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8 動き出す来訪者たち

 目が覚めたら、知らない天井が……とはならなかった。  とっても見慣れた天井だ。医務室の硬いベッドに寝かされていた。 「目ェ覚めたか!」 「ラグナ……なんか首と頭が冷たい……」 「我慢しろ。氷のうで冷やしてんだ。気分悪くはないか」 「ない……」  ラグナはひとつ頷くと、宮廷医師を呼んだ。  兵士なら一度はお世話になっている専属医のおばあちゃんだ。  医師は一通り俺の様子を見て、微笑んだ。 「明日まで頭を動かさずに安静にしてりゃ大丈夫ですよ。脳が揺れちゃったんでしょうねえ」  今日は医務室に一泊するよう命じられる。何だかここ数日、まともに働けていないな……。  就業時間はとっくに過ぎていた。二人は俺が目覚めるのを待っていてくれたらしい。  医師は替えの氷のうに保存魔法をかけ、簡易宿泊用のセットとともに隣のテーブルに置くと、「おだいじに」とお決まりの文句を置いて帰っていった。 「お前にも面倒かけたな。俺はもう大丈夫だから」  帰っていいぞ、と続けようとしたのに、ラグナはベッドの横の椅子にどっかりと腰掛けうつむく。  そのくせ、何も言わない。秒針の音だけが医務室に響く。  何かあるのかと思って、俺もベッドで横になったまましばらく待った。  ……が、30秒が限界だった。   「だあっ! 何だよ、何か言いたいなら言えよっ」 「……」 「お口チャックか? ……待て、これ死語か? でもこっちにもあるよな、チャック……なんて言うんだ? チャック以外に。ジッパー? お口ジッパー?」 「お前、本気なの」 「え! やっぱりチャックって死語……」  言葉がしぼんだ。  ラグナが、俺に覆い被さるように上半身を乗り出してきたからだ。  沈みかけの太陽が、ラグナの顔に濃い陰を落としていた。 「本気なの?」 「な、なにが」 「第二王子とのこと」  ……配偶者の訓示の話か? そういえば、ラグナに聞かれてそのままになっていた。  淫紋に悩まされている俺としては、言い訳に困らなくて助かるからWin-Winなんだけど。  どう言ったものか思案していると、ラグナの眉が吊り上がった。 「あの人が取り乱すのを初めて見たんだ。倒れたお前にずっと呼びかけててさ……周りのやつらが止めたら、騒ぎの片付けに戻ってったけど」  オルフェウスが?  俺の脳ではあまり想像できない光景だ。  いつだって冷静……というか、最近の印象だと倒れた兵士を何らかの交渉材料に使っていても違和感がないくらいで……。 「お前、何使って脅されてんの?」 「いや、脅されてるワケじゃ」 「なら騙されてる!」  ラグナの勢いに気圧される。   「……俺、だてにお前のこと見てないんだ。分かるんだよ。第二王子のことが好きだからって理由で受け入れたんじゃねーだろ」  切れ長の瞳に見つめられ、俺は顔をそらした。  首筋にちくちくと視線が刺さっている。 「でも、向こうは……アイク。別に好きじゃないんなら、俺でもいいじゃん。もし事情があるなら一緒に考える」 「わ、ちょっ」 「俺、お前が顔変えてって望むならメイキングだってできるよ。王子じゃなくて、俺なら……」  頬を固定され、背筋にぞわぞわしたものが走る。  オルフェウスに触れられたときとは違う、明らかな不快からくるもの。腹の辺りがぎゅうっと痛み、回避しろと信号を送ってくる。 「ゃめ、ろっ!」  たまらなくなって、俺はラグナの体を押し返した。  そんなに強い力じゃない。だけど、ラグナは傷ついた表情をした。 「あ……」 「……俺じゃダメ? 王子と何が違うんだよ」 「……」 「……それも教えてくんねーの」  立ち上がって扉に向かうラグナに、声をかけようとして口を閉じた。なんて言ったらいいのか分からない。  去り際、こちらを振り返らずに「今日はゆっくり寝とけ」とつぶやいていった。  ……日が落ちても、一向に眠気が訪れない。  あまり頭を動かさないほうがいいのかと思って、天井ばかり見つめている。  この世界には電灯はない。代わりに、魔法で炎を閉じ込めランプ代わりに置いておける便利なグッズがあり、医務室にも入り口と天井に一つずつ吊るしてある。  ただ光源は小さくて、せいぜい豆電球ってところ。俺から見える光景は、全体的に薄暗くてぼんやりしていた。 「こういうときは、元の世界が恋しくなるよな……」  独り言まで出てきた。ああ、もう。  ラグナには何で言えばよかったのか。明日からまた会うのにさ。  オルフェウスは無事だったのだろうか。  それに、あの村人たちはどうなっただろう……。  ぐちゃぐちゃと混ざった記憶の海から、心配事がぴょんぴょん跳ね出しては消え、跳ね出しては消え。考えたって仕方がないのに。  あーーー寝れねえーーー。  もう寝返り打っちゃおうかな、と扉の方に体を傾けた瞬間、扉があるはずの空間で人影と目が合って、「おぅわっ!」と悲鳴を上げてしまった。 「……思ったより元気そうだね」 「オルフェウスさま!?」  起きあがろうとすると、人影は「そのままで」と言って近づいてくる。 「し……夜中に大きな声を出したら迷惑になっちゃうよ」  俺への迷惑はよいのでしょうか? 健気に早鐘を打つ心臓を労ってほしい。  ぼんやりとした灯りでも、目の前まで来たらオルフェウスの顔がはっきり分かった。 「どうされたんですか? あ、ていうか怪我はしませんでしたか」 「ないよ。君のおかげでね」 「ああ、なら良かったです」  オルフェウスはムッとしたようすで椅子に腰掛けた。 「君はずいぶん善人だね。まるで、かの女神みたいだ」 「……女神って、えーと、あのおとぎ話のですか?」 「そう。小さい頃、父によく聴かせられた。あれほどまでに愚直で、融通が効かなくて、馬鹿正直な者もいないと」  ……それ、ほぼ悪口だよな?  女神さま、言われてますよ。  オルフェウスから発せられる全ての単語の語気が強い。   「……また何か怒ってます?」 「……なんであのとき前に出たの」 「なんでって、そりゃ。石を投げるのが見えましたので」 「私の強さは知ってるでしょう? 君が出たら、ああなるよ。それなのに……」  オルフェウスは自身の前髪をぐしゃりとかき上げ、ベッドに突っ伏した。 「……君が血を流しているのを見るのは……うまく言葉にできないな。こんなつもりじゃなかったのに。君を巻き込むべきじゃなかった」  オルフェウスは困ったようにつぶやいた。  俺に聞かせるためというよりは、半分独り言の域だ。  こんな姿は初めて見た。こんなふうに、背中を丸める姿は。 「んなもん、気づいたら体が動いてたんだから仕方ないでしょう」  だって、あのときは考える間もなかったのだ。見えた瞬間には手を伸ばしていた。  オルフェウスが顔を上げる。ほんのりとした明かりが、彼の輪郭を照らしている。  彼の口の端がわずかに上がったのが見えた。 「……ずいぶん愛してくれたもんだ」 「あ、愛ぃ? 聞いてましたか、無意識です。む・い・し・き!」 「アイクが人情に厚いことは分かったよ。まあ、いいさ。それごと守ればいい話だしね」  何だか勝手に納得しているらしい。  俺にも分かるように説明してくれ! 「彼らを受け入れなかった理由、アイクは分かるかい?」  突然話が変わって、口ごもる。  彼ら……ヴィケーノ村の人々か? 「ええと、それはオルフェウスさまが仰ってた通りなんじゃないんですか? 彼らを雇う理由がないっていう……」 「それが半分。もう半分は、あの村が私の出身地だから」 「えっ!?」 「……やはり知らなかったか。わりと有名な話だけどね」  ……俺、もしかして噂だけじゃなくて一般常識に疎い説ある?  軽く衝撃を受けていると、オルフェウスは苦笑いをした。 「正確には、私を産んだ女があの村の出身なんだ。出産後に亡くなったらしい」 「あれ、でも王妃はご存命じゃ……?」  たしか王族は一人の人としか関係を持ってはいけないのでは? 「うん。だから、不義の子。貴族の悪い風習でね。あの村の人間はこういうところに派遣されやすいから」  オルフェウスはなんてことのないように言う。   「そういうわけで、当然私は産まれた瞬間から腫れ物扱いさ。もし何も目立ったところがなければ、すぐにでも排斥されていただろう」  ……容姿端麗で、剣も魔法も達者で、よき為政者。そんな称号を授かるまでに、彼はどれほど苦労したのだろう。  もし同じ立場に置かれたら、俺だったら乗り越えられなかったかもしれない。 「あの村の人間を私がすべて雇ったりしたら、身内びいきと見なされて王家の信用はガタ落ちだよ。ただでさえ危ういのに」 「そうだったんですか……」  やっぱり理由があったんだな。  オルフェウスのことを守った俺に、間違いはなかったようだ。  嬉しくなって微笑むと、オルフェウスは苦虫を噛みつぶしたような顔をする。何だ、その微妙な顔は。 「私はわりと、こういう薄情なことを平気でするよ」 「はい……?」 「……君という人間とは相容れないんじゃないか?」  しょげたような、どこか自信のない物言いに、目を見張る。  今日はなんだか新しい一面をいろいろと見せてくれるな。向かい合っていると、オルフェウスもただの一人の人間なのだと思えてきた。  前世の俺からすれば、人生の後輩ともいえる。  少しかわいらしく思えてきて、オルフェウスの頭に手を置いた。 「言ったじゃないですか、互いに責任を取るって」  ……置いてしまった、のだ。  脳内に瞬時に浮かぶ「不敬!」の文字。  いや、その、体が勝手に。  脂汗を流しながら、そーっと手を引っ込めようとした。 「ひっ!」  ……が、つかまれた。ご丁寧に両手で。 「すんませんごめんなさい出来心です」  オルフェウスは、無言で俺の手を見つめる。  なんですか、俺の手をぢっと見ても生活は楽になりませんよ!  ……と思ったら、その手に鼻を近づけて、息を吸い込んだ。 「……いい香り」 「かがないで!? え、へんた……趣味は人それぞれですけど!」 「ねえ、キスしていい?」 「なんで!?」 「するね」  起き上がったオルフェウスが乗り上げてきて、俺の頭は枕に沈められた。  取られた手がそのまま枕の横に押し付けられ、身動きを封じられる。 「ふ……っ、……ッ! ……ッ!!」  この男はよお……!  同意って言葉をいっぺん辞書で引いてみろ! 「んむっ、ん……!」  歯列をなぞられ、奥で縮こまっていた舌を先っちょで優しく突かれる。  粘膜が擦れ、ぴちゅ、と水音が漏れるのが生々しい。  腹のが熱くなってきて、あっという間に全身に回る。血の足りない脳みそがくらくらする。  嫌でも思い起こされる、後ろで拾ってしまった、あの快感。体の奥が疼いた。  ちゅ、と音を立てて唇が離れ、オルフェウスの視線は俺の下腹部へ。 「……ん、ふふ、もう反応してる」 「淫紋のせい! 淫紋のせいですからっ!!」  ……専属奴隷調教用というのはだてじゃない。  この男に触れられると、待ち望んでいたご褒美が与えられたような強烈な喜びが体にほとばしるのだ。  パブロフの犬ってこんな気持ちだったのかも。 「今夜はまだ安静にしてなきゃね。続きは明日ね?」 「勘弁してください……自分で処理したってしんどくなるんですから、無駄に刺激しないでくださいよ」  もう無限に続きそうな快楽地獄はゴメンだ。  俺の切実な訴えをどう捉えたのか、オルフェウスは大層満足げな笑みを浮かべた。 「その通り。アイクを静められるのは私だけだよ……間違っても、他の男を頼ろうだなんて考えないでね? どうせ淫紋が拒否反応を出すだろうけど」 「そうなんですか?」  ラグナに迫られたとき、たびたび妙な不快感が走っていたのはそのせいか。 「なるほど、だからか……」 「……『だから』?」  オルフェウスの声がワントーン下がる。  ご尊顔を見つめる。無表情だ。怖い。  思わず布団を引っ被るが、べりっとはぎ取られた。怖い。 「ねえ、何が『だから』なの? アイク」 「別にそんな、大したことじゃ」 「ラグナ君に迫られたんでしょう」 「え! 何で……」  ハッと気づいたときにはもう遅い。  オルフェウスは目が笑っていないまま口角を上げた。 「ふぅん、そうなんだ。なるほど、なるほど……」  見下げてくる視線が語っている。「どう料理してやろうか」と。  パブロフの犬から、まな板の上の鯉にジョブチェンジ。  えっ? ていうか、俺は別に悪くなくない?  そんな言葉を発することも許されずに、この一夜は俺にとって地獄の一夜になったのだった。  ……詳しくは言わない。ただ、人はキスだけで地獄を見るのだ、という学びは得た。

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