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3 この世を狂わせてしまった

 その夜、久しぶりに女神が夢に出てきた。  女神はあまりご機嫌がよろしくないようで、机を指でトントンと叩いている。  どこから持ってきたのか、木製の机といす、その上にビールと枝豆、焼き鳥まで。あっという間にジャパニーズ酒盛りスタイルの完成である。  うわ、うまそ……味を思い出して、ごくりと喉が鳴った。 「食べたいなら、あなたも食べたらいいじゃないですか」  ご丁寧に、向かいに同様のセットを出してくださったのでご相伴に預かる……今日はやけにこういうのが多いな。  久々のビールが身に沁みる。前世じゃ価格の問題で途中から発泡酒に切り替えたが、やはり生ビールのコクの深さを味わうと、これこれ〜!といった感じである。 「あなた、いつになったら願いごとを思いつくんですか」 「え……願いごとって、女神様のおかげで俺はすこぶる健康ですよ。ほら」  袖をまくって見せる。たゆまる努力の証、上腕二頭筋のお出ましだ。   「そうじゃなぁい!」  女神がグラスを叩きつけるように置くと、こんもりと積まれた枝豆がぐらついた。 「もう限界! 限界ですよ! 何年見守っても欲の一つも出てきやしない。僧侶の修行でもしてるんですかっ」 「そんなことは」 「あります! 周りを見てごらんなさい。美しくなりたい〜お金が欲しい〜と欲求の素直なこと。それに比べてあなたの願いときたら……『もうちょっと皆の健康意識が高まればいいのになあ』じゃないですよ!」 「あぁ、あれ届いてるんですか……」  女神様に連絡する方法が分からなかったので、一応毎朝思いついたことを念じてみていた。ちゃんとお祈りは通じていたようでよかった。 「んもう! 期限を引き延ばすのもそろそろ限界ですよ。毎日上司にせっつかれてるこっちの身にもなってください」 「ええー……」 「あと、連絡の声が小さい! もっと強く祈ってください。迷惑祈願かと思ってスルーするところでした」  なんだ、その迷惑メールの亜種みたいなの。 「そう言われましても……一生懸命祈ってますよ。女神様の聴き取り力が弱いんじゃないですか?」 「う……仕方ないでしょ、私が世界に介入しすぎると魔王に見つかってしまうんですもん」 「魔王?」  初耳だ。聞き返すと、女神はショボショボとした声で話し出す。  声ちっさ! 最初の勢いが嘘のようだ。 「……その世界には私以外にも、魔王と呼ばれる存在が介入しているんです。聞いたことありませんか? 世界を繁栄させる女神と、破壊する魔王の話」 「あるっちゃありますが……おとぎ話だと思っていました」  この世界の子どもたちが一度は聞いたことがある童話だ。だが、まさか実在するとは思わなかった。日本で言うなら、桃太郎やかぐや姫のレベルである。 「そりゃまあ、いますよ。私だってこうやって実際会っているでしょう? ただ……私、その。狙われていまして」 「狙われる?」 「……魔王に」  あの気丈な女神が顔を真っ青にして震えている。どうやら、よほど恐ろしい目に遭ったらしい。  命を狙われているのか……俺はあまり詮索しないことにした。 「だから、あなたを直接どうこうできないんです。ああっ歯がゆい! もっとあなたを突き動かすような『しかけ』が欲しい!」  ビールの泡でヒゲを作りながら、枝豆を放り込む女神の目は据わっていた。  もう俺の話なんざ聞いちゃいない。  何も起きなければいいが……という俺のささやかな願いは、目が覚めて早々打ち砕かれた。 「……なんだコレ」  枕元に謎の装置が転がっている。  手のひらに収まる小さな立方体。中心に赤いボタンがある。早押しクイズで使うボタンと言ったら伝わるだろうか。  持ってみると意外と軽い。ティッシュボックスぐらいの重さしかない。  裏返すと、何やら文字が書いてある。 「えっと、『このスイッチで美醜が入れ替わります』……女神の置き土産か?」  あの酔っぱらい女神、もう仕掛けてきたよ。  面倒くさいし、うさんくさいし、やりたくない。嫌な予感がひしひしする。  けれど、すさんだ中間管理職みたいな女神の姿を見てしまった手前、無視をするのも気が引ける。  ……はぁ、なるようになるか。  万が一とんでもないことになったとしたら、さすがに女神がフォローしてくれるだろう。  頼みますよ、と心の中で小さく祈り、勢いよく赤のボタンを押した。  ボタンがへこむと同時に、頭の中で時報のような音が鳴り始める。  ポッ……ポッ……ポッ……ポーン!  どこで鳴っているのか分からない。直接頭に流し込まれているかのよう。  そのまま1秒、2秒、3秒……。 「……ん?」  何も起きない。  てっきり、シャラララ〜と魔法らしき何かが出るのかと思ったのに。 「なんだ? 不発?」  ……美醜が入れ替わるって書いてあったよな。  立ち上がって部屋の鏡を見に行ってみるが、何の変哲もない俺の顔があるだけだった。昨夜から1ミリも変わっていない。 「ええ……?」  ちょっとだけ期待しちゃったじゃないか、女神め。  失敗したのだろうか? 本人に説明してもらいたいところだが、そろそろ朝の訓練に向かわなくては……。 「きゃああああ!!」  1階から、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。  母の声だ。さらに、そこに被さる父の絶叫。  ガシャーン! とガラスの割れる音までする。   「なんだ!?」  急いで階段を駆け降りると、異様な光景が広がっていた。  机から落ちたらしき皿が、数片のガラスになって飛び散っている。  朝飯はトレイごとひっくり返り、床にぶちまけられていた。  母と父は、蒼白になりながら互いの顔をぺたぺたと触り合っている。  何、どういう状況? 「お、お父さん……どうしましょう。私、あなたがとっても……ああっダメ! まっすぐ顔を見られない!」 「私もだ……君が素敵に思えないなんて、どうして……でも、君を変わらず愛しているよ!」 「私も、私もよ!」  ひし……っと涙を流しながら抱き合う両親。  え、何、本当に、何?  困った俺は、ひとまず机の下の惨状をどうにかするべく、朝飯だったものたちと皿の破片を拾っていく。  両親に話しかけてもみたが、全部スルーされた。  瞬間接着剤で塗り固められたのかってぐらいべったりと身を寄せ合っている。  ダメだ、二人の世界に行ってしまっている。  帰ったら話を聞くことにしよう。俺は軽く片付けた後、すぐに城へと向かった。  ……そして、これが序章に過ぎなかったことを思い知った。  城に着くと、いつもの何十倍もうるさい。  一応職務には就いているのだが、門番の足は震えているし、窓口のお姉さんは泣きながらあいさつをしてきた。  ……怖い。みんな情緒どうなってんの? おじさん、ついていけない……。 「あ、ラグナ」  見知った顔を見つけて近づくと、俺に気づいたラグナが表情をこわばらせた。 「よお、これ何の騒ぎ? ……なんで顔を隠してんだ?」 「や、俺、お前に見せられる顔じゃねえし」 「は?」  顔を覆うラグナの手を力技ではがす。  本人もそこまでして隠す気はないのか、簡単に解けた。  ただ、こちらを見ようとはしない。いつものイケメンが気まずそうな顔で横を向いているだけだ。 「別に、いつも通りじゃないか?」 「わ、分かってるよ。俺はいつもこんな顔だ……お前みたいにカッコよくもなけりゃ自信もない」 「は……」  悪い冗談か?  いや、こいつはそういうタイプじゃない。  ラグナは目元を赤くしながら、ちらっとこちらを見下ろした。 「本当、なんでナチュラルでそんだけ綺麗なの……」 「……大丈夫? 病院行く?」  頭の。おっと、つい本音が。 「なのに、俺みたいなのにも普通に接してくれる。ね……俺、ちょっとは期待していい?」 「……何を? うわっ」  何をとち狂ったのか、ラグナは俺の腰をがっしりと抱く。  お前はイケメンだからいいかもしれないが、こちとら見た目は非モテ、中身はおじさんの混合モブなんだぞ。絵面を考えてくれ。 「昨日からずっと考えてんだ。なぁ……オルフェウス王子と何してたんだよ」 「何って。昨日の話か?」  昨日は……そうだな。愚痴だらけの座談会withケーキ……。  いや、ダメだ。一応、王子の尊厳は守らねば。  口をもごもごさせていると、ラグナは「俺に言えないこと?」と悲しそうな顔をした。 「王子に連れていかれて、すげー悔しかった。あの人になら、俺だって勝てるのに」 「いや、剣も魔法も敵なしだろ、あの人」 「腕じゃねえよ。顔の話」 「え」   一瞬、思考が停止した。  これは本気で言ってる……よな?  本気で、あの顔面世界遺産に勝ってる、と思い込んでいる。    ふと、真っ白な脳内キャンバスに浮かび上がってくる、無機質な赤ボタン。  ラグナに拘束されながらも、ポケットから例の機械を取り出す。  ……「美醜が入れ替わります」って、まさか美醜の「感覚が」入れ替わるってことか!? 「あの人でいいんなら、俺でもいいだろ……」 「おいおい、しっかりしろって! 俺ら友達だろ?」 「ずっと、友達より上の関係になりたかった」  親友ってこと?  そうだよな? それ以外ないよな!? 「昨日だって、堂々と口を出せる関係だったら止められた。なんで今まで言うか迷ってたのか分かんねーけど……」  迷って大正解だよ。そのままウロウロして別の結論を見つけてほしかった。 「ま、ま、待ってくれ。え、な……なんで俺?」 「だめ? 俺じゃ、そういうふうに見れない?」 「いや、お前だからとかじゃなくて――」  そもそも、誰かと色めいた関係になったことが2度に渡る人生で一度もない。  俺には無縁だと思って生きてきたのだ。根底を覆され、頭の中はクエスチョンマークで埋め尽くされている。  俺の反応に何を思ったか、ラグナはイケてるお顔を柔らかく崩した。  その笑い方が、なんていうか、その。目は口ほどに物を言う、というやつで。 「……俺にもまだチャンスはありそうね」  どうしよう、この世を狂わせてしまったかもしれない。

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