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15 この男、狂ってんのか(SIDE:ラグナ)

 この男、狂ってんのか。  それがアイクの第一印象だった。 「ラグナ〜、飯行こうぜ」  名前も覚えていない兵士から誘われ、おう、と軽く返事をする。 「食堂どこだっけ?」 「あー分からなくなるよな。王城広いし」 「な。俺、昨日初めて入ってビビったもん」 「風呂もな」 「風呂もすごかったよなー。先輩らの後ってのが最悪だけど」 「次の新人が入るまでの辛抱よ」 「長ぇ……」  広い浴槽にプカプカ浮いていた垢を思い出してゲンナリする。風呂掃除は最後に入った人間の当番だった。  この中じゃ俺たちが一番の新人だから仕方がない。数十人の同期で昨日初めてブラシを持って、風呂の広さに泣いたのだった。  食堂に着くと、ちょうど第一陣が去った時間だったらしく、席はまばらではあるが空いている。ラッキー。  同期とは後で落ち合うことにし、各自空いた席に座った。お気に入りのホットケーキに蜂蜜をたっぷり掛ける。  なんと気前よくセルフで掛け放題。となれば、掛けるだけ掛けるしかないだろ。甘いものに間違いはない。  バターが生地の熱で溶けていき、蜂蜜と混ざってジュワァ……と滴り落ちる。  大きめに切り分けた一口を口に運ぼうとしたところで、向かいの席のやつと目が合った。  ……すごく見てくる。  美味そうだな、という視線ではない。「うわ、あれ食べちゃうのか……」という顔だ。間違っても、今から飯を食う人間に向けていいやつじゃない。  それも、なんと今どき珍しく、ナチュラルの人間だ。  いや、第二王子の登用基準からすりゃ間違っていないんだけど、それってナチュラルに自信あるやつがするわけで。  俺だって、結構声は掛かるし、そこそこ遊んでいるほうだと思う。あまり変える必要を感じないからこそのナチュラル寄りだ。  珍しいな……。  ……。 「あの、そんな見られてたら食べづらいんスけど」 「え! あぁ、ごめん」  彼は気づいていなかったらしく、俺が声を掛けるといそいそと自分の飯に向き直る。  あれは……定食? まさか定食なんて食べるやつがいるのか。  誰も頼んでいるのを見たことがない不人気メニューだ。  食べている本人も、なんかまずそーに食っている。草ばかりモシャモシャ食って草食動物かよ。    俺は理解を放棄した。まあ、おかしいのの一人や二人いるわな。  ……。 「だから、何で見てくるんスか」 「あっ」  食べ始めると同時に、再び視線が絡む。  やけに真っ直ぐな目で見てくる男だ。こういうやつは、決まってキョドキョドと自信なさげに視線を泳がせたりしているもんなんだけど。  男は言い訳を諦めたらしく、一つ咳払いをした。 「怒らない?」 「内容によりけり」 「……君、昨日も一昨日もそれ食ってたろ」  どこかで見られていたらしい。頷くと「うわ」という顔をされる。 「まー若いからなあ……分かるんだよ。分かるんだけど、今からそれやってるとキッツいぞ。まさか夜とか朝もホットケーキじゃないよな?」 「そうだけど」  男は、ああ〜と頭を抱える。  かと思ったら、定食に付いていた野菜ジュースを差し出してきた。 「せめて……どうぞ」 「いや、いらんし」 「え! 口はつけてないぞ。未開封!」 「そういうことではなく……」  誰が草を絞った汁なんぞ飲むか。  返したけど、今度は強めに置かれる。何だ一体。 「ああ……いま俺、若い子の世話を焼くおばちゃんの気持ちが完全に分かってしまった……」 「いや、見た感じ数個しか違わんでしょ……」 「あ、そうそう。一個上」 「余計になんでだよ」  男は屈託なく笑った。本当におかしくて出てきた、という風に。 「ごめんごめん。まあ先輩の戯言だと思って聞いといてよ。これはお駄賃な」 「え、いらな……」 「野菜を取っておいて損はないぞ。ビタミンとミネラルだ」  ビタミント・ミネラル……?  謎の言葉を残して、男は去っていった。  残されたのは、俺と冷め始めたホットケーキ、それから野菜ジュース。  食べ合わせは最悪だった。  それから、男をよく見かけるようになった。  男——アイクは、兵団の中でも有名だった。悪いほうに。 「おらっ! 今日の稽古は終了だ」 「片しとけよォ」 「……ッス」  アイク、また先輩に絡まれてる……。  もはや稽古という名の暴行だ。いつも先輩たちの憂さ晴らしのターゲットにされている。  俺ら新人にもたまに余波が来るが、ほとんどはアイクが一手に引き受けていた。    まあ……どこにでもある、といえば、ある。  最初は戸惑っていた俺らにも、いつしか「アイク先輩なら仕方ない」という認識が植え付けられていた。  故に、誰も助けない。裏口の水道で傷を冷やしていることを皆知っているが、誰も近寄らないのである。 「……アイク先輩」 「んー? おお、こないだの……」 「ラグナ」 「そう、ラグナだ。優秀だって褒められてたぞ、お前」  アイクは、冷やしていた腕と腹を隠した。  ちらりと見えた青紫色は、一つじゃなかった。 「……俺は、優秀っつか、要領がいいの。アイク先輩と違って」 「ははぁ、そりゃ見習いたいもんで」 「見習えよ」 「え?」 「なんでメイキングしねーの? てか、アイク先輩、ぶっちゃけアイツらより強いでしょ。一回本気でやったらいいじゃん。そうすりゃもっと……」  言いながら、それが無理なことは分かっていた。  メイキングなんかしたらそもそもこの隊から追い出されるし、先輩を倒したら大問題だ。  アイク先輩の立場では、無理だ。何もかも。  彼は、子どもに向けるような声色で「ありがとう」と言った。 「気にすんな。どこでもあるんだよ。この世界には労基がないからなあ……俺が逃げたって別のやつが標的になるだけだし」 「俺らを……後輩を、守るため?」 「んな大層なことじゃねーけど。んー、俺けっこう痛みに強いから、あんまり気にならないというか。ま、だからラグナも気にしなくていいよ。野菜ジュースは飲んだ?」 「……捨てた」 「嘘ォ!?」  嘘をついた。なんでか分からないけど、嫌だった。  その日から、俺はアイクをべったりマークするようになった。  一緒にいると、いろんなことに気づく。  まずアイクは口うるさい。 「はい野菜ジュース」 「まーた……食事くらい好きなもん食わせろよな」 「お前がちょっとでも野菜を取るまでやめねぇから」 「そう言うと思って、今日はねぎ増しラーメン」 「お!?」 「と、ホットケーキ」 「おおお……お前、お口の中どうなってんの……その2品のマリアージュ考えたことある?」 「野菜ジュースマンに言われたかねえわ」  それから、わりと面倒見が良い。 「おいラグナ、備品の修理申請は今日までだぞ。どうせ出してないんだろう」 「……」 「面倒がるな! もう、この子ってばいつもそうなんだから! 一緒にやってやるから、ほら」 「何でやってないって分かったの」 「前回それで怒られてただろ。しかも全然反省してなかったから、今回もやるやる詐欺しそうだなって。はい、これ。前回の記録写しといたから、これでやりやすいだろ?」 「……おう」 「さっさと終わらせて休憩するぞー」  だけど、結構理不尽な目に遭ってる。 「またやられたのか」 「うわっ! ラグナか……脅かすなよ」 「あいつら、俺がいないときを見計らって来やがって」 「いや、これでもラグナのお陰で随分減ったよ。あー……でも、俺をいびれなかった分が後輩に行くかもなあ」 「下のヤツらの心配してる場合か?」  アイクは、俺が現れても傷を隠さなくなった。  流水に浮かぶ赤と青。たくましい腹筋は、目下育成中らしい。  ちょっと日に焼けてこんがりした腕や脚に比べ、腹の白さがやけに目につく。 「はは、まあまあ……ありがとな。お前が心配してくれるだけで俺は十分だよ」 「……おー」 「おやぁ……? 照れてる? ねえ照れてる?」 「うるせっ」  たわいもないやり取り。認めよう。この時間が、存外悪くないことを。  アイクのよさが分からないやつらは、見る目がないんだよ。皆、もっとこいつのことを知ったら変わるのに。  お互い歳を取って、どこかの誰かと添い遂げて子どもができても、こうやって穏やかな時間を過ごしていけたらいい。  そんなことを思っていた……はずだった。 「ねえラグナ」 「ん? ……は? おい、何脱いで」 「俺のこと見てただろ」  アイクは上に着ていたものを全て取り払った。  水が流れっぱなしになって、辺りをびしゃびしゃにする。 「おい! 人が来るって」 「来ないよ。ここには俺と、ラグナだけ」  下にも手を掛ける。足の付け根より少し下に、日焼けの跡がついている。  濡れた床に、揉み合うように倒れ込む。  パシャン! 跳ねた水が、アイクの肌の上を滑っていくのがやけに艶やかで。 「ラグナ……どこかの誰かとなんて添い遂げないで。ずっと俺の側にいてくれよ」  くらり、と来た。  人生設計ががらがらと崩れて、一緒に転げ落ちていくその酩酊感。  それでもいいかもしれない。いや、それがいい。  この男の鼓動を一生感じられたならば。  さらけ出された体に手を這わし、半開きの口に己のそれを重ね……。 「……は……?」  気づいたらベッドの上だった。  どこから。いや、違う。最初からだ。  アイクがあんなこと言うわけがない。あんな風に、俺に痴態をさらすわけが……。  まだ夜は明けていない。少し頭を冷やすべく起きあがろうとして気づく。下着の中に異様な不快感があることに。  そっと下半身を確認して俺はいろいろ絶望した。あり得ない。  まさか。何かの間違いだ。 「おい、ラグナ」  溜まってたんだ。そうそう。最近ヌいてなかったから。 「おい……」  今夜は久々に街に出るか? 適当に気が合いそうな女の子を誘ってもいいし、店にお世話になっても……。 「ラグナ!」 「うわっ」  バシンと肩を叩かれて、一気に現実に引き戻される。  そこには半裸のアイクはいない。何なら防具を着込んでいるからいつもより重装備なくらいだ。 「大丈夫かよ。心ここにあらずって感じだけど……なんで目を逸らしてんの?」 「なんか申し訳なくて」 「ハァ……?」  アイクは挙動不審な俺を訝しんで「訳がわからん」とぼやいている。俺だって分かんねーよ。 「今日は遠征が出てて人数が少ないから、風呂にまとめて入れってさ」 「は」 「良かったな。掃除当番免除だぞ」  良くない。 「アイクと一緒に風呂に……?」 「当たり前だろ。それとも何だ? 俺だけ入るなってか?」 「入るな」 「え、本気のトーン!? 何でだよ!」 「あー、あー……ほら、お前、あれだ。痣とか見せたくねぇんじゃねえの」 「いや、同期と同じ時間にフツーに入ってるけど?」 「えっ」 「え?」  なんで気づかなかったのだろう。そりゃそうだ。  じゃあアイクの同期は毎日一緒に裸の付き合いをしているってことか? それはズルくないか?  ……ズルいって何だよ! 「大丈夫だよ。別に今さら誰も触れてこねーし」 「当たり前だろ! 誰かが触るなんて……」 「え?」 「いや違、あ゛〜〜〜何でもない。忘れて」 「お前、本当に大丈夫か……?」 「大丈夫。うん、俺は大丈夫……風呂な? 行こう」  戸惑っているアイクの背中を押しながら脱衣所へ向かった。  結論から言えば、全然大丈夫じゃなかった。  まあまあ立派なモン持ってんな、とか、どんな顔していつも処理してるんだろ、とか。  俺の想像は、まるで女を知らなかったガキの頃みたいにどんどん膨らんでいって、その夜は結局街に出ることはなかった。 「……」  空が白む。一睡もできなかった。  頭の中が、獣から人間に戻ってくる。  前言撤回。  誰もアイクのよさに気づくんじゃねえ。  

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