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4 だって俺だぜ、俺

 結論から言おう。散々である。  その後の訓練で、俺はあり得ない体験をした。  昨日まで集団指導という名の不平等スパーリングを申し込んできていたやつらが、揃いも揃ってモジモジしているのだ。 「アイクに剣を向けられるわけないだろ」  嘘つけ、あなたが一番ノリノリだったじゃないすか上官。 「今度一緒にご飯行こうよ。金の心配はいらないからさ〜」  金じゃない。心配するところは、金じゃない。 「ちょっと綺麗だからって、ちょ、調子のるなよ!」  そんな顔を真っ赤にして言われても……。  訓練場の隅っこにある水飲み場で、俺は盛大なため息をついていた。  やべーボタン押しちゃったよ! どうすんの、これ!  とにかく女神に連絡を……と、隙を見て何度もお祈りを捧げているが、何も起こらない。  この世界にクーリング・オフはないんですか!?   「どうすっかな……」  ボタンは凹んだままだ。引っ張り出そうと爪でカリカリと引っ掻いてみたが効果はない。  もし、ずっとこのままだったら……未来を考えて、背筋を震わせる。    前世、営業ニ課にいたモテ男が「知らんやつにモテたって全然嬉しくねぇっすよー」とぼやいて男どものブーイングを浴びていたのを思い出した。  あのときは傍観しててごめんな。俺いま、お前と握手がしたいよ。 「アイクちゃん!」  うわ、見つかった。  振り返ると、先ほど訓練中に飯に誘ってきた先輩がにこやかに手を振っていた。  先輩の大きな声に釣られて、他のメンツもわらわらと集まってくる。街中で有名人を見かけたときの、あの感じだ。 「……お疲れさまです」  ものすごーく嫌な顔をしてみる。が、彼らの笑顔は崩れない。くそ、心が鋼でできていやがる。 「ねー、みんなでご飯行こうや。今日が無理なら、予定アイクちゃんに合わせるし。いつがいい?」 「いや、俺は……」 「うまい店があんのよ。いつもみんなで行ってんだけど、アイクちゃんも誘ってみようってなって。なー?」 「そそ。まじでうまいから。ありゃ食べないと損だよ」 「いや……」  困ったな。あからさまな悪意なら受け流せるが、こういうのはどうしたらよいのか分からない。   「アイクちゃん、せっかく可愛い顔してんだから……体もだらしなくなったら、もぉっと可愛くなると思うんだよね」 「そー、そこだけが惜しいっつかー……ね」  ねっとりとした、舐め回すような視線を全身に向けられ、ゾゾゾと鳥肌が立った。  ……何だこれ。  かいた汗の一滴でさえ見逃さないといった目に、本能的な恐怖を感じる。初めて感じる部類の不快感だった。  息苦しさに呼吸が浅くなる。何かを言おうとしたとき、彼らの向こうから声が聞こえた。 「君ら、暇なの?」  決して大きくはないのによく通る声。  俺が名前を呼ぶ前に、皆その場に跪いた。 「……王子」  一拍遅れて俺も跪いた。頭上に王子のひんやりとした声が降ってくる。 「装備の手入れは? 事務作業の続きは? 訓練だけが仕事だとでも思ってるのか」  抗議しようとした兵士を、王子が目力で圧殺する。 「やる気がないなら辞めてくれていい。代わりはいくらでもいる。路頭に迷うのが嫌なら、さっさと持ち場に戻れ」  兵士たちは押し黙り、礼をして去っていく。ただ、その目には明らかに不満の色があった。  俺も最後尾について去ろうとしたところを、王子に止められる。  前を歩いていた兵士たちは気づくことなく離れていった。残されたのは俺と王子だけ。 「今日は大丈夫なの?」 「え?」 「怪我」 「ああ……はい」  今日の訓練は不自然なほど丁重に扱われたため、腹にも顔にも傷一つない。鼻の下が伸びた上官の顔を思い出し「うへえ」と声が出た。 「……王子のこと、尊敬しますよ。よくこんなの毎日耐えられますね」  あと営業二課のモテ男くんも。 「……? モテるのは君だろ。なんで私の話になったの」  ん……? ああ、そうか!  失念していた。「入替」ということは、王子のご尊顔への世間の認識もまた反転しているということだ!  王子の顔をじっと見つめても、いまいちピンと来ない。俺の目には、変わらず古代ギリシア彫刻のように見えているのに。  王子は、ふいと顔を背けた。目元がほんのりと赤く染まっている。 「まじまじと見ないでくれるかな……」 「あ、すみません」 「怪我がないならいいんだ。君も持ち場に戻るといい。私といると悪い評判が立つからね」 「え……」  ……待てよ、じゃあ王子の評判ってどうなってんだ?  人々の王子への心酔は、もはや宗教の域に近かった。今の俺なんて比じゃない。  高さがあった分、その落差は……。 「あ」  声を掛ける間もなく、王子は立ち去ってしまった。 「……どうなってんだよ」  さわさわと木々を揺らす風の音だけがその場に横たわった。  王子のにらみが効いたのか、幸いその後の業務で変な絡み方をされることはなかった。  声を掛けられる前に、さっさと帰路に着く。 「ただいま……おわっ」  玄関をくぐると、暗闇に出迎えられた。  カーテンを閉め切っていて、ランプの明かり一つない。  一瞬留守かと思ったのだが、ソファで人影がもぞりと動いたので驚いた。母だ。 「……あーちゃん」 「何やってんだよ、真っ暗にして」  明かりを付けようとすると「やめて!」と悲鳴にも近い声が上がる。 「明るくしないで、やめて……こんな、こんな姿、見たくないの」  ……重症だ。 「父さんは?」 「仕事に出たわ。可哀想なお父さん、あんな姿を人目に晒さないといけないなんて拷問よ。兜もずっと被っておけるわけじゃないもの」  見れば、いつも部屋の隅に飾ってある防具から兜だけ消えている。  あれを被って歩く方がよほど人目を集めそうだけど……。  だが、その感性を持っているのは俺だけだということを、今日一日でまざまざと見せつけられた。  街の様子は一変していた。昨日まではにぎわっていた商店街は閑古鳥が鳴いていて、どうしても出歩かざるを得なかったとみられる人たちが布などで顔を隠して道の端を歩いていた。  母の話は大げさじゃない。中には本当に兜を被っている人だっていて、出会ったとき驚いて声を上げてしまったほどだ。城の職員たちはまだ頑張っていた方だった。  うちの部隊なんて、王子のおかげでナチュラルでいることの免罪符を持っているようなもんだしな。 「私もお父さんも間違っていたわ。あーちゃんみたいな顔を、どうして醜く変えちゃったの」 「えーと。ほら、またメイキングで変えたらいいんじゃ?」 「無理よ……知らない? 街のメイキング屋さん、どこも予約が取れなくなってるって」  母も行きつけの店に行ってみたらしい。  だが、考えることは皆同じ。順番を無視できるのはよっぽどの札束を積んだ人だけで、庶民はいつになるか分からない順番待ちにすがるしかないのだそう。  母はさめざめと泣きながら「もうお終いヨォ……」と椅子の背もたれにくっついている。  いよいよ大変なことになった。  母の代わりにあれこれ家事を片付けて、明日からの生活に不安を抱きながら眠りにつく。  期待していた女神からの連絡はなかった。 * * *  起きたら全部が夢でした、ならなあ。 「アイクちゃん、今日ヒマ? どう、このあと」  残念ながら、街の混乱は日が経つごとにより激しくなっていた。  未知の呪いではないか、とか、神の天罰だ、とか。正直そこまで取り乱すもんかね、とは思ったが、この世界の住人にはかなりの衝撃らしい。 「ね〜アイクちゃん、聞こえてる? え、無視?」  一刻も早くボタンをどうにかしなければならない。  それなのにあの女神、ちっとも連絡が取れやしない! 「アイク二等兵!!」 「ハイッ!?」  気づけば、唾の飛ぶ距離に先輩の顔が。  俺は思わずのけ反った。 「先輩にその態度はよくないよ〜。それとも構ってほしくて、わざと?」 「構……いえ、いえ! 自分がたるんでいました。すみませんっした!」 「そ? 心もだけどぉ、体をたまるませた方がいいんじゃない」  先輩はにやにやとしながら、俺の尻をパァン!とひと叩きして去っていった。  よかった、さすがに訓練中は先輩も無理には絡んでこないか。  ……と思ったら、隣から殺気。 「ラグナさん?」 「あいつ、アイクの尻を」  ラグナは射殺さんばかりの眼光を先輩に向けている。おい、バレたら面倒だぞ。 「こんなんで心配するな。別にケツの一つや二つ痛かない。あぁ、衝撃で割れちゃうかもなあ」  ケツは元々割れとるやないかーい。ドッ!  脳内のおじさんが元気に呼応する中、隣からは反応がない。  見上げると、ラグナは顔を真っ赤にして唇を震わせていた。 「ケツが割れるとか、言うなよ……」  それを見て、何ともむず痒い気持ちになる。  ……本当お前、俺のこと好きね。  ここ数日アプローチを受け続け、さすがに冗談だとは流せなくなった。  今までどこにこの熱量を隠していたのかと思うほど。曰く「お前にバレないように頑張っていた」とか何とか……。  そんなラグナに、俺はまだハイともイイエとも返せていない。  そういや、いつからだ? こいつの女関係の話を聞かなくなったの……俺は頭を抱えた。 「アイクは危機感が足りねーよ」 「危機感ンン? なんの」 「尻の」  意味を理解するのに数秒かかった。 「襲われるって? んなバカな、職場でそりゃ流石に事件に……なる……だろ……?」  ラグナの責めるような視線に、言葉が尻すぼみになっていく。  もしや本気で仰ってる? おじさんには、ちょっと信じられないんだけど……。 「……まあ……一応、気をつけとく」 「一応じゃない。お前、自分がどれだけ狙われてるか気づいてないだろ。俺がどれだけ気ぃ張ってるか……」  そう言われてもなあ。へらっと笑うと、ラグナの目はますます厳しくなる。 「何かあったら、すぐ言えよ」 「あいあい」 「……絶対言えよ!」 「あーい」  そんな目で見られても。  だって俺だぜ、俺。いくら美醜が反転してるからって、襲おうとまでは思わんでしょ。  ……などと考えていた俺が浅はかでした。

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