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第3話-5
エレベーターを待つ余裕など無く、真宮は階段を駆け下りた。
勢いづいて前へよろめきながらビルを出て周りを見回す。
車は置き去りのままだ、ならばどこかに身を隠しているはず。
注意深く人影を探せば曲がり角で鴫野を見つけ、真宮はその背中を目掛けて走り出した。
「はあ……はあ、くそっ……思い切り殴りやがって……」
たらりと額から垂れる血を拭いつつ、息を切らしながら鴫野の背中を必死で追う。
鴫野は真宮に構うこともなく倉庫が並ぶトラックターミナルに辿り着くと、まるで真宮を弄ぶようにトラックの隙間を縫って走っていった。
トラックの中には、先程とは違うナンバーの黒塗りのトラックも停められているのを見るとこのあたりも全て大島組の管轄区域なのだろう。
トラックの影に隠れながら走る鴫野をなんとか見失わないように追いかけていれば、鴫野が一際大きい倉庫の扉を開く。
少し遅れて真宮が追いつけば、倉庫の扉が開いていた。
誘い込まれているのだろう。
罠だと分かっていても止まる選択肢は無く、真宮は息を整えるとゆっくりと歩を進める。
扉を少し開けば鴫野は倉庫の奥、大きな木箱の上に腰を下ろしていた。
「相変わらずサツはしつこいなあ」
「逃げる方が悪いんだ……っゲホッ」
「はいはい……まあでもここまでついてきた気合いに免じていいもん見せてやるよ」
驚くぞ、まるで子供が秘密事を明かすときのような笑みを浮かべた鴫野が木箱の蓋を開く。
距離があるせいが中はよく見えない。
真宮は拳銃をホルスターから引き抜き、念の為に安全レバーを下ろすと左手に銃を構え一歩前に出る。
だが、そこに見えたものに真宮の足は大きく震えた。
「なんてことを……!」
中には憔悴した八、九つほどの少年がいた。
かろうじて息はあるが殆ど骨と皮だけになった少年に血相を変えた真宮が駆け寄ろうと体を前のめりに
手を伸ばす。
だがそれを制止するように鴫野が少年の頭に銃口を突き付け、真宮は足を止めざるを得なかった。
「PSIMは弱者の叫び……心の救済だ」
「……どういうことだ」
返事は無く、鴫野はただ静かに真宮を見つめるだけ。
引き金に置かれたまま力の入っていない鴫野の指を見て、真宮は銃口を鴫野に向ける。
だがそんな脅しにも鴫野は動じることはなく、ただ真宮を嘲笑うかのように見つめていた。
「……大島組がPSIMの首謀者か?」
「俺達は協力してるだけ。理由は……まあ金だよな」
検挙数が増えて良かっただろうとかけられた嫌味に虫酸が走る。
駄目だ、こんなところで怒りに飲み込まれるな。
緊迫する空気の中、鴫野は虫の息の少年の頭を優しく撫でる。
「辛いよな、苦しいよな、分かるよ、俺……も」
少年にそう語りかける鴫野の不可解な行動に真宮が顔を顰めた。
額から未だ流れてくる血を拭う度、痛みが少しずつ強くなっていくのが分かる。
だがその痛みを無視したまま、真宮は鴫野に鋭い視線を向け言葉を続けた。
「……なんなんだ。お前は」
「俺も弱者側の人間なんだ。だから、大切な人に裏切られた気持ちが分かる……でもあの方が救ってくれた……」
「……っ」
聞き覚えのありすぎるその言葉に真宮は体を固くする。
幸運というべきか、不運というべきか。
まさかこんな場面でその台詞を耳にするとは思わなかった。
拳銃はそのままに動かない真宮が話を聞く気でいることを察したのだろう。
鴫野は少し体を寛げさせて、まるで遠い記憶を思い出すように静かに語り始めた。
「俺達は運がよかった。孤児だったけど元々二人とも根性も腕っぷしもあったお陰で、あそこに行かずに組長……親父に引き取られた」
今では若頭だなんて自らを指を差す鴫野の笑顔に真宮は大島組構成員の記録を思い起こす。
若頭の鴫野……ああ、確かに四課の資料に名前があった。
鴫野敦也、過去に末端の構成員を逮捕したときに名前の出た男だ。
だが、今鴫野の肩書きなどどうでもいいことだ。
じれったく感じるこの時間を早送りするようにあの風俗店は何なのだと真宮が問いかければ、鴫野はあっさりと口を開く。
「あそこは大島組が借金の肩に債務者から奪ったガキに売春させる違法風俗店、しのぎだよ」
「……それだけじゃないだろう」
問いを重ねる真宮に鴫野は嫌味たらしくそうなんだよと相槌を打つ。
ただ売春をさせているだけではああはならない。
痛々しい傷を思い出し苦い顔をする真宮の言葉に、鴫野は一言、臓器売買だと口にする。
怒りに震える真宮の顔を眺める鴫野は、憐れみの目で少年を見ると目を細めた。
「死なない程度に臓器を奪って売ってまた稼がせて。稼げなくなったら、バラして捨てる……地獄さ」
外道め、吐き捨てるように呟いた真宮に、鴫野はお褒めの言葉をありがとうと皮肉交じりに呟く。
金のため、たったそれだけでそんな恐ろしいことをできる神経が心底理解できない。
侮蔑の視線を向ける真宮に鴫野はくつくつと笑い声を漏らしながら瞼を震わせる。
泣き笑うような顔をして、驕りのせいだと自嘲気味に呟く鴫野は真宮を見ているはずなのに、どこか遠い目をしていた。
「……自分達の力だと信じて疑わないからだよ。自分達は勝ち組だって……だから他人を蹴落として生きるのが正しいと思ってる」
「とんだ誤解だな」
「ああ、そうだよ。若かった俺は二人なら何でもできると思ってた。でもあいつは……唐沢は……呆気なく俺を切り捨てた」
「……っ!」
突如飛び出した唐沢の名前に真宮は生唾を飲み込む。
『二つの事件が繋がった』
真宮は拳銃を握る手の力を強め、鴫野は頬にくっきりと残る火傷の跡を爪でなぞる。
引き攣った皮膚に怒りをぶつけるかのように強く爪を立てれば、鴫野の頬には血が滲んだ。
「あいつ売りもんのガキに手を出して……それを俺のせいだって言いやがった」
「え……」
「俺に罪を被せたんだよ」
商品である子供に手を出したというのは、組の金に手をつけたことと同じ。
そして極道の世界では裏切り者には激しい折檻と拷問が待っている。
まさか親友がそんなことをするはずがない。
何か理由があるはず、そんな微かな希望を胸に苦痛を耐え抜いた鴫野に待っていた言葉は望んだものではなかった。
身体を震わせる鴫野の心を覆い尽くすのは怒りなのだろうか、悲しみなのだろうか。
その答えも分からぬまま、真宮は口を開く。
「なら……何故殺したんだ。PSIMとして……愛するのではなく、憎んでいたのに」
「……愛と憎しみは紙一重だから」
鴫野の腕は力を失い、少年はそのまま箱の中に倒れ込む。
お前には分からない、そう言って笑う鴫野は涙を流していた。
例え殺意を芽生えさせるほど怒りを抱いたとしても思い出は消えない。
だからこそ怒りの奥底にあるのは愛だ。
友愛は同じ時を過ごせば過ごすほど、同じ痛みを分かち合うほど、強固になるのを真宮も知っている。
……それは時に、残酷な選択をもできてしまうほどに。
「……後は署で聞かせてもらう」
昔話をするには十分なほど、その経緯は聞かせてもらった。
これ以上鴫野の心の傷を抉る必要は無いと真宮は静かに拳銃を下ろし鴫野に一歩近づく。
だが鴫野は抵抗の意思を見せないながらも、首を横に振り真宮を拒んだ。
何故、真宮が視線でそう問いかければ、鴫野は天を仰ぎ大きく息をつく。
「あの方は孤独を知っている。だから孤独な人間ほど惹かれるんだ……だからこそ孤独ではない人間の洗脳は完璧じゃなくなる」
思う通りに動かない駒はあの方にとって出来損ない。
そんな駒の行く末は一つだけ。
そう呟いた鴫野の顔は真宮へと向けられる。
仕事が早いなと笑う鴫野は、今までで一番晴れやかな表情を浮かべた。
「最後にひとつだけ……“あの方”は二人いるよ」
頑張れよ刑事さん。
その言葉と共に倉庫内に響いたのは銃声。
反動をつけて倒れていく鴫野の姿に、目を見開いた真宮がよろめきながら駆け寄る。
額の中心に開いた穴からは鮮血が流れ、目を見開いたまま鴫野は息絶えていた。
「……ックソッ……!」
やり場のない怒りにただ吠えることしかできず、真宮は拳でコンクリートの地面を殴ることしかできなかった。
罪を認めた人間一人、まともに罪を償わせることもできず何が刑事だ。
不甲斐なさに繰り返し怒りをぶつける拳には血が滲んでいた。
荒くなっていく呼吸の中、強く痛み出す頭を押さえ真宮は唇を噛み締める。
近付いてくる足音、腕に鴫野を抱えたままゆっくりと振り返れば、光を背に見えた人物に真宮は短く息を吐いた。
「真宮さん……っ!え……っ!?これは……一体……」
「……守れなかったんだ」
駆け寄ってきた日野に真宮は顔を俯かせ小さく呟いた。
項垂れる真宮の姿と息絶えている鴫野の亡骸に何かを感じ取ったのだろう。
日野が前屈みに頭を押さえる真宮の肩に触れると、真宮は乾いた唇を動かしぽつりぽつりと言葉を零す。
「悪人でも罪を認めたのなら……それを償い生きていく道があった。更生できたはずなんだ……」
あのとき自分が一足先に気が付いていれば、鴫野は死ななかったかもしれない。
いつもそうなのだ、自分は肝心なときに役に立てない。
普段口にすることのない弱音は、一度溢れてしまえばもう止められなかった。
情けなく滑稽な姿だろう。
今すぐにでもここから逃げ出したいほど嫌でたまらないのに、日野は真宮の言葉に貴方は悪くないと、仕方がなかったのだと繰り返す。
優しくしないでくれ、そうでなければ自分は正しいことをしたと、『あれ』は間違いではなかったと錯覚してしまう。
一人で抱え込まなくてもいいのだと、他人にこの胸に秘めた苦しみを共有して欲しいと思ってしまう。
……俺は、弱いから。
「縋ってしまう……」
多くの血を失った体は限界を迎え、深海に沈んでいくように意識を手放す。
力の抜けた体が地面に触れる間際、日野の腕が真宮の体を支えた。
「……縋っていいんですよ」
小さく呟かれたその言葉は、真宮の頬を伝った一筋の涙と共に消えていった。
薄茶色の真宮の瞳が隠れた瞼に唇を落とし、そのまま涙の跡が残る頬に舌を這わせる。
そのまま強く抱きしめた体から香る鉄と汗の香りを胸いっぱいに吸い込んで大きく息をつけば、日野は小さく口元を緩めた。
いつも強く真っ直ぐな真宮の見せた弱さに、喜びを抑えきれなかった。
もっと縋って欲しい、もっと頼って欲しい。
生きる理由すら俺に求めるほど愛してくれたのなら、きっと俺は……
真宮の耳に吹き込んだ言葉は、日野だけが知っている。
耳に口付けを落とせば外から人の気配を感じ、日野は鋭い視線を扉へ向けた。
「……日野刑事!被害児童と被疑者共に引き渡し完了し……何があったんですか!?」
「……大したことはありません!こちらの二人をお願いします。少年は病院へ……男は警視庁にお願いします」
応援に駆け付けた警察官に腕の力を静かに抜き、いつもの顔で的確に指示を出す。
後に駆けつけた警察官数人が日野の指示に従い少年と鴫野の死体を倉庫外に運び出せば、倉庫には真宮と日野だけになった。
ああやはり、埃臭く暗い場所は嫌な記憶を思い出させる。
日野は顔を顰め残された血溜まりに侮蔑の目を向けた。
「……屑は簡単に変わらない。死んだ方が世の為なんですよ」
日野は真宮を抱いて立ち上がり、少年を閉じ込めていた木箱を蹴り壊す。
砕け散った木片が暗がりに消えていくのを感情の無い瞳で見つめていた日野は、外から聞こえた自分を呼ぶ声に表情とは裏腹に元気に返事をして倉庫を後にするのだった。
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