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14 魔女と依頼人
誰かの言い争うような声が聞こえる。
意識がぐらぐらする……強い眠気に似た感覚。全身がだるくて、うまく力が入らない。
「……分かったら、離してやりな。お前さんがお姫さまを苦しめてるんだよ」
「……本当に治療するだけだな? 俺にしたみたいに、アイクを騙すつもりなら……」
「人聞きの悪い子だねぇ。それが坊やの望みだっただろうに。言ったろう、私は嘘がつけないんだ。分かったらサッサと寄越しな」
俺の体は、がくん、と揺れ、何かに支えられた。
暖かい光に包まれ、ぼやけていた視界がだんだんと像を結んでいく。
……やがてはっきりした視界に飛び込んできたのは、世にも美しい女性の顔と胸のドアップだった。
「え!? ん!?」
そして、赤ちゃんのように女性に抱きかかえられた俺の姿である。
「気づいたかね。どうだい、気分は」
「や、はい、あの。だいじょう、ぶ、です……が……」
な、なんかすごく良い匂いがする!
それに、その、胸が、胸が押しつけられ……。
「なら良し」
「あダァッ!?」
ポイッと放り投げられ、床に頭を打ちつけた。視界に星が飛び散る。
「アイクに乱暴をするな!」
すかさず出された手。しかし、俺はその手を取らず自力で立ち上がった。彼は少し傷ついたような顔をする。
「……まず一つはっきりさせてもらうぞ」
深呼吸をする。目はまっすぐ男のほうへ。
「お前、ラグナだよな?」
オルフェウスの顔をした男が、息をのんだ。忙しなく目蓋が震えている。
「なんで……」
「……あのなぁ、お前の声をどれだけ聞いてきたと思ってんだよ。戦い方もしゃべり方も完全にお前じゃん。一発で分かるわ」
男——ラグナは、でかい図体を小さく丸める。
見た目はオルフェウスそっくりそのままだった。瓜二つなんてレベルじゃない。コピー&ペーストである。
ため息をつくと、ラグナは肩をびくりと震わせた。
「なんで、そんなおかしなことになってんだ。魔女のせいか?」
「……」
「ラグナ?」
「そんくらいにしてやりなよ、お姫さま」
先ほどの豊満メリハリ美女が間に割って入ってくる。
う、目のやり場に困るなこの人……。ちょっとだけ視線をずらしたまま話しかける。
「んん゛っ……えーと、失礼ですがあなたは魔女の親戚か何かですか? ここにいる魔女にお会いしたいのですが」
「私だ」
「はぁ……えっ!?」
「私だ。ようこそ、魔女の家へ」
女性はソファに腰掛け、どこからか取り出したパイプで煙をくゆらせた。
その姿は、どこをどう見ても噂で聞いた老婆ではない。
腰まで波打つスカイブルーの髪は、確かに普通の人間ではない雰囲気がある。が、どう上に見積もっても30代が限界だ。
俺の顔を見た魔女は、モノクルの向こう側から怪しく微笑んだ。
「ここ数日、婆の姿でいると言い寄られちまうんで、身体の持つ時間軸を過去に合わせてみたのさ。けど、お前はこちらの方が好みらしいね」
「え、あ、え」
「寄るな!」
ラグナは、俺に触れようとした魔女の手をべしっと払いのける。
……いや、待てよ?
「魔女……さん。もしかして、数日前から感覚がおかしくなってることに気づいてるんですか?」
「呼びにくければローバと呼ぶといい。ここいらの人間がそう呼ぶからな。さて、感覚……そうさな、美しいものと醜いものが反転して見えるようだ」
驚いた。気づいている人がいたのか!
持ってきたボタンを取り出してローバに差し出す。
「これのせいなんです! 俺が押してしまったんですけど……」
「ほう?」
ローバは新しいおもちゃを与えられた子どものように目を輝かせた。ボタンを裏返したりなでたりして、ぶつぶつと呟いている。
「なるほど、これで定点を作り出してたのか……ああ、それでここに組む……ふむ、よくできている。どうやってこの不完全な魔法を展開したのかと思っていたが、謎が解けた」
「え、魔法なんですか? これ」
てっきり、女神パワーに近い謎原理で動いているものだと思っていた。
「ふふ。魔法はこの世の事象にアプローチする最も美しい方法の一つだよ。魔女とはその使徒。私たちに分からないことなどない」
「えーと……」
「知りたいか? 知りたいのだな? いいとも、解説してやろう。この魔法は集団催眠の応用だ。つまり、いかに広い範囲で掛けるかが問われるわけだが、持っていかれる魔力も尋常じゃない。そこの節約の仕方がこいつは実に巧みさ。時間軸に起点日を作り、起点日以降に範囲を絞ることでバランスを取っている」
「えー……っと」
「そもそも時間軸の処理が甘いな、とは思っていたんだがね……私みたいな存在なら矛盾に気づいちまうだろ? それがまさか、わざとパラドックスの観測深度を浅くしていたとは。いいよ、こいつは。今度真似させてもらおう」
「……おい、ラグナ。意味分かったか?」
ラグナは無言で首を振った。だよな。
「つまり、この魔法はあなたなら解けるんですか?」
「……私の話を聞いていなかったのかね?」
「耳には入っていたんですけど……」
右から入って左から抜けた。ローバも俺たちの態度で察したらしく「これだから人間は」と嘆いている。
「解けるか否かでいえば、解ける。つまり、それが作用する前に時を巻き戻せばいい。そのスイッチに起動式が入っているから、そこに逆の式をぶつければ時間軸の力を抑えきれなくなって勝手に数日前に戻るだろうさ」
「じゃあ、時間さえ戻せばみんな元通りになるんですね! ぜひお願いします」
よかった、ここまで来た甲斐があった!
ようやく見えた希望に胸を躍らせていると、ローバは煙を一つ吐いた。
「なぜ?」
「……え?」
「なぜ、私が手を貸すと思っているんだい?」
ローバの目は透明に輝いている。うちのエマーテが何もない空間を見るときの目に似ていた。
「……そりゃ……だって、元に戻さないと、皆が……」
「皆ね。今の方が都合がいい人間だっているんじゃないのかい。そうさな、例えばメイキング屋は今頃儲かってよだれを垂らしているだろうさ」
言い返せない。ローバはなおも言葉を続けた。
「私だって、『顔を変えてくれるならいくらつぎ込んでも構わない』って奴らが次から次へとやってくるよ。そこの坊やのようにね」
パイプで差されたラグナは、うつむいた。
やはり、魔女に頼んだのか……。
「……ま、私は正直、金なんざどうでもいいんだよ。面白けりゃそれでいい。こんな面白い状況をわざわざ終わらせるなんて、狂人のすることさね」
「あなたは……ッ、じゃあなんで、ラグナの依頼を引き受けたんですか!?」
「言っただろう。面白いからだよ、お姫さま」
急にローバが近づいてきたので体が硬直した。
顔にフーッと煙を吹き付けられ、煙たさで咳をする。
「ふふ。お前、どれだけ自分が残酷なことをしているか理解していないだろう。なぜ坊やがこうなったのか、知りたいなら教えてやろうか」
「やめろ!」
ローバの声を遮るようにラグナの怒声が響く。
狭い部屋の中で一瞬反響して、すぐに無音に戻る。
「自分で、言う」
ラグナはこちらを振り返った。
天井につるされたランプが、彼の顔に影を落とす。「オルフェウス」の顔に。
なぜだろうか。笑っているのに、俺には彼が悲しんでいるように見えた。
「ラグナ……?」
「……外、行けるか」
頷くと、彼は扉を開いた。外は真っ暗で、星の瞬き一つさえない。
草の湿った匂いを風が運んでくる。外でドンパチしていたとは思えないほど静かだ。
「……そういや、あいつらは?」
「あいつら?」
「俺を襲ってきた……」
「ああ……多分、まだ近くにいるんじゃね? ここ、魔女の結界の中だから許されたやつしか入ってこれねえし、見えねえんだ」
「そっか……えっと、さっき助けてくれてありがとう」
「ん」
ラリーの続かない会話は、間を持たせるどころか、気まずさを深めるだけだった。
カエルみたいな生き物の声がする。こっちの世界にもいるんだな。
「……ちょっと長くなるけど」
「うん」
ぼやけたシルエットから語られる声が、カエルもどきの合唱の間に静かに落ちていく。
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