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第5話-1
静かな車内では、外の雨音がいやに大きく響いていた。
天気予報というのは当てにならない。
今夜は晴天と聞いていたのに空は曇に覆われ、先程から絶えず雫が地面に叩きつけられていた。
掴まれた腕の痺れはとうに治まっている。
後は自分の勇気次第、そう言い聞かせてもうどれだけ時間が経っただろう。
体の横に投げ出していた腕を持ち上げ、真宮の手は車のキーへと伸びる。
エンジンを切れば、やっと真宮は顔を上げドアに手をかけた。
日野に対して自分ができることはなんだろう。
謝罪の言葉など今更無意味だということは分かっている。
だが何も言わず、このまま時が流れ怒りが風化していくのを待つのは嫌だ。
向き合わなければ……過去は変えられないのだから。
窓越しに見ていた時よりも、外は激しい雨がコンクリートを打ち付けていた。
傘も差さずにあてもなく日野の姿を探す。
日野は雨に濡れていないだろうか。
この寒さならば風邪をひいてしまう、せめてどこか暖かいところにいてくれればいい。
水を吸っていくジャケットは重さを増し、革靴にも絶えず水が入ってきていた。
吐く息は白く真宮の唇からは色が消え、指先は最早感覚も無い。
日野は遠くに行ってしまったのだろうか。
そんな諦めが脳を掠めたとき、物陰に見えた人影にふと足を止めた。
「日野……」
激しい雨にかき消されてしまうほどか細い声がその名前を呼ぶ。
ゆっくりと近付く真宮に、日野は気が付いていない。
膝を抱えるように蹲る日野に、三歩分の距離を開けてもう一度名前を呼ぶ。
あれからずっとここにいたのだろうか。
全身がずぶ濡れの日野は微かに顔を上げ、こちらを見つめた。
「許されないことは承知だ、自己満足だということも。でも、どうしても伝えたかった……本当にごめん、日野からお母さんを奪って、一人にして……ごめんなさい」
日野は何も言わない、ただ瞳は逸らすこと無くじっと真宮を見つめていた。
沈黙の中、二人の間には雨音だけが絶えず響いている。
日野もまた迷っている、それが伝わってくるからこそ真宮もじっと日野の答えを待っていた。
どれくらい経った頃だろう。
日野は体の力を抜き縮こまらせていた体をそっと解く。
そして日野の顔がしっかりと真宮へと向けられると、固く閉ざしていた唇がゆっくりと開いた。
「……真宮さん。俺は……」
その瞬間言葉を遮るように真宮の背中に小さな衝撃が走る。
振り向けば真宮の後ろには虚ろな目をした一人の男が立っていた。
暗がりに目を凝らしてみれば随分と薄汚れた姿をしている。
見覚えのない人物に真宮が大丈夫かと問いかけても、男はぼそぼそと独り言を繰り返していた。
「あの方が言ったんだ、死こそ最愛の証明……蕾は俺が守った。俺は悪くない……」
「……っ」
聞き覚えのありすぎる言葉に、真宮と日野が表情を引き締める。
後ろでは日野が立ち上がる気配がして、真宮もまた体勢を整えた。
刺激してはいけない、もしも暴れられてはこの暗がりと雨では分が悪い。
静かに呼吸を整えて、真宮は落ち着いた声音で男に声をかけた。
「何があった?」
「あの女……別れるときに勝手に蕾を連れて行ったくせに……金に困ったら、大島組に蕾を売ろうとして……」
『大島組』
その単語が出た瞬間真宮と日野の確執は一旦意識から外れて、二人は刑事の顔になる。
音も無く日野が男の背後へと周るのを視線だけで確認し、警戒態勢を取りながら真宮は問いかけた。
「お前は人を殺したのか」
真宮の言葉に男は顔を上げる。
そして憔悴した顔で頷いた。
「そうだ、蕾を助けたのは俺だ」
「……」
真宮と日野は言葉無く、視線を合わせて小さく頷く。
刺激しないようにゆっくりと近付き取り出した手錠を男の両腕にかけても、男は反抗する気配は無かった。
精神的には随分と弱っているようだが、連行までは問題はなさそうだ。
だが刺激はしないようにとなるべく穏やかな声音を心がけながら警視庁に同行して欲しいと伝えれば、男は緩く首を横に振った。
「俺は悪くない」
「……事情は署で聞かせてもらう」
「俺はあいつを助けるためにやったんだ。最後に俺の事、お父さんって嬉しそうに呼んでた……」
「だが……何があろうとも殺人は許されない行為だ」
どんな事情であれ、人を殺めることは許されないこと。
正解などありはしない。
真宮の発した否定の言葉に男の肩が揺れる。
「なら、どうしたらよかったんだ」
ぽろりと零れ落ちた小さな男の本音が真宮の動きを止めた。
先程まで虚ろに遠くを見つめていた瞳は微かな怒りを宿している。
日野の胸に光るバッジに向けられた視線。
そのまま男が顔を持ち上げて非難するような眼差しを二人に向けると、男は乾いた唇を開いた。
「何度も警察に相談した。娘を助けてくれって……でも、何もしてくれなかった。揉み消されたんだ」
「……」
男の悲痛な言葉に神崎の姿がよぎり真宮は唇を噛みしめる。
こうして自分達が知らぬ間に苦しみ、罪を犯し、失われていった命はどれほどあるのだろう。
知らなかったからでは済まされない。
これは警察である以上自分の責任でもあるのだと真宮が顔を険しくすると、男は突然感情を露わにして真宮の腕を強く振り払った。
「俺は間違っていない……俺は、悪くない!」
無実を叫び男は手錠がかかったままの手でポケットからナイフを取り出す。
暗がりの中でも鈍く銀色に光るサバイバルナイフ。
咄嗟に離した手を再び伸ばすも、男はナイフを振り回し接触を拒む。
男の標的は真宮に定められ、ナイフを掲げた男は吠えるように叫んだ。
「蕾を見殺しにしようとしたくせに!人殺し!」
「……っ」
『人殺し』
その言葉に真宮の手が震えた。
そんなもの怒りに任せた言葉だと分かっている。
それでも、記憶から消えてくれないあの夜の要がお前も同じだと囁く。
違う、俺は要を助けたかっただけ。
そんな言い訳を叫ぶ真宮に、記憶の中の要が笑い真宮を糾弾するように指を差した。
『この男と殆ど変わらないじゃないか……人を助けるために、人が死ぬのを見て見ぬふりをするのは!』
「真宮さん、危ない!」
切羽詰まった日野の声が真宮を現実に引き戻し、弾かれたように顔を上げる。
振り返れば男のナイフはもう目と鼻の先に迫っていた。
男の後ろには血相を変えた日野が手を伸ばすのが見える。
だめだ、もう、間に合わない。
「……っ」
痛みに備え反射的に目を閉じる。
だがその瞬間、激しい発砲音が路地裏に響き渡り生暖かい何かが真宮の顔に降りかかった。
ゆっくりと瞼を持ち上げれば、男の額には小さな風穴が空いている。
「な……っ」
ゆらゆらと頼りなく揺れた体はそのまま膝を付き地面へ突っ伏する。
何が起こったのだろう。
理解できない中呆然と倒れた男を見つめていれば、足元に黒い影が伸びているのが見える。
ゆっくりと顔を持ち上げて影を辿り、その先にいた人物に真宮は目を見開いた。
「……要」
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