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10 話が違いますよ、女神さま

 オルフェウスは一番奥の部屋まで行き、扉を開いてくれた。  まず壁一面の書棚が目に入る。個人で持っておくには随分な量の資料だ。大学の研究室ぐらいはあろうか。 「まさか、これ全部女神に関する資料ですか?」  オルフェウスは軽く頷く。これを一人で収集したってのか。  何というか……オルフェウスの努力よりも先に、王の執着のすさまじさを感じる。 「……どうして、こんなに女神にこだわられているんでしょう。おとぎ話の登場人物なのに」  あくまで、この世界の住人にとっては、だが。  ビール片手に枝豆を貪る姿は、俺しか知らない。  しかし、平然としたようすでオルフェウスは答えた。 「女神は、いるよ」 「……え?」 「女神と魔王の話は、単なるおとぎ話じゃないんだ」  オルフェウスは、書棚から1冊の本を取り出す。  表紙に、この国の名前が書かれていた。 「アイクの知ってるおとぎ話はどんな感じだった?」 「えーと……多分、この国で聞く一般的なやつですよ? 邪悪な魔王が世界を支配していて、それを憂いた女神が勇者を立ち上がらせ、魔王を討伐するっていう……」  昔のRPGではおなじみの設定だ。最終的に勇者は魔王を倒し、平和な国を築いて、めでたしめでたし。 「なるほど。それね、話の前段階があるんだよ」  本を手渡されたので、1ページめくってみる。  現れた横書きの活字をゆっくり読み進めると、思ってもみないことが記されていた。 「これ……本当なんですか?」 「うん」 「いや、だってこれじゃ魔王と女神は夫婦だったことになるじゃないですか」 「だから、そうなんだって」  てっきり、女神の言う「狙われている」は命の話だと思っていた。 「魔王が欲していたのは女神そのもの……?」  ……国ができるずっと前、二人は契りを結んでいた。  といっても、魔王の一方的な愛情によるものだ。女神を無理やり自分のものにして手元に置いていた。  限界を迎えた女神は、ある日自分を崇拝していた剣士の協力を得て、命からがら魔王の元から脱走する。  生身の剣士では当然、魔王にかなわない。  そこで女神は自分と魔王の間に時空の壁を作り、その空間を剣士に護らせることで、無事逃亡を果たした……。 「その時空の壁、というのが、この世界なんだ。今じゃ国の名前になってしまったけど、本来はこの世界を表す言葉だった」 「なら、女神がこの世界を守ろうとしてるのは……」 「この世界が壊れたら魔王に捕まるからだよ。魔王は魔王で、女神を捕まえるためにこの世界を滅ぼそうとしてるってわけ」  何ともスケールのでかい話になってきた。 「ええと、この『剣士』っていうのは……?」 「もう少し先まで読むと分かるけど、先に言っちゃうとこの国の初代国王だね。彼はこの大地を豊かに繁栄させて、自分の子孫たちにこの世界を守らせようとした」 「はあぁ……」 「ただ、流石に千年もの月日を平穏無事に過ごすことはできなかったんだ。魔王もいろいろな手を使って、国を滅ぼそうとしたからね。争い、飢饉、自然の脅威……君も国の歴史を習ったなら、いくつかは知ってるでしょう?」  そう言ってオルフェウスが挙げた過去の例は、どれも歴史の授業で聞いたことのある話だった。 「その度に、女神は新たな使者をこの世界に送り込んできた。魔王の狙いを打ち砕くために」  オルフェウスが書棚から新たな資料を取り出す。  ずいぶん横長の年表だ。枝分かれした先に、人の名前と功績が書かれている。 「これが全部、女神の使者だよ。大体100年に1人ぐらいのペースかな」 「どうやって使者を見分けるんですか?」 「自己申告だね。ただ、彼らの言う女神の姿や言動は恐ろしいほど一致してるんだ。そして、世界の危機にピンポイントで現れては、世界を救っていく……分かっただろう? 女神はいるんだ」  バレてますよ! 女神さま。  ……あれ、その理論だと俺も世界を救わなきゃいけないんじゃ?  現状は、むしろ世界を危機にさらすボタンを押した大悪党である。血の気が引くのを感じた。 「……なんか顔色悪くない? 大丈夫?」 「お気になさらず……続きをお願いします」 「続きって言ってもなあ……ああ、そうだ。使者には、女神とコンタクトできる手段があるらしいよ」  そう言って、今度は別の棚にあった箱を持ってきた。片手に収まるほどの小さな箱だ。  開けると、中にはさらに一回り小さな鏡が入っていた。 「これは500年前の使者が持っていたシロモノでね……そのころは、内乱で一刻の猶予もなかった。使者はこれを使って女神の世界へ直接精神を飛ばして、つど女神から助言をもらっていたんだって」 「……ああ! 串焼きの店主が言っていた予言ってこれですか?」 「多分そうだろうね。巫女の手鏡の存在は有名だから」  へー、巫女の手鏡っていうのか。当時の巫女さんが召喚されたのだろうか。  言われてみると、どことなく和の意匠を感じなくもない。これがあったら、もしかして女神とコンタクトが取れるかもしれない……? 「あのぅ……これって、少ぉしだけ貸していただいちゃったりすることは、できませんかね?」 「……どうして?」 「いやっ、これがあったら俺も憧れの女神に会えちゃったりしてー! なんて……」  さすがに苦しいだろうか。  だが国の一大事なのだ。これでダメなら、隙を見てくすねるしか……。  そうだそうだ、窃盗くらい何だ。ボタンを押した時点でもうやっちゃってんだ!  俺が心の中でよからぬ誓いを立てていると、オルフェウスは笑った。 「いいよ」 「やっぱ、ですよネェ……いいの!?」 「うん。どうせ父にとってしか価値のないものだし」  はい、と渡された小箱。手が震えた。 「でも、使者以外の人間がいくら試しても無駄だったみたいだよ。諦めがついたら返してね」 「そりゃもう! もちろんです!」  小箱をポケットにしまい、ニッコニコでオルフェウスの手をつかむ。  ぶんぶんと振り回したいのを堪える代わりに固く握りしめると、オルフェウスは呆れたような表情をした。 「本当に女神が好きだね。歴代の使者もこうだったのかな?」 「それは分かりませんけど、まぁ少なくとも好意はあったんじゃないですか? 魔王から女神や国を救おうとしていたぐらいですし」 「好意ねえ……」  オルフェウスは、俺の手の甲を見つめる。 「好意という意味では、魔王のほうが上じゃない?」  くるんと手をひっくり返され、握っていたはずの俺の手はオルフェウスの掌の中へ。  何度もまめをつぶしてきたのだろう、ごつごつとして硬い手だった。 「きっと彼は、女神を愛しているから閉じ込めておきたかったんだよ。目を離したら……いなくなってしまうって分かってるから。それを繋ぎ止めたいと思うのはおかしなこと?」  俺の目をまっすぐ射抜いてそう言うので、何だか変な気分になる。  目をそらした瞬間に、頬からばっくりと喰われてしまいそうだ。 「……だとしても、やりすぎでしょう。あんなやり方じゃ女神だって反発するに決まってます」 「じゃあ、どうしたらいい?」  ええ……? 難しいことを聞いてくるなあ。   「束縛するんじゃなくて、一緒に楽しんだり、時には離れて見守ったりしたらいいんじゃないですか?」 「それだけ?」 「あー……ずいぶん前にエマーテの話をしたの、覚えてます?」  エマーテは、前世でいう犬と猫の中間のような生き物だ。野生のものもよく見かけるし、ペットとしても人気が高い。  いつだったか、何かの折に世間話でオルフェウスにエマーテの話題を出したことがあった。  彼はしばらく固まったのち、首を縦に振った。 「昔、うちの庭にエマーテが来たんです。そいつ、怪我してたんで手当てしてやろうと思ったんですけど、近寄ったら怖がって逃げちゃって。で、親と相談して、しばらくは餌を置いて何もしないことにしたんです」 「それじゃ餌だけ食べて逃げられたでしょう?」 「ですね。でも、それを何回も繰り返すんです。ここは安全だよ、お前を害さないよってエマーテに教え込む。するとだんだん、餌を持ってくる俺のことも敵じゃないことが分かってくるんですよ」  根気のいる作業だった。  最初は近くにいてもいい、というところから。  触ってもいい、抱えてもいい、とエマーテが許してくれるポイントを試しながら、ついに手当てに成功したときは家族総出で喜んだものだ。  ちなみに、そのままやつはわが家に居着いて、今じゃ番犬ならぬ番エマーテをやっている。 「女神も、捕まえようとするんじゃなくて最初から優しく見守っていたら、案外コロッと魔王になびいてたんじゃないですかね」  あの女神、逃げた先でも悲哀の中間管理職みたいな生き方してるしな……損な性格なのだろう。優しくされたら、すぐ相手に絆されそう。 「なるほど。要は、本人に気づかれないよう囲えばいいんだね」 「……俺の話、聞いてました?」 「うん」  じゃあ俺の耳がおかしいのか? 「だって、快適な場所を完全に整えてあげれば、君の家に来たエマーテのように逃げようとは思わなくなるってことだよね……勉強になったよ、アイク」 「ううん……うーん?」  正解のアウトラインだけをなぞった、全くの別物のような……あれ?  まあオルフェウス様はご満足のようなのでいいか。 「他に気になるものはある?」 「いや! 大丈夫です。早く城に戻りましょう」 「いいの? 観光しに来たんだろう? もう少し見て回っても」 「可及的速やかに城に戻りましょう。戻って仕事しましょう」  でないと、王子独禁法に引っかかっちゃうから。  もう引っかかってるかもしれないけど。ああ、バレていないといいんだけど……。

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