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13 森での乱闘
森までの行き方はすでに知っていた。先日屋台のおばちゃんから教わったからだ。
少し暗くなってきたので、携帯用ランプを片手に歩く。
俺も魔法が使えたら、片手に火をともすだけで済むんだけどな。
とはいえ、絶対なければならないというほどでもない。
……そういや以前女神とも話したことがあったな。
「早いとこ願いを考えてくださいよね。あなたの転生特典なんですから」
「……といっても、現状概ね満足してますし」
「スクワットしない! はあ……チートが欲しいとは思わないんですか?」
女神は俺の体を椅子に座らせ、紅茶を持たせた。本日はティータイムの気分らしい。
「チート……七対子の略ですか? リーチでドラが乗るとテンション上がりますよね」
「麻雀じゃありませんよ、このおじさんめ! そうじゃなくて、チートというのは……ほら、ここの世界は魔法を使えたり、美人が賞賛されたりするでしょう? 最初から力を手に入れてみたいとは思わないんですか。この『お願いごと』券なら1回だけ何でも叶うんですよ」
「不老不死になりたい、とかでも?」
「あなたが心から願うならね」
女神はジト目で俺を見てくる。
「あなた、本当に何かを心から願ったことがないでしょう?」
「……」
「あなたを選抜したのって、うちの上司なんです」
「え、そうなんですか」
てっきり、女神が独断と偏見で、もしくは世界地図にダーツでも投げてターゲットを決めているのかと思っていた。
女神は苦虫を嚙み潰したような顔をする。
「上司には千里眼や予知に近い能力がありまして、この世界に必要だと思った人材を指示してくるんです。それが今回は、あなただった」
「ほーう」
「ほーう、じゃありません。ちゃんと真剣に考えてください。あなたが選ばれたのには、必ず意味があるはずですから」
女神に薄っぺらい返事をしながらも、その言葉は鉛のように俺の腹の奥へと沈んでいったのだった。
ランプのゆらゆら揺れる薄い明かりを見ながらぼんやり思う。
……例えば、女神と連絡が取れたとして「この世界を元に戻してくれ」と願えばその通りになるのだろうか?
元通りの日常。
美醜の感覚は正常化して、両親もハッピー。
町の人達も、城の人間も、元の生活を手に入れてハッピー。
俺は城の一般兵として、いびられながらも平穏な生活に。
淫紋はなくなり……オルフェウスと関わることもなくなるって?
物思いにふけっていると、森の入り口にたどり着いていた。
木々が密集しており、数メートル先は真っ暗闇が広がっている。
どれだけ深いのだろう……ランプをかざしたときだった。
ふいに、ランプの火が不自然な揺れをした。
「……!」
振り返る。目と鼻の先に、男の手が迫っていた。
ブゥン! 空を切る音。次いで舌打ち。
俺はぐっと腰を落とし、鳩尾めがけて突きを放った。
「なめんな、よッ!」
「ぐぁっ」
当たった。相手はよろけて数歩後ろに下がる。
見覚えのある顔だ……嫌ってほどに。
「……随分なご挨拶じゃないですか? 先輩」
「久しぶり、アイクちゃん」
見回すと数人に囲まれている。先日城を追い出されたメンツだ。
正面に立った先輩は無精髭が生え、目は落ち窪んでいる。何より、目の前の全てを呪ってやるとでも言わんばかりの暗い目。
これが世間から背を向けられた人の姿か。城を出てまだたった数日だ。
「何のご用でしょう?」
……まずいな、数が多すぎる。腐っても奴らは元兵士だ。
後ろの森に逃げるにしても、明かりを持っていては逃げられない。かと言って、前方は望み薄。
「分かってるんじゃないの〜? 俺ら、アイクちゃんのおかげでこの通りよ。セキニン取ってもらわないと」
「……残念ながらお金はないんですが」
先輩たちは顔を見合わせて笑う。
ああ、嫌な笑い方がネッチとそっくりである。さすが同期。
……もしかしなくても、ネッチが情報を売ったな。
後ろに行くしか、ないか。
ごくりと息をのむ。行くぞ、3、2、1……!
持っていたランプを、先輩めがけて投げる!
「うぉっ」
避けられた。向こうでガシャン! とランプが壊れた音がする。
みんなが注目を引かれたその一瞬で、俺は森に逃げ込もうとした。
「……っ!?」
だが、茂みの中から、一対の細腕が伸びてくる。
避けられず、俺はあっという間に地面へと引き倒された。
繊細な美しい顔が現れる。ああ、この光景にも見覚えがある。
「……すみません」
城門の前で乱闘になったヴィケーノ村の住人である。俺を誘惑してきたあの女性だ。
何かの薬品を嗅がされ、くらっと視界が回るのを感じた。
くそ、しくじった……
意識はあるものの、手足が動かなくなってその場に倒れ込む。
俺を取り囲むように、わらわらと人が集まってきた。前に進み出た先輩が、俺の髪を掴んで引っ張り上げる。
思わず咳き込むと、先輩はますます笑みを深めた。見ていた女性が抗議の声を上げる。
「ちょっと! その方に乱暴はしないという話だったではありませんか」
「るっせぇな……どっちだって良いんだよなぁ、もう。分かる? 俺らはこいつに手ェ出した時点で終わりなのよ。どーせ生き残れやしねぇの」
先輩は、俺の服をびりびりと破いていく。
鼻息も手つきも荒々しく、ギャンブル中毒者のような顔をしていた。
ゾッとする。こいつ、やばい。
「は、話が違う……! 生き延びるために、その人を使って第二王子に交渉するって」
「やー勘違いさせちゃってごめんねぇ? 俺らはこいつをぶっ壊して腹いせしたいだけなんで。な?」
「市民の皆さまのご協力感謝しまぁす、ってな!」
「きゃあ!」
肉をぶつ音。視界の端に、女性が倒れこんだのが見えた。
こいつら……!
「大人しくしとけよ。お前ら、顔はアレだけどすげーテク持ってるって噂じゃん。こいつヤッた後で相手してやるからよ」
「そんな、そんな……私は村のために……」
「何なら、俺らは先にこっちヤッとこうか?」
「おお……ん?」
先輩に向かって拳を放とうとするが、腕が鉛のように重い。
力が入らず、先輩の膝をコツリとつつくのが精一杯だった。
「んだぁ? そんなに待ち遠しいって?」
「先輩らの、ね、ねらいは……俺、でしょ」
震える声に、先輩たちはゲラゲラと笑った。
「やー! 泣けるなあ、兵士様。自分を嵌めたやつまで助けようってか。おっとこまえー! ……おい、アイクちゃんが5人がかりで可愛がってほしいってよー」
「やぁだ、欲しがりじゃん!」
「しょうがねぇなあ。元後輩の頼みだもんねえ」
「兵士様……」
おい、アンタ泣いてる場合じゃないぞ。
今のうちに逃げてくれよ。じゃないと、無駄になるだろ。
目で必死に合図したが、彼女は呆然とこちらを見つめる。
裂いた服からのぞく俺の腹を見て、先輩がニタニタと笑った。淫紋が赤く光っている。
「あの薬、効いてたんだな~アイクちゃん。じゃあ、ゴシュジンサマがいんのか。もしかしてクソ王子?」
「……っ」
先輩の手が淫紋に触れると、体が勝手に飛び跳ねた。全身に毛虫が這うような不快感が走る。
「おー触るだけですげぇ。いーじゃん、ここにぶち込んでやったらお前、心臓止まっちゃうかもなァ」
ももの裏から尻にかけて、不快感がうごめく。
見下ろしてくるいくつもの目が、早くショーを始めろという期待と興奮でぎらぎら輝いていた。
体の苦しみと切り離され、思考だけがやけに冷静になっていった。
あーあ、いつも通りの時間に来なかったら、オルフェウスが心配するかもな……などと、場にそぐわないことを考えていると、突然視界にキラリと何かが光った。
「うわぁっ!」
先輩の悲鳴。次いで、俺に触れていた先輩の手が強いけいれんを起こす。
何だ……?
「おい! バレたぞッ」
「来てんじゃねえか!」
ざわつく方に目を向けると、まさに今考えていた人物が馬に乗ってこちらに走ってきていた。
「……オルフェウス、さま?」
覆いかぶさっていた先輩は悲鳴を上げながら俺の横に転がった。彼の腕には矢が刺さっていた。
「立て! アイクッ」
「……ッ!」
力を入れた足が震える。くそ、体の自由が……。
一瞬、悩んだ。
いや、猶予なんてあるかよ。
先輩の腕に刺さる矢を引き抜き、その矢じりで自らの腕を切りつける。
「ッぐ……!」
鋭い熱が走って、血が飛んだ。
痛みで一気に脳が覚醒し、膝をグッと伸ばす。大丈夫だ、動く。
「王子!」
「捕まれ!」
馬で突っ込んでくる姿を見て、人々は左右に散っていった。
少しだけ速度を落とした馬から伸びてきた腕に、全力でしがみつく。勢いで振り回されそうになるのを堪えた。
そのままカッコよく騎乗……はできずに、鞍で腹を打ち付ける。
ベランダに干された布団のような形で回収された。うげえ。
「あいつ単騎だぜ! やれ!」
「馬から落とせ!」
頭上から舌打ちが聞こえる。
「しっかり捕まってろ」
彼は、馬に乗ったまま背後に向けて牽制の矢を放った。
敵には当たらない。ただ、それで十分だった。
「森に逃げた!」
「追え!」
幸いにも、獣道ではなく多少の道がある。
馬は暗闇の中、その道を勇敢にも走っていってくれた。
鬱蒼とした木々が視界を遮っていき、追手の声は徐々に遠くなっていく。
頭上で、必死な声が聞こえた。
「魔女の結界に入るまでの辛抱だからな! 耐えろ、アイク」
「……」
聞きたいことがたくさんある。けれど……。
俺は歯を食いしばり、腹の下に渦巻く不快感を飼いならした。
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