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第3話-4
車内には香ばしい香りが漂っていた。
近くのカフェで買ったコーヒーは、外の気温のせいですぐに温くなってしまったが味わいは変わらない。
隣では砂糖をふんだんに入れたコーヒーとセットにした大きなドーナツを日野が頬張っていた。
朝仮眠室で真宮が促したにも関わらず、やはりまた痩せ我慢をしていたらしい。
コーヒーを待つ間レジのショーケースの中のドーナツを前に腹を鳴らした日野に、ついドーナツを三つも買ってしまった。
見るだけで砂糖の甘さを感じさせるほど色鮮やかなドーナツを手に、恥ずかしそうに顔を赤くした日野の顔を思い出すとまた笑いが込み上げてくる。
まったく、どこまでいっても世話の焼きがいがある男だ。
そんな真宮の心は知らず隣で日野が最後の一つに手を伸ばすのを横目で見ながら、真宮もホルダーから軽くなったカップを手に取る。
車のナンバーは交通課に照会を依頼し、道路を管理する警備局にも防犯カメラの映像やETCの使用履歴の開示などを要請した。
他県刑事が絡むと少々面倒なことになりかねないと思っていたものの、トラックはどちらも東京ナンバーで胸を撫で下ろしたのは秘密だ。
元気を取り戻した日野に安堵しつつコーヒーを飲み干せば、日野も最後の一口を放り込み満足そうにご馳走様と手を合わせる。
そのまま窓の外へ視線を向け顔を上げた日野は、一瞬動きを止めたかと思うと勢いよく窓へ張り付いた。
「あ!」
昨夜のように声を上げた日野に肩を揺らしながらも真宮は冷静に日野の様子を伺う。
車は赤信号で停車中、いいタイミングだ。
カップを車内のゴミ箱に放り投げ、日野の視線を追って窓の外に視線を向ける。
日野は一点から目を離さぬまま真宮の名前を呼ぶと訝しげに口を開いた。
「今の車運転してた人……交番勤務時代に飲酒運転の容疑で現行犯逮捕した大島組の構成員でした」
「そうか……でも飲酒運転だろ?」
「でも、もう一余罪があって」
唐沢と同じ不同意性交等罪の、日野のその言葉と同時に青に変わった信号。
日野の言葉に反応を示す前に真宮はアクセルを踏みこんだ。
通り過ぎた車は高級車では無いが唐沢に深く関わりがある人物ならば、ハウスリサイクルやあの黒塗りのトラックのことを何か知っている可能性がある。
真宮の車はそのまま日野の指差した車の後ろにつき、一定の距離を開けて車を走らせる。
幸い相手は真宮達の存在に気が付いていないらしい。
シルバーの車は速度を変えぬまま走行を続け、やがて雑居ビルの敷地へと滑り込んだ。
「よし、聞き込みに行ってきます」
「待て、まだ行くな……こら!」
扉に手をかけた日野を片手で制し、少し離れたところに車を止める。
動向を確認していればシルバーの車はそのまま駐車場で止まり、運転していた男が出てくるとビルの中へと消えていった。
人の気配が完全に無くなったことを確認してから二人はビルの下へと足を運ぶと、煤けた看板には『第二藤ビル』と彫られている。
どうやら藤と名のつくビルは大島組の所有ビルと思って間違いないらしい。
「不動産会社移転したとかありますかね……?」
「どうだろうな……」
声を潜める日野の問いに眉を寄せる真宮は黙り込む。
その可能性はあるが、それならば退去したテナントに証拠は残しておかないはず。
……後ろめたいことがあるのなら、尚更。
頭を悩ませながら顔を上げてみるも、目の前には空高くそびえるビルが見えるだけ。
このままビルに入るのはリスクが高い。
さてどうするかと一人脳内で状況を組み立てながら上げていた顔をゆっくりと下ろす。
だがその視界の端に見えた黒い鉄の塊に、真宮は二歩後ろに下がった。
「あれって……」
ビルの横、道路からは死角になる場所に停められた黒塗りのトラック。
一人でトラックへ近づき、ナンバープレートを確認した真宮はすぐさま携帯を取り出した。
交通課へ通話を繋ぎ、頼んでいた車両ナンバーの照会結果を聞き出す。
結果を聞き終えると真宮は短く礼を告げて通話を切り、潜入をしようと提案をする日野の腕を掴んだ。
「いや、やっぱり一旦戻って考えよう」
「何か証拠が掴めるかもしれないんですよ、ここで帰るなんて……」
「今確認したが……やはり黒塗りのトラックは大島組の社有トラックだ」
「でも……!」
引こうとしない日野に真宮は難色を示すしかない。
ここは大島組の所有ビル、他にも構成員がいる可能性がある。
それにトラックがあるということはPSIMに関わりのある『何か』があるということだ。
中にどれだけ構成員がいるのか、どのような状況なのかが全く不透明な状態だ。
何か問題が起きた時に二人では対処ができないと真宮が諭すも、日野は首を縦に振ろうとはしない。
「大丈夫です、何かあっても俺が盾になりますから」
「ほら、またそんなことを……」
真宮は溜息をつくと日野の額を指で弾く。
真宮が見せる静かな怒りに謝罪を口にするものの、日野は引く気はないらしい。
その頑固さに真宮は頭を抱えながらも、日野の意見を強く否定はできなかった。
もしもこのまま一度この場を離れて大島組に気付かれたら、何か行動を起こしてくるかもしれない。
それはPSIMのカウントダウンを早めてしまう可能性もある。
十分な対策ができぬままカウントが0を迎えたら……そう思うと、すぐに日野を引きずってこの場を離れる決断は出来ない。
頭を悩ませる真宮に、日野は向き直る。
『行きましょう』
凛とした声でかけられた言葉に真宮は日野の瞳を見れば、こちらを真っ直ぐ見つめる日野がいた。
「必ず、事件解決に繋がります」
それは、いつもの無鉄砲な考えから出たものではない。
その胸の奥には確かな確信があった。
日野の心は揺らがない、その上で真宮の答えを待っている。
ここまで覚悟を決められてしまえば、真宮に残された答えは一つしかなかった。
「……銃は携帯してるか」
「はい、斎藤さんが朝一でくれたので」
「最優先事項は重要人物の確保と証拠品の押収。だが危険だと判断した場合……俺の許可を仰がずに発砲していいからな」
銃の発砲を許可するというのは、そのくらいの心意気で望まなければ行けない相手であるということだ。
日野も真宮の言葉をしっかりと理解しているらしく、険しい表情で頷くと拳銃の存在を確かめるようにホルスターに触れる。
そしてと真宮が言葉を付け足すと、日野のネクタイを掴み顔の高さを合わせた。
「自分の命と何かと天秤にかけたときは、自分の命を優先させること」
嘘を許さぬ瞳で真宮が告げると、日野は目を逸らすことなく真宮を見つめる。
これだけは必ず守れと念を押すように真宮が言葉を重ねれば、日野は一切の迷いもなく頷いた。
その声に覚悟を感じ取り、真宮はネクタイから手を離す。
これ以上言葉を重ねる必要はないと、そのまま真宮は正面玄関へ向き直った。
「……行こう」
昨日と違い自動ドアは真宮達を迎え入れ、二人は静かなビルの中へと足を踏み入れた。
随分古びた内装だがビル自体はちゃんと機能しているらしい。
正面玄関から右に曲がれば、エレベーターが一台。
四階で止まっているということは男は四階にいるのだろう。
エレベーターにカメラがある可能性を考え、二人は階段で四階へと向かった。
なるべく足音を立てず人の気配を探りながら足早に四階へと上がり、フロアへと続く扉から顔を出してみる。
廊下には人の気配は無い。
扉は五つあり、何故か左から二番目の扉だけが頑丈なものに取り換えられていた。
あそこだろうか、二人はゆっくりと近付き真宮がドアノブに手をかける。
……鍵は、かかっていない。
「覚悟はいいな」
小さく呟かれた最終確認に、日野は変わらず強く頷くことで返事をした。
手首を捻りぐっと力を込めれば見た目よりもずっと軽いその扉がゆっくりと開く。
初めに感じたのは思わず顔を背けてしまいそうなほどの異臭。
重たい扉の奥の散乱した暗い部屋の中には、こちらをじっと見据える二つの生気の無い瞳が見えた。
「なんだ……客か」
「……飛び込みで二人」
金はと続けられた言葉にいくらでもと言葉を返す。
こういうときのはったりは職業柄得意だ。
店主は真宮を少しも疑うことなく黄色い歯を見せて笑う。
そしてそのままパソコンの画面を一度確認すると、ぎょろりと目を動かして横に視線を移した。
「運がいい。今なら一番人気のガキが空いてるぜ」
店主の言葉にガタン、と奥から物音が響く。
店主が指差すのはカーテンで仕切られた隣の部屋。
部屋からは幼い子供の苦しげな声と大人の荒い息遣いが聞こえ、ここがどういう場所なのか嫌でも理解してしまう。
込み上げてくる怒りにも動じず、真宮はポーカーフェイスを崩さずに店主を見据えた。
今にも突入したいところだが、中の惨状が分からない以上迂闊なことは出来ない。
怒りに身を乗り出す日野を無言で制しながら真宮が次の一手を考えていれば、カーテンが揺らぎ奥から構成員が顔を出した。
「ったく相変わらず汚ねえなここは……おい、じいさん。金も貰ったし俺は行くからな」
「あいよぉ」
斜め後ろに視線だけを向ければ、日野もまたこちらを見て一度頷いた。
車から降りたのはあの構成員で間違いない。
そして自分の記憶を辿ってみてもここは大島組のしのぎのリストには含まれていない。
そしてなにより構成員が来た時に見えた白く細い子供の足。
児童買春等周旋罪、摘発するには十分な罪だ。
「誰にする?」
「……生憎そういう趣味は無くてな、やめておくよ」
はあ?と聞き返す男の言葉を合図にするかのように真宮と日野は大きく足を踏み出す。
そしてそのまま真宮は店主の男へ、日野は構成員へと迷うことなく飛びかかった。
突然の奇襲に為す術もない二人は抵抗する間も無く拘束される。
そして数十秒もしないうちにその腕には、時刻と罪状を示すありきたりな口上と共に手錠がかけられた。
「おいクソが!離せ!」
「お前ら何だよ!?」
「見たら分かるだろ、警察だ」
二人は口々に暴言を吐き散らすが、そんなものに動じる真宮ではない。
警察手帳を前に掲げ逃げないようにラックの鉄パイプ部分に手錠の片方をかけてしまえば、二人は幾分が大人しくなる。
物わかりのいい二人で助かったと立ち上がれば、真宮よりも早く日野は隣の部屋へ足を向けた。
隣の部屋でも異変に気がついたらしく、逃げだそうと半端に衣服を纏った大人達が勢いよく奥から飛び出してくる。
だが開いたカーテンの先にいた日野の姿に気圧されたのだろう。
大人達はそれを振り切ってまでこちら側に外に出ようとはしなかった。
「日野」
「はい……わっ」
使えと短く呟いて投げ渡したのは散乱した部屋から掘り出したビニール紐。
足りない手錠の代わりに、日野は抵抗をすることを止めた男達のそれを手首に巻いていく。
一人残らず被疑者を拘束し肩の力を抜くと、日野は部屋の隅で固まって震える子供達に静かに歩み寄った。
子供達は恐怖を顔に浮かべ、日野の姿を凝視している。
怖がられているのを日野も気が付いているだろう。
日野は少しの距離を空けて足を止め、その場でしゃがみ込むと温かな微笑みを浮かべた。
「……もう大丈夫。助けにきたよ」
「だれ……?お兄さん達……」
「正義の味方!」
子供達と同じ目線までしゃがんだ日野は子供達に優しい声で語りかける。
警察だよ、もう誰も酷いことをしないよ。
日野の笑顔と優しい言葉に、少しずつ思考が追いついてきたのだろう。
子供達は次第に体の力を抜き、ぽろりと乾いた頬に涙を伝らせた。
「帰れるんだ……」
「やっと解放される……」
「ありがとう、ありがとうございます……っ」
口々に呟く子供達に日野は嬉しそうに相槌を打ち、真宮も被疑者達から離れ子供達の元へと向かう。
子供達はみるからに衰弱しているが、皆意識ははっきりしているようだ。
とりあえずは安心したものの早いうちに病院へ連れていかなければと、日野の一歩後ろで携帯を取り出す。
とりあえずは生活安全課と救急、後は手の空いている警察官の応援も欲しい。
素早く応援を要請し肩の力を抜けば、一人の少女が真宮のスーツの袖を軽く引いた。
「お兄ちゃん……私達大人になれる……?」
「勿論。これからは普通の暮らしができる」
『パパとママのところに帰れる?』
純粋無垢なその問いにも肯定を示せば、子供達は喜びの声を上げ一人が嬉しそうに胸を擦る。
「天使の言う通りだ……!天使が言ったの!もうすぐ助かるよって…!」
「天使……?」
もう痛い思いをしない、何も取られないと子供達は自身の体に触れる。
怪我をしているのだろうか。
真宮が少女に許可を取って服を捲る。
そこには小さな体にそぐわない大きな手術痕がいくつも連なり、生々しく傷跡を残していた。
「……っ」
あまりに痛々しげなその傷跡に真宮が言葉を失う。
まさかと思いつつ他の子供の服を捲ると、同じように小さな体には大きな傷跡が残されていた。
これは一体なんだ、何をされた。
真宮が問いかけようとした、その時だった。
「子供は全身が金になるんだよ。知らないよな、正義の味方さんは」
「なっ……うぐっ!?」
後頭部に強い衝撃を感じて、真宮は咄嗟に頭を押さえた。
激しい痛みに視界が揺らぐ、倒れ込んだ体を起き上がらせようとするとぐらぐらと揺れる頭に真宮は歯を食いしばった。
なんとか後ろに振り向いてみると、真宮を見下ろすように左頬に火傷の跡が残る男が立っている。
胸には黒の真鍮に金の虎の代紋刻印がされたバッジが輝き、ギラギラと正に虎のような鋭い眼光が真宮を見据えていた。
男は動けない真宮と怯える子供達を守る日野を横目に、真宮のポケットから落ちた鍵を取ると手錠の掛けられた構成員へと歩み寄った。
「鴫野さん!すいません、俺……」
「いいよ。可愛い部下のSOSだし……それよりも。何サツ入れてるんだよお前」
「す……すいませ……ぎゃっ!」
店主の男の腹に革靴がめり込む瞬間、痛む体を無理やり起こし真宮は少女の目隠しになるように前に出た。
鴫野と呼ばれる男は何発か蹴りを食らわせ、店主がくぐもった呻き声を漏らす。
その姿に小さく笑いながら鴫野は胸元からナイフを取り出すと、そのまま店主の脇腹にナイフを突き立てごみ溜めには苦痛に喘ぐ叫び声が響いた。
「やめろ……!」
真宮が制止をかければ、鴫野はぴたりと動きを止めこちらへ顔を向ける。
じっと真宮を見つめる鴫野に、真宮も体勢を整えながら負けじと睨み返す。
立ち振る舞いから見て、鴫野はそこにいる構成員よりも圧倒的に格上だ。
体を起こし少女を日野の方へと向かわせると、真宮は鴫野の動きを見張る。
そして長い指先がジャケットの下に隠した拳銃に触れた瞬間、真宮は飛び出した。
「…このっ!」
毛布に足を取られながらも真宮は低い体勢のまま鴫野の方へと走り、そのまま鴫野の右手を蹴りあげる。
右手は弾かれるように跳ね上がると銃が放たれ、激しい音の後に蛍光灯が割れ小さく火花が散った。
「日野!子供達を守れ!」
子供達の悲鳴の中、真宮は声を張り上げる。
部屋は完全な闇に包まれ騒然となる室内で、背中越しに日野の声が聞こえた。
鴫野はどこだ、暗闇に慣れない目を凝らしながら周りを見回すも姿を捉えることができない。
だが遠くで扉の軋む音が聞こえ顔を向ければ、頬を新鮮な空気が掠め手錠が外れた構成員と鴫野が外へと出ていくのが見えた。
「くそっ……!」
油断したと胸中で舌打ちが漏れる。
このままあの二人を逃がしては重要な証拠を逃がしてしまう。
ここまで来てそんなことしてたまるかと、真宮もまた鴫野達の後を追おうと立ち上がり扉へと足を向けようとする。
だがそれを静止したのは、日野の力強い腕だった。
「一人じゃ危ない!俺も行きます!」
「駄目だ!お前はここで子供達を守ってくれ。それに被疑者も放置しちゃいけないだろ!」
「でも……!」
今回ばかりは譲れないと真宮は日野の腕を振りほどく。
まだ何があるか分からない。
守るべき子供達がいる以上、ここを二人とも離れるわけにはいかないのだ。
続く喧騒の中、遠くで救急車のサイレンが聞こえる。
せめて応援が来るまではここを頼む。
真宮の言葉に日野が言い返す言葉を探す間に、真宮は部屋を飛び出した。
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