがあったのにも関わらず元気が有り余っているようで羨ましい。 真宮は重い体で立ち上がると大きく伸びをして洗面台へ向かった。 冷水で顔を洗うと思考も徐々にクリアになり、タオルで顔を拭いながら真宮が自分のロッカーを開く。 ロッカーの中にはハンガーにかかっているクリーニング済みのスーツが二着。 本当に用意周到な過去の自分には感謝しなければいけない。 真宮は手前にかかっていたスーツに着替え、後ろで今か今かと真宮を待ち侘びる日野を連れてそのまま捜査室へと向かった。 「あ、やっぱり。もう来てるな」  綺麗に整頓されている自分のデスクの上には、クリアファイルに収められた多数の資料が置かれていた。 いち早く到着したのは四課の資料。 こちらの方が首謀者追跡としてはありがたいと資料をパラパラと流し見していると、後ろで立ち尽くす日野が捜査室を見回す。 真宮が隣のデスクを指差すと、日野は自分の名前が書かれたネームプレートを見つけたらしく嬉しそうに椅子に腰を下ろし感嘆の声を上げた。 「初めての自分専用のデスクだ……」 「よかったな」 「はい!」  流石に新品とは言わないが、前の持ち主である三村はあまりデスクを私物化しない刑事だったお陰か日野のデスクは他のものよりも随分状態がいい。 嬉しそうに頬を緩める日野を見て自然と顔が綻ぶのを感じながら、そういえばと真宮はポケットを漁る。 ポケットから出てきた小さな黒いケースは昨日斎藤に託されたものだ。 ケースを開き中で輝く朱色のバッジを手に日野の名を呼べば、嬉しそうな表情を浮かべたまま日野がこちらを向いた。 「なんですか?」 「ちょっと失礼」  真宮の手は日野の胸元へ。 まだ芯の残る固い襟元にピンを差し込み、裏側の留め具をはめる。 金の文字でS1Sと記されたバッジは、『Search 1 Select(選ばれし捜査第一課員)』の意味を持つ刑事の証だ。 胸元に輝くバッジに驚きと嬉しさを滲ませた日野はそっと指先でバッジに触れ、似合うと呟いた真宮の言葉を噛み締めるように何度も頷いた。 「やっと、夢が叶った……」  ぽろりと呟かれた本音に真宮は小さく笑みを零す。 自身も日野と同じようにこの小さな金属の重みに、刑事になれたのだと強く実感したあの日の感動は忘れられない。 日野の姿に懐かしさを感じながらも、真宮は一人立ち上がり壁に沿って並べられたロッカーから紙の束を取り出す。 だか感傷に浸るのはここまでだ、ここからは刑事として向き合うべき仕事が待っている。 まずは手始めに一から百まで番号の振られたそれを日野のデスクにどんと置くと、その圧倒的な数に日野は表情を一変させた。 「こ、これは……」 「PSIMの過去の事件の資料。これ以降の番号は隣のロッカーに順に入ってるから全て目を通しておいてくれ」 「ええ……」  九百九十まであるそれに日野は怖々と資料の束を上から下まで見つめ一歩後ろに体を引いていた。 特殊捜査班に配属された刑事にとっての通過儀礼だが、日野と同じように今日から配属された刑事はこれに加えて昨日の事件の処理も加わってくる。 想像できる多忙さに憐れみの目を向けながら後もう一つと、真宮は束の上に薄いファイルを乗せた。 「これは?他のとは随分違いますけれど……」 「PSIM首謀者の資料だ。見ての通りの薄さだけど」  数ページだけのそれに日野は手を伸ばすとパラパラとページを捲り出す。 日野が真宮のバディということは、個々の事件よりも首謀者の追跡が主になる。 特殊捜査班の仕事の中でも一際大変な仕事だ。 あまり思い詰めすぎないように見ていてやらねばと胸の内で思いながら、資料の山に埋もれる日野の隣で真宮は四課から届いた報告書に視線を落とした。  そもそも大島組とは大正時代から続く日本最古にして最大の団体であり、現在は東京に本部を置く指定暴力団だ。 現在は四十七都道府県に支部を構え、組員数は約八千八百人にも登るという。 検挙された犯罪は一から数えれば気が遠くなるほどの数、だがこれも氷山の一角だ。 見落としがないように真宮は何十ページにも及ぶそれを一つ一つ確認していくが、ハウスリサイクルの名はそこには記されていない。 しのぎなのではなく正規のルートで取引をしていた会社なのかと国税庁のサイトを調べてみるが、やはり法人番号も発行されていない偽の会社のようだった。 険しい表情の真宮に資料の山に埋もれていた日野は顔を上げるとこちらへと意識を向ける。 「どうかしましたか?」 「……下は数千万から上は数十億まで高額な取引。この資料だけでも数百件の取引だ」 「それで……?不動産屋さんなら普通なんじゃ……」 「普通の不動産会社ならな、でももしもこれが詐欺だったとしたら?」  真宮の言葉に日野は納得したように数字の羅列を見つめ眉間に皺を寄せた。 普通の人間ならば途方も無く大きな金額。 なのに被害届が一度も出されていないなど有り得るわけがない。 会社自体は何年も前から存在し取引の証拠もあるのだ。 だが国から認められた会社では無く、かと言って警察に捜索された形跡もない。 謎が深まるばかりのこの状況に真宮はページを捲っていれば、ふと一人の男の名前に目が止まった。 「会社代表の名前は、唐沢浩二か……」   社員名簿の一番上に記された名前。 この名前には見覚えがあると四課からの資料に目を通せば送検時の資料が出てきた。 代表取締役とは名ばかり、本当の肩書は大島組若頭。 罪歴は恐喝と殺人未遂そして不同意性交等罪。 三度目の服役を終えて出所してからまだ半年足らず。 自分は一度も事件を担当したことはないが、捜査会議で何度もその名前は耳にするほど刑事の中では悪名高い男だった。 「なら……尚更変です」 「え?」  真宮の手元の資料を覗き込んでいた日野が顎に手を当てる。 三度も逮捕された男が経営してる詐欺会社にガサ入れが無いのは流石に変じゃないですか。 日野の言葉に真宮は深く頷く。 唐沢が隠し続けていたという可能性は勿論あるが警察もそこまで愚かではない。 逮捕の度に唐沢周辺を洗いざらい捜査して、それでも見つからないのは何かあるはずだと真宮は資料を大きくデスクに広げた。 幸い唐沢の身元や顔は割れている。 調べればすぐ本人に接触できるはずだと四課に唐沢についての最新の資料を依頼すれば、数分もしないうちにデータが添付されたメールが返ってくる。 一年半前に起きた婦女暴行事件の報告書、調書にある顔写真に真宮は驚きの声を上げた。 「こいつ……昨日の遺体の男だ」 「え!?本当ですか!?」  離れていた日野には覚えが無いようだが間違いない。 あの時の既視感はやはり間違いではなかったと真宮は資料を一纏めにするとファイルごと鞄へと仕舞い込む。  「行こう」 「は…はい!」  真宮の言葉に日野も慌てて荷物を纏め始めた。 唐沢の死はPSIMと大島組を繋ぐ重要な鍵のはずだ。 鑑識が入ったあととはいえ、もしかすれば思わぬところでまた新たな証拠が見つかるかもしれない。 首謀者の足取りを掴むべく二人は早々に捜査室を後にして車へと向かう。 警視庁は開庁時間を過ぎたからか賑わいを見せていた。 人を避けながら正面玄関を目指していた真宮だったが、ふと一人立ち尽くしたままこちらを見つめている視線に気が付き顔を向ける。 見覚えのある背格好、揺れる長い前髪、白い肌に細い体。 その姿を捉えた瞬間、自然と足は止まり真宮の心臓が大きく跳ねた。 「(かなめ)……?」  呟いた名前は雑踏に掻き消され聞こえるはずは無い。 だが要と呼ばれた男は、その声に反応するように目を細める。 声を出さなければ女に見間違えられる風貌は昔から変わらない。 男にしては長く細い髪を揺らし、要はゆっくりと真宮達に近付いてくる。 思わず半歩後ずさり要を凝視していた真宮の前に立つ要は静かに微笑みかけた。 「真宮久しぶり。十年ぶりくらいかなあ」 「なんで、ここに……」 「……さあ?」  要との距離は約一メートル。 心臓が煩い、落ち着け、治まれ。 心の中で繰り返しながら拳を握り込む真宮は要を前にそれ以上言葉を紡ぐことは出来ず、代わりにそんな真宮の心を知らぬ日野は呑気に口を開く。 「お友達ですか?」 「幼馴染だよ。君は?」 「申し遅れました。真宮さんの部下で一緒に捜査させてもらっている日野と言います」 「……日野くん、ね」    日野を見てどこか憐れみを含んだ瞳で見つめる要から真宮は視線を逸らす。 冷や汗が止まらず、ただ真宮はじっと早く時が過ぎるのを待っていた。 和やかに会話を続ける日野と要の二人の姿に胸が締め付けられる。 何か余計なことを言うのではないか、そんな不安に押しつぶされそうになりじっと身を固くする真宮に要は視線を移した。 「真宮は真面目に警察官やってるんだね。今はもう刑事かあ。似合ってるよ」  それと指を差されたのは胸元に光る刑事の証。 人差し指を下ろしそのまま静かに伸ばされる手に為す術もなく真宮の腕は要に掴まれる。 引き寄せられた体、耳元に顔を寄せてでもと言葉を続けた要は小さく笑い声を漏らした。 「僕との約束は守ってくれてるんだ?」 「……っ」   ついに耐えられなくなった真宮は要の腕を勢いよく振りほどいた。 後ろでは日野が驚いているのが伝わってくる。 ああ、上手く立ち回れたらいいのに、要の前ではどうしても上手くいかない。 必死で心を落ち着かせ震える手で乱れてもいない襟元を整えると、真宮は顔を伏せたまま口を開いた。 「仕事中だ……ふざけるのは大概にしてくれ」 「ああそうだよね。じゃあまたね……真宮」  久しぶりに呼ばれた名前に体が震える。 真宮は返事を返さない、だが要は気にもしていない様子で手を振った。 喧騒の中に消えていく要の姿が完全に見えなくなるまで見届けても、 激しく脈打つ心臓は中々落ち着いてくれない。 何故要がここにいる。 ただの野暮用?知り合いがいる?  それともまさか……『あの夜』のことで何かあったのだろうか。 混乱した思考に真宮が黙り込む中、後ろで控えていた日野は体を傾ける。 俯いていた真宮の顔を覗き込むように日野が真宮を呼ぶと、真宮はびくりと体を跳ねさせ日野に視線を合わせた。 「あの、大丈夫ですか?」 「あ……ああ……待たせて悪かったな」 「いえ……」  日野はまだ心配そうにこちらを見つめていたが、真宮はそれ以上は言葉を紡がず鞄を持つ手を強く握り込む。 今は目の前の仕事にだけ集中しなければ。 自分は刑事なのだから。 要の笑顔を思い出せば忌まわしい記憶が呼び起されそうになり、真宮は早足で自動扉をくぐり抜ける。 今はただ一刻も早く、ここから離れたかった。

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