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第4話-4

「……事件は強盗の仕業として処理された。身寄りのない要は施設に引き取られて、毎日楽しそうで……でも俺は、段々と罪の意識に苛まれるようになった」  何度も忘れようとしたのだ。 だけどその度に忌々しい記憶は、鮮明にフラッシュバックして真宮の精神を蝕んだ。 要の隣にいると自分の犯した罪を見せつけられているかのようで、次第に要の顔を見ることさえ恐ろしく感じてしまうほどに。 だからこそ高校では要と関わらずに済むように遠くの学校を受験して、物理的に要との関わりを絶つことで関係は自然と薄れていった。 要と疎遠になろうとも自分の犯した罪は消えないというのに、ほとほと馬鹿な自分を憐れだと笑ってしまう。 それでも自分は、あの時の選択は絶対に悪だったとは言いきれなかったと、真宮は日野と繋いだ手を強く握りこんだ。 「……社会的な弱者は、究極の方法を取らなければ自らを守れないこともある。だけど……真実を隠したことが正しいとは決して思わない」 「だから俺は警察官になったんだ。要のように弱い立場で最悪の決断を余儀なくされる人間を救えるように……いや、それも言い訳かもしれないな。本当は罪の意識に耐えられなくなった俺が、贖罪のためにしているだけなのかもしれない……」  事件は時効を迎え、今真実を明かしたとしても罪を暴くことはできない。 だからせめて、自分の人生をかけて罪を償おうと思うのは自己満足なのだろう。 それでも何か自分にできる罪の償い方を今もずっと探し続けている。 最低な過去の話を、日野は言葉を挟まず静かに耳を傾けてくれていた。 最後まで聞いてくれた感謝と謝罪を言葉にすれば、日野は引き結んでいた唇をゆっくりと開く。 「……いえ、話してくれてありがとうございました」 「礼を言うのはこちらの方だよ」 理解してほしいとも、同情して欲しいとも思ってはいない。 ただ自分の胸に留めておくにはあまりにも大きすぎるその過去を、誰かに知って欲しかった。 『日野だから話せた』 そう言うと顔を伏せている日野が微笑んだ気がした。 「じゃあ俺も話さないと……俺の秘密」 「秘密……?……い……っ」  繋いでいた日野の手は離れ、代わりに真宮の手首を掴む。 まるで逃がさないとでも言うように強い力。 言葉は無く日野は少しづつ手首を掴む力を強めていく。 困惑を浮かべる真宮に、日野は静かに言葉を連ねた。 「前にも言った通り、俺……母を殺した犯人を捜してたんですよ。それでも長い間手がかりが掴めなかったのに、最近ついに決定的な証拠を見つけたんです」 「え……?それって……」  俯いたままの日野の顔が真宮の耳元に近付く。 視線はまだ合わない。 日野の唇が耳に触れるほど近くに寄せられるとより一層力が強くなり、掴まれた真宮の右手の指先がぴくりと跳ねる。 痛みに顔を歪ませる真宮に構わないまま、耳には吐息と共に言葉が吹き込まれた。 「唐沢の死体の側から、母の毛髪が見つかったんですって」 「……は」 言葉の代わりに零れたのは吐息だけだった。 頭では分かっているはずなのに、体がその真実を受け入れることを拒んでいる。 恐ろしさに真宮は日野を見ることが出来なかった。 冗談だと、ただ驚かせたかっただけなのだと笑って欲しい。 そうでなければ、もしも、今の日野の言葉が真実ならば……それは、つまり。 「母の名は戸倉純子、旧姓は日野順子です」 「……っ!」  くつくつと喉を鳴らし唇に弧を描くその姿は、いつもの日野とはまるで違っていた。 何故、どうしてと頭の中では叫んでいるのに、唇は薄く開いたまま言葉を紡ぐことが出来ない。 そんな真宮を嘲笑うかのように喉を鳴らし続ける日野の姿に、真宮の心を恐怖と罪悪感がじわじわと支配していくのを感じた。 「俺は家庭のある母の不倫の末にできた子でした。いつか戸倉と離婚してその男……俺の父親と結婚するつもりだったようですよ」 男は自分がまだうんと幼い頃に家を出ていき、狭いアパートには母と自分だけが残された。 元々後ろめたい関係だ、誰かに相談できるわけもない。 だが離婚をしたところで、二人の子供を女手一つで育てることが不可能であることは母はよく理解していた。 悩んだ末に母が出した答えは二つの家庭を行き来する生活だったと、淡々と語る日野に真宮は言葉を失ったまま動けずにいた。 「母は家庭のある戸倉の方にいることが多かったから俺は一人のことが多かった……それでも母がいるだけでよかった……幸せでした」  だが突然、その幸せは打ち砕かれた。 母を奪った犯人が心の底から許せなかった。 だけど蓋を開けてみればどうだろう。 優しかった母は自分の子供を虐待していたというではないか。 そして愛しい母を殺したのは、自分と半分血の繋がった兄だなんて、そんなことがあっていいのだろうか。 「死体検案書を見た時、真宮さんが毛髪について触れなかったことに疑問を抱いてましたが……そういうことだったんですね」 「あっ……」  身を乗り出した日野の膝がリクライニングレバーに当たり、シートと共に真宮が後ろに倒れこむ。 抵抗する間もないまま横たわる真宮の上に覆い被さる日野は、真宮の手が赤黒く色変えても力を緩めない。 ああ、そうだ。ついに自分は真実を掴んだ。 独り言のように呟いた日野の声は歓喜に震え、大きな息を吐く。 そしてその喜びを噛み締めるように、ついに日野は顔を上げた。 「……やっと見つけた、母さんの仇」  そこにいたのは真宮の知る日野ではなかった。 いたのは、たった一人の肉親を殺され復讐に燃える男。 激しい憎悪が宿る瞳に睨まれ、呼吸さえままならない。 弁解も許しを乞うことすらできずただ体を震わせる、そんな真宮に対して日野は侮蔑を滲ませた表情を浮かべていた。 「罪を見てみぬふりをするのは同罪だ」 「あ、ああ……」 「ねえ、優秀な真宮さんなら分かりますよね?」  命は命で償うべきだと思いませんか。 体の芯まで冷えるほど冷たい声音で囁く言葉と共に、拘束が静かに解かれる。 今まで幾度となく真宮を導き、様々なものを救ってきた手。 その大きな手は剥き出しの細い首を包み込み、そして真宮は短く息を詰めた。 「ぐ……っ!か、は……っ」 「許さない」 突然強く締め付けられた首に体が大きく跳ねる。 咄嗟に首を締め付けている日野の腕を掴んでも、真宮の力では日野はびくともしない。 首を締められていては日野の名を呼ぶことさえままならず、真宮の開いた口からは弱々しい吐息が零れるだけだった。 「が……っは、ぐぅ……っ」 「……許さない、許さない……許さない!」 酸素を求め藻掻く真宮を見下ろす日野は今まで押し殺してきた怒りを爆発させるかのように、少しづつ声を荒らげていく。 よくもお母さんを、人殺し。 矢継ぎ早にぶつけられる日野の叫びに、真宮の心と体は少しづつ分離していく。 日野がこのまま自分を殺してしまえば復讐はできたとしても、心の何処かで罪の意識に苛まれるのではないだろうか。 ……日野はとても、優しい人だから。 どんな形であれ日野が苦しむのは見たくない。 自分にはそんなことを言う資格が無いのは分かっていてもそう思ってしまう。 視界が少しずつ狭まっていく中、日野を見つめ続けていれば突如首から手が離れ、酸素が一気に身体中に流れ込んでくる。 大きく咳き込んでいれば真宮の首を掴んでいた手は拳を作り出し、やがて強く窓に叩きつけられた。 「何なんだ……クソッ……クソォ……!」  何度も、何度も、日野は拳を窓に叩きつけた。 その度に窓ガラスは悲鳴を上げ、車は小さく揺れる。 強く締め付けられていた喉は声が出せず、真宮はただ肩で息をしながら日野を見つめていた。 治りかけてきていた日野の手は、怒りをぶつける度に少しづつ血を滲ませる。 だが力を無くした真宮の腕は日野の手に触れることすら出来ず、ただぼんやりとその姿を見つめるだけ。 「何で……こんな……っ」 やがて日野の拳は血を流したまま力を失いだらりと下ろされる。 噛み締めていた唇は涙に濡れた吐息を漏らし、日野は一呼吸の後に小さく体を震わせた。 「知りたくなかった……母さんが子供に暴力を振るう人だったことも。血の半分繋がった兄が犯人で……真宮さんが加担していたことも」 「ひ、の……」  息も絶え絶えに名を呼ぶ声は酷く掠れていた。 絞り出すように何故だと泣く姿に、酷く胸が締め付けられる。 ああ、なんて愚かな事をしてしまったのだろう。 悔いてももう遅すぎることは分かっているのに、自分は過ちを悔いることしかできない。 上下に見つめ合う二人の間には日野の瞳から零れた涙が落ちる。 真宮の頬に落ちた温かなそれは音も無く頬を伝い、シートに染み込んでいった。 「殺せない……貴方だけは……」 貴方は孤独だった自分を救ってくれた。 気にかけて、優しさで包んでくれた。 ここにいてもいい、必要なのだと居場所をくれた。 「何故、貴方なんですか……」  悲痛な叫びにも似たそれに、堪えきれず真宮の涙が頬を伝う。 どれだけ時が経とうとも変わらず自分の心はあの夜に囚われたまま。 罪悪感に眠れなくなる夜も数え切れないほどあった。 孤独に夜道を永遠と歩くような日々の中、出会ったのが日野だったのだ。 猪突猛進で、明るく一生懸命で、苦しく辛い過去を持ちながらも前に進もうとする日野。 何よりこんな自分を大切だと、抱きしめてくれた。 それがどれだけ真宮にとって支えになっていたことか、日野は知らないのだろう。 ……ああ、そうか。今、やっと気が付いた。 「……少し、一人にしてください」  日野は静かに真宮から離れ、運転席の扉を開ける。 日野を引き留めることもできず、ただその背中を見つめることしかできない自分がもどかしかった。 愛しているだなんて……告げたらきっと、自分は日野を傷付けてしまう。 ごめんと一人呟いた言葉は日野には届かない。 車のフロントガラスには、一つ、また一つと、小さな雫が空から落ちてきていた。

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